2024年3月逝去有名人ベスト10(外国人) | ロロモ文庫

ロロモ文庫

いろいろなベスト10や漫画のあらすじやテレビドラマのあらすじや映画のあらすじや川柳やスポーツの結果などを紹介したいと思います。どうぞヨロピク。

10位はイスラエル・アメリカの心理学者・行動経済学者で、行動経済学と実験経済学という新研究分野の開拓への貢献で、2002年ノーベル経済学賞を受賞した3月27日に亡くなった1934年生まれのダニエル・カーネマン。

9位はドイツ出身の物理学者で、「高速エレクトロニクスおよび光エレクトロニクスに利用される半導体ヘテロ構造の開発」により、2000年にノーベル物理学賞を受賞した3月8日に亡くなった1928年生まれのハーバート・クレーマー。

8位はアメリカの宇宙飛行士で「月を訪れた24人」の1人であるが、 月面に降り立った(ムーンウォーカー)12人と違い、周回飛行のみをおこなった12人の1人である3月18日に亡くなった1930年生まれのトーマス・スタッフォード。

7位はカメルーンのボクサーで、1984年ロサンゼルス五輪のボクシングライト級準決勝で銀メダルプエルトリコのルイス・オーティスに敗れて銅メダルを獲得した3月6日に亡くなった1966年生まれのマルタン・ンドンゴ=エバンガ。

6位はキューバのボクサーで、1972年ミュンヘン五輪ボクサーウェルター級決勝で、銀メダルのハンガリーのヤノス・カイディを下して金メダルとなった3月11日に亡くなった1953年生まれのエミリオ・コレア。

5位は1977年から1984年までロイヤルズ、1985年はエキスポス、1986年と1987年はパイレーツに在籍し、通算907試合に出場して、2割5分1厘27本塁打255打点132盗塁をマークし、1980年は153試合に出場して、2割7分3厘6本塁打53打点20盗塁をマークした3月3日に亡くなった1953年生まれのU・L・ワシントン。

4位は1974年から1980年までパイレーツ、1981年はエンゼルスに在籍し、通算567試合に出場して、2割5分9厘33本塁打195打点をマークして、パイレーツがワールドシリーズを制覇した1979年に117試合に出場して、2割7分3厘7本塁打51打点をマークした3月3日に亡くなった1951年生まれのエド・オット。

3位は1968年はカブス、1970年から1977年までレッズ、1978年までマリナーズに在籍し、367試合に出場して、1割8分8輪14本塁打82打点をマークし、監督として1992年にマリナーズを指揮し、64勝98敗の戦績を残した3月12日に亡くなった1947年生まれのビル・プラマー。

2位はソ連の体操選手で1964年東京五輪で団体総合で銀メダル、1968年メキシコシティ五輪で、団体総合で銀メダル・跳馬で銅メダルを獲得し、逆立ちから体を支えながら振り下ろし、片手を離して体を一回転ひねってから、逆立ちで握り直すという平行棒の技「ディアミドフ」を開発した3月10日に亡くなった1943年生まれのセルゲイ・ディアミドフ。

1位はテイラー・バックフォード監督、リチャード・ギア主演の1982年の映画「愛と青春の旅立ち」でアカデミー助演男優賞を受賞した3月29日に亡くなった1936年生まれのルイス・ゴセット・ジュニアとなるわけです。