作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(292)」 | ロロモ文庫

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新・豆腐勝負(後)

理由を説明する海原。「前回の豆腐勝負は汲み出し豆腐とザル豆腐と言う、料理法でなく、豆腐そのものの勝負だった。だから今回は料理法で勝負をしたいと言うのが、再戦を申し込んだ究極側の言い分だった。ところが実際の勝負になると、彼等は究極の豆腐を作ったと言う。それでは再び豆腐そのものに重点を置くことになる。話が違うではないか」

「そうじゃない。究極の豆腐は料理をすることを前提にした豆腐で、豆腐そのものを食べるのが目的ではない。あくまで料理法が主だ」「だが、お前たちの言う究極の豆腐とやらがなかったら、今日ここに出してきた料理は作れなかったのではないか」「ぬ、ぬう」「これは明らかに事務局の失敗だな。料理法を競うと言うなら、事務局が両方に対して、同一の豆腐を用意するべきだった」「うう」

海原に聞く唐山。「要するに、お前は普通の豆腐を使ったから、究極に勝てない。だから勝負を取りやめたいと言うわけだな」「何を仰いますか。私の用意した料理は究極側よりはるかに勝っています。私が言いたいのは、フィギュアスケートに例えれば、私は規定演技をし、相手は自由演技をしていると言うことだ。それを比べることに意味はない」「なるほど。まあ雄山の言うことは理にかなっている。これは今回の勝負の規約が曖昧だったからだ。士郎、どうかの。豆腐作りも含めての豆腐料理と決めて、もう一度やり直しては」「こっちはかまわない。やり直そうじゃないか」

申し訳ありませんと海原に詫びる良三。「あの豆腐は徳一の父親の店に来たお客から見本をもらい、それを参考に作った物です」「良三、正直に言え。その客に心当たりがあるはずだ」「今日、山岡さんの豆腐を食べて、はっきりしました。山岡さんと栗田さんだと思います」「うぬ。やはり。士郎の作ってきた豆腐と徳一の豆腐はあまりに似すぎていた」「実は、山岡さんは徳一の家族を心配しておられて」「なに」

ぬううと唸る海原。「徳一と父親を仲直りさせ、徳一の妹が結婚出来るようにするだと。ふん、自分の頭の蠅も追い切れぬヤツが、偉そうに他人のことを」「もし、これから先も徳一が父親と共同で豆腐作りが出来れば、仲直りも一層」「徳一の家族の問題など知ったことか」「う」「士郎のヤツ、この私をコケにしおって。もし、あそこで勝負を中止しなかったら、審査員は私の豆腐が究極の豆腐と同じ味と気づいただろう。そこで士郎が、私の使った豆腐が究極の豆腐と同じ物だと言ったら。ぬうううう、許せん。徳一を呼べ」

豆腐再勝負で同じ料理を出し、究極の豆腐について説明する山岡。「究極の豆腐を考えついたのは、従来の豆腐料理の非常に不満があったからです。例えば田楽を作る時、従来の料理法では、まず豆腐にまな板を乗せ、その重さで水を絞ります。これがよくない」「はて、それは豆腐料理の基本じゃないか。豆腐を焼いたり炒めたりする時は、重しをかけて水を絞る」

「豆腐とはどんなものか原点に返って考えてください。大豆から取った豆乳にニガリなどの凝固剤を加えて、豆乳の中の蛋白質や脂肪を固めたものです。豆腐の重量の大半は水です。この水自体の味が豆腐の味を支配しますが、水の一番大事な働きは物理的なものです。理想的によく出来た豆腐は、蛋白質や脂肪などの豆腐の旨味成分の粒子が均等に並んでいる。水はその粒子が均質に並ぶのを支えているわけです」

「蛋白質、脂肪、糖分。そんなものが舌の上で溶けて、舌の味蕾を刺激すると、人間は旨味を感じる。理想的に出来た豆腐は、旨味成分の粒子が均質に偏りなく並んでいるから、舌の上に乗せた時、さらりと崩れて、旨味成分は舌の上に素早く広がる。その上、旨味成分の粒子が独立しているから、舌の上で溶けるのも早い。従って旨味成分を瞬時に味わうことができます」

「さて、豆腐の上の重しを乗せて、水を絞るとどうなるか。せっかく旨味成分の粒子が均等に並んでいた理想的な豆腐でも、不均等に水は出ていく結果、出来の悪い豆腐と同じことになる。しかし、料理をする時は固い豆腐が欲しい時が多い。そんな時はどうするか。簡単なことです。最初から固い豆腐を作ればいいのです」

「このステーキ用の豆腐は蛋白質の含有量の多い丹波の大豆を使い、豆乳の温度を平均の凝固温度70度より2,3度高めにして、塩化マグネシウムを主とした天然ニガリと成分の似た凝固剤を用い、凝固させた後、型枠に入れ、重しをかけ、じわりじわりと時間をかけて、水を抜いて作りました。こうしたことで、しっかりした風味で、ずっしりと質量のあるステーキ用の豆腐ができたのです。普通の木綿豆腐に30分ほど重しをかけて水抜きした豆腐と、水分の含有量も表面的固さも同じだが、旨味成分の粒子の配列が均質なので、歯ごたえがあり、しかも滑らかで旨味も遥かに強いのです」

「アワビを詰めて土鍋で煮た豆腐は、脂肪の含有量の多い北海道産の大豆を使いました。アワビのモチモチした感触と相性がいいように、ステーキ用の豆腐よりさらに滑らかな舌ざわりが欲しい。しかもふんわりした肌合いが欲しい。となると豆乳の温度が問題になってくる。豆乳の濃度は普通の木綿豆腐と同じくらい、温度は凝固するギリギリの68度にして、ステーキ用豆腐と同じ凝固剤を最小限の量加え、じっくり時間をかけて凝固させ、型枠に入れ、ステーキ用豆腐より軽い重しで水抜きします」

「あんかけに使った豆腐は、いわゆる絹ごし豆腐と同じ製法です。絹ごし豆腐は木綿豆腐のように型枠に入れて水を絞るということをしない。穴の開いていない容器に豆乳を入れ、凝固剤を加え、そのまま固めてしまう。だから保水量も多く、滑らかで柔らかい。この豆腐の場合、普通の木綿豆腐より濃い豆乳を型枠に流し込み、凝固剤として硫酸カルシウムを加え、時間をかけて凝固する。甘味があった方が、このあんかけに合うので、大豆は糖分の多い秋田の大豆を使いました」

「料理のために究極の豆腐とは、ある一つの特定の豆腐のことではなく、料理法に合わせて、固さや味の成分をそれぞれに変えて作ると言う思想のことなのです」「いや、お見事」「豆腐の本質がこれではっきりしたわい」

続いて至高の豆腐料理が出され、究極と全く同じ料理であるが、味では勝る豆腐料理が出される。「同じ料理なのに至高の方が美味しい」「味が軽くて、純粋。なんとも上品」「なぜこんなことに」

説明する海原。「先日、勝負のやり直しになった時、先に手の内を見せた究極側が不利だと言う声が上がった、それで我々は前回、究極側の作ったのと同じ料理を作ることにした。ところが究極側はよほど自信があるらしい。同じ料理を出すことで、かえって至高と究極を厳しく比較させることになった」

「究極側の豆腐の作り方はこうだ。大豆と水をすりつぶし、煮てから漉して、豆乳とオカラに分ける。煮てから豆乳を取るので、煮取り法と言う。一方我々は大豆に水を混ぜて、すりつぶしてそのまま漉す。生のオカラと生の豆乳が出来る。生取り法とも言う。我々の作り方、生取り法の場合は、豆乳に取った後で煮る。豆乳だけで煮るから、純粋で上品で優雅な味に仕上がる。煮取り法の場合、オカラも一緒に煮る。だから味も濃い代わりに、豆の皮なども煮ることになり、余計なアクが出るのだ」

「では、審査結果を発表します。今回の豆腐勝負、引き分けとします。やはり先に手の内を見せた究極側の不利は変わらなかったようですし、至高側の料理は究極側の改良であって、独創とは言えません」呟く栗田。(もし海原雄山があの至高の豆腐で別の豆腐料理を作っていたら、多分負けていたわ)

山岡と栗田と会う尾田とたか子。「たか子さんのお兄さんが家に戻ってきたんだ」「海原先生は美食倶楽部で使う豆腐を専門に作る為に、兄に家に戻れと言ってくださって」「よかったわ。これで、たか子さん、安心して結婚できるわね」「結婚できるなら、尾田以外に相手を探した方がいいと思うが」「山岡。お前のような出来損ないは豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」

一人酒を飲む海原。「私は少なくとも勝ったとは言えんな。こんな日が来るとは。むう。士郎のヤツめ」