萩原康弘ベスト10 | ロロモ文庫

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萩原康弘は荏原高では1965年に3年次に一塁手として春のセンバツ大会に初出場し、2回戦(初戦)でPL学園に敗退し、同年夏の甲子園都予選では準決勝で日大二高に敗れ、卒業後は中央大学へ進学します。

東都大学野球リーグでは一塁手、左翼手として活躍し、1967年の春季リーグでは優勝し、全日本大学野球選手権では決勝で慶応大を破り選手権初優勝を飾り、同年の秋季リーグではベストナイン(外野手)に選出され、リーグ通算85試合に出場し、250打数68安打、打率2割7分2厘、1本塁打、24打点を記録し、1969年ドラフト3位指名で巨人に入団します。

1971年シーズン前半には右翼手として起用され、同年は28試合に先発出場を果たしますが、後半は失速しその後は主に代打や控え外野手として出場し、1973年10月11日の阪神タイガースにとの首位攻防戦にて、上田二朗から代打逆転3ラン(結果は引き分け)を放ち、1975年オフに小俣進との交換トレードで、広島東洋カープに移籍。移籍1年目の1976年には31試合に先発し、打率3割4分1厘の好記録を残し、その後も外野手、一塁手として長く準レギュラーとして活躍し、1979年からのリーグ連覇に貢献し、1980年には自己最多の88試合に出場し、同年の近鉄との日本シリーズでは、第4戦に左翼手として先発起用されます。

1982年オフ、広島を戦力外となり、ヤクルトスワローズへ移籍しますが。ヤクルトでは無安打に終わり、1983年暮れに現役を引退し、通算707試合に出場し、2割3分8厘20本塁打114打点5盗塁をマークしたわけです。

10位は38試合に出場し1割9分4厘2本塁打4打点0盗塁をマークした1973年。9位は52試合に出場し2割2分8厘0本塁打5打点0盗塁をマークした1977年。8位は71試合に出場し2割3分3厘0本塁打4打点0盗塁をマークした1975年。7位は70試合に出場し1割6分5厘1本塁打8打点0盗塁をマークした1981年。6位は45試合に出場し2割1分7厘2本塁打9打点1盗塁をマークした1972年。

5位は58試合に出場し2割0分6厘1本塁打13打点2盗塁をマークした1971年。4位は72試合に出場し2割4分4厘2本塁打15打点1盗塁をマークした1979年。3位は52試合に出場し3割4分8厘1本塁打11打点0盗塁をマークした1978年。2位は63試合に出場し3割4分1厘3本塁打17打点1盗塁をマークした1976年。1位は88試合に出場し2割6分6厘7本塁打22打点0盗塁をマークした1980年となるわけです。