武智文雄ベスト10 | ロロモ文庫

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武智文雄は1941年に岐阜商野球部に入りますが夏の甲子園が中止になったこともあり中退し、戦後は岐阜のノンプロチーム大日本土木に所属し、同チームの戦後初となる都市対抗野連覇に貢献した後、1950年に新設の近鉄パールスへ入団します。

1954年には26勝を挙げ、南海の宅和本司と並び最多勝利を獲得し、1955年6月19日の大映戦で、プロ野球史上2人目の完全試合を達成。同年8月30日の大映戦でも9回1死までパーフェクトに抑えますが、代打・八田正にセンター前にヒットを打たれ2度目の完全試合を断たれ、1962年オフに現役を引退し、通算401試合に登板して、100勝137敗防御率2.97をマークしたわけです。

10位は23試合に登板して2勝11敗防御率3.77マークした1959年。9位は21試合に登板して3勝4敗防御率2.71をマークした1960年。8位は29試合に登板して4勝15敗防御率3.93をマークした1953年。7位は31試合に登板して4勝10敗防御率3.80をマークした1958年。6位は44試合に登板して9勝18敗防御率3.79をマークした1952年。

5位は39試合に登板して9勝13敗防御率3.11をマークした1957年。4位は40試合に登板して10勝16敗防御率2.56をマークした1955年。3位は39試合に登板して15勝15敗防御率2.70をマークした1951年。2位は45試合に登板して16勝16敗防御率2.43をマークした1956年。1位は47試合に登板して26勝15敗防御率2.16をマークした1954年となるわけです。