作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(220)」 | ロロモ文庫

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カレー勝負(9)

至高のカレーはカレーの真髄だと言う海原。「至高のカレーの材料は豚のバラ肉だ」「なに。それじゃそこらのカレーショップのポークカレーと同じ」「これは至高のカレーかい」「栃川さんの店のポークカレーとどこが違うのかしら」「まずは、召し上がっていだこう」

その異次元の旨さに驚く一同に至高のカレーについて説明する海原。「このカレーの香りが新鮮で鮮烈なものに感じられた理由を説明しよう。その理由の一つは諸君は今までお仕着せのカレー粉の香りに慣らされていたからだ。絵画でいえば、このカレーは点描派の画家、スーラの絵に例えられるかもしれない」「点描派?」

「点描派は絵の具をパレットで混ぜず、単独色をキャンパスに点々と置く。近くで見ると、それらは独立した色の点だが、距離を置いて見ると、共調して一つの色調を作り出す。その色調はパレットの上で合成したのでは得られない鮮烈さを持っている」「なるほど。点描派に色調は個々の色の鮮度を失わない。それがこのカレーと言うことか」

「その通り。そこで究極のカレーとこのカレーの香りと味の組み立て方を比べてもらいたい。究極のカレーの方が単調と言うことに気づくはずだ」「うむ。至高のカレーを三階建ての家とすると、究極のカレーは平屋建てのようやな」「言われてみれば、至高のカレーは香りと味が何層にも重なってるみたいに感じるわ」

「では、どのようにして、この重層的な味と香りが出たか説明しよう。まずこのカレーソースだが、鍋で玉ねぎを炒め、鶏の首の部分を入れ、ショウガとニンニクのペーストを加える。そこに香料とヨーグルトを入れる」「山岡さん、これはクレシさんのスープの作り方とまったく同じじゃありませんか」「うぬ。海原雄山はわざと同じ方法を取っているんだ」

「一方、豚のバラ肉に香辛料などを塗り込んでよく揉み、そのバラ肉を二つ折りにしてヒモで縛る。その次にその肉の外側にある物を擦り込んでやるのだが、その擦り込む物が、この至高のカレーの味と香りの層を一歩増やす効果を生んだ秘密なのだ。それは私がインドから持ち帰ったもので、チャック・マサラと言う」「チャック・マサラ?」

「このマサラの基本はクレシさんの作ったガラン・マサラだ。それにクミンをさらに足し、黄色い唐辛子の粉を加え、そしてアムチュールの粉を加えた」「インドの梅干しであるアムチュールを」「表面にたっぷりチャック・マサラを擦り込んだ肉を蒸し、ソースはガラン・マサラで味を整える。豚肉を一口大に切り、ソースの中に入れて、軽く煮て、これで出来上がりだ」

おわかりいただけたかと呟く海原。「生の独立したスパイス群。そのスパイス群を調和するように整えるガラン・マサラ。肉の下味のチャック・マサラ。この至高のカレーの香りの構造は三層になっているのだ。カレーの真髄とは何か。材料にカツオブシを使うことか。牛や豚の代わりに蟹を使うことか。そうではあるまい。カレーの真髄はスパイスだ。いかにスパイスと材料を取り合わせるか。それがカレーの真髄だ。ありふれた材料である豚肉を使って、味と香りを重層的に構築してみせる。これこそがカレーの真髄と言うものだ」

蒼ざめる山岡。「負けた。俺は香りを平面的に単純にとらえて」いいやと呟く京極。「山岡はんのは確かに海原さんのに比べると単純やが、単純には単純の良さがある。カレーは単純な旨さが必要や」「うぬ。雄山のカレーもええが、これで魚介類を使うと、わしら日本人の好みではないな」「点描派の絵のような至高のカレーに比べると、究極のカレーは日本画風に見えたが、日本画にもその良さがある」

結論を出す審査員。「究極のカレーは実に自由な発想の元に、新しいカレーの味を私たちに教えてくれました。一方、至高のカレーはカレーの真髄とは何か教えてくれました。両方とも非常に素晴らしいもので、優劣をつけられません。よって、今回は引き分けとします」

ぬうと呻く海原。「士郎。蟹のカレーが大衆受けしたに過ぎん。お前にはまだスパイスの使いこなしが出来ておらん。今回の本当の勝者は誰か。お前にはわかっているはずだ」「うぬ」