武田一浩ベスト10 | ロロモ文庫

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武田一浩は明大中野高に進学し、3年次の1983年夏の西東京大会準決勝で創価高校の小野和義と投げ合って敗退し、明治大に進学し、1986年(3年生)秋季リーグ戦で5完封を含む8連勝を記録して、優勝に貢献して同季のベストナインに選出され、リーグ通算成績は56試合登板で20勝8敗防御率2.40,208奪三振をマークし、1987年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団します。

プロ1年目となる1988年6月8日の阪急戦でプロ初登板を果たし、8月3日のロッテ戦でプロ初勝利を挙げ、2年目の1989年は先発ローテーションに定着し、1990年は抑え投手に転向し、NPBタイ記録となる12試合連続セーブポイントを記録して、オールスターゲーム初出場を果たし、1991年は最優秀救援投手のタイトルを獲得し、同年5月には10試合に救援登板して3勝1敗3セーブの成績を残し、プロ入り後初の月間MVPを獲得します。

1992年から先発に再転向し、1993年は二桁勝利をマークしますが、1995年は一軍ではわずか2試合しか登板できず、プロ入り後初の未勝利に終わり、1995年オフに松田慎司とともに、下柳剛・安田秀之との2対2の交換トレードでダイエーへ移籍します。

ダイエー移籍1年目の1996年は、年間を通じて先発ローテーションの柱を担い、15勝8敗・6完投・4完封の好成績を残し、1997年はプロ10年目で自身初の開幕投手を務め、4月29日のオリックス戦、5月6日の西武戦と2試合連続完封勝利を記録するなど、開幕から4連勝を記録しますが、その後は勝利から見放され、最終的には9連敗のままシーズンを終え、1998年は自己2番目となる13勝を挙げ、黒木知宏(ロッテ)・西口文也(西武)とともにパ・リーグ最多勝を獲得します。

1998年シーズン後にFA権の行使を宣言し、中日ドラゴンズと契約し、中日移籍1年目の1999年は先発ローテーションの一角として、中日の11年ぶり5度目となるセ・リーグ優勝に貢献し、古巣であるダイエーとの日本シリーズでは第4戦で先発しますが、6回3失点の投球内容で敗戦投手になり、チームも1勝4敗に敗退します。

2000年、2001年は3勝に終わり、2001年オフに戦力外通告を受け、巨人と契約し、2002年5月7日の中日戦に先発し、6回4被安打2失点で勝利投手となり、史上3人目の全球団勝利を達成しますが、同年の西武との日本シリーズ要員構想からも外れ、この年限りで現役引退し、通算341試合に登板し、89勝99敗31セーブ防御率3.92をマークしたわけです。

10位は18試合に登板して5勝9敗0セーブ防御率5.68をマークした1994年。9位は26試合に登板して4勝9敗0セーブ防御率3.85をマークした1997年。8位は22試合に登板して4勝9敗0セーブ防御率3.87をマークした1992年。7位は36試合に登板して6勝8敗0セーブ防御率4.22をマークした1989年。6位は37試合に登板して10勝5敗13セーブ防御率2.98をマークした1990年。

5位は41試合に登板して4勝8敗18セーブ防御率4.04をマークした1991年。4位は25試合に登板して9勝10敗0セーブ防御率3.50をマークした1999年。3位は27試合に登板して10勝8敗0セーブ防御率3.33をマークした1993年。2位は28試合に登板して13勝10敗0セーブ防御率3.62をマークした1998年。1位は26試合に登板して15勝8敗0セーブ防御率3.84をマークした1996年となるわけです。