平野恵一ベスト10 | ロロモ文庫

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平野恵一は桐蔭学園高に進学し3年時には主将として1997年夏の甲子園に出場し、1回戦で如水館高を破るも、2回戦の西京高では延長10回の末に敗退し、高校卒業後は東海大に進学し、遊撃手のレギュラーとして4年時の1981年に全日本大学野球選手権で優勝し、リーグ戦通算82試合出場、305打数98安打、打率3割2分1厘, 34打点、ベストナイン6回の実績を残し、2001年のドラフト自由枠でオリックスブルーウェーブに入団します。

2004年は遊撃手から二塁手にコンバートされ、規定打席に到達し、10盗塁と三塁打7本を記録し、2005年は前半戦は3割を超える打率をキープし、規定打席に到達してチームトップの打率2割8分5厘を記録し、オールスターゲームにも出場。2006年は5月6日のロッテマリーンズ戦で、ファウルフライを追って一塁側フェンスに頭から激突して重傷を負って、シーズンのその後を棒に振李、2007年は主に中堅手として出場しますが、一軍と二軍との往復に終始し、2007年シーズン終了後に、濱中治・吉野誠とのトレードで、阿部健太と共に阪神タイガースに移籍します。

移籍初年度の2008年は、2番・二塁手で開幕スタメン出場するなど、3年ぶりに規定打席に到達し、リーグ最多の47犠打を記録して、セ・リーグのカムバック賞受賞。2010年は青木宣親(ヤクルト)に次ぐリーグ2位の打率3割5分0厘, 左打者ながら対左投手の打率は3割9分9厘を記録し、球団新記録となる59犠打も挙げ、いずれも自身初となるベストナインとゴールデンクラブ賞を二塁手部門で受賞します。

2011年も打率2割9分5厘を記録し、前年に続きベストナインとゴールデングラブ賞を二塁手部門で受賞しますが、2012年の後半戦は外野や控えに回されることが多くなり、シーズンオフに国内フリーエージェント権を行使することを表明し、古巣であるオリックス・バファローズへ復帰。2014年は開幕からスタメンで出場し、打撃・守備ともシーズンを通じて安定した活躍を見せるとともに、チームを6年ぶりのAクラスに導きますが、2015年シーズン限りで現役引退し、通算1260試合に出場し、2割7分9厘18本塁打263打点60盗塁をマークしたわけです。

10位は58試合に出場し2割1分6厘1本塁打11打点5盗塁をマークした2007年。9位は56試合に出場し3割1分3厘0本塁打14打点1盗塁をマークした2013年。8位は115試合に出場し2割6分3厘1本塁打21打点7盗塁をマークした2008年。7位は120試合に出場し2割6分8厘1本塁打28打点5盗塁をマークした2014年。6位は118試合に出場し2割8分5厘3本塁打33打点6盗塁をマークした2005年。

5位は134試合に出場し2割4分5厘1本塁打24打点6盗塁をマークした2012年。4位は124試合に出場し2割7分9厘6本塁打39打点10盗塁をマークした2004年。3位は132試合に出場し2割7分0厘0本塁打18打点3盗塁をマークした2009年。2位は142試合に出場し2割9分5厘1本塁打29打点6盗塁をマークした2011年。1位は139試合に出場し3割5分0厘1本塁打24打点6盗塁をマークした2010年となるわけです。