作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(181)」 | ロロモ文庫

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真心の正月

ニューギンザデパートで一流料亭を集めて「おせち料理大会」を催した板山は山岡と栗田をデパートに呼ぶ。「しかし最近は料亭から買うのが流行ってるんですかね。おせち料理は自分の家で作ってこそ、お正月気分が出るのに」「ははは。ま、あんまり堅いことを言うな」

「では今度は料亭「金欄楼」のおせち料理を拝見します」「金欄楼は高級で売りながら、あちこちに出店している店ね」「凄いよ。金欄楼は日の出の勢いだね。来年はパリとニューヨークにも進出すると言うんだからね」

「では金木社長に説明していただきましょう。金欄楼のおせち料理の特徴はどんなところですか」「それは金欄楼のいつもの主張通りです。一言で言えば、豪華な夢です。だいたい、おせち料理なんて、日本が貧しかった頃の遺物ですよ。昆布巻きとかゴマメとか黒豆とか、貧乏くさくてイヤですねえ。日本は今や世界でも指折りの豊かな国なんです。貧乏な時には贅沢をしたらバチが当たったけれど、豊かになった今、贅沢をしなければバチが当たります」「なるほど」

「では、私どものおせちをご覧ください」「ひゃあ、豪華だわ」「これは伊勢海老のグラタンね」「ローストダックに蒸しアワビね」「フォアグラのパテにはトリュフ。そしてキャビア。すごいなあ。世界中の珍味だよ」「素晴らしいお料理ですね。これ全部でおいくらするんですか」「30万です。晴れのお正月ですからね。少々値は張っても、こんな具合に豪華絢爛に行きたいものです」

「続いてはお隣の「深倉」に参ります」「あら。岡星さんだわ」「社長の深倉さんにお聞きします。おたくのおせちの特徴は何でしょう」「あくまでも伝統を守ると言うことです。新しい発想を盛ることも大事ですが、やはり日本人のお正月と言う線を崩してはならないと思います。ですから、うちのおせちは昔ながらの伝統的な物です。おせち料理は正月を祝う伝統文化の一部門だと思います。単に贅沢なご馳走を並べただたけでは、伝統行事の意味が失われるのではないでしょうか」

深倉を嘲る金木。「伝統伝統と言ったって、時代の移り変わりを無視しては仕方ないだろう。伝統だって時代によって変わるんだよ」「む」「第一、食べる人に喜んでもらえなかったら、何の意味もないじゃないか」「うちのおせちはみんなに喜んでもらえるとも」「そうかな。お客さんにお訊ねします。金欄楼と深倉とどちらのおせちが魅力的ですか」

「金欄楼」「予算が許すなら金欄楼のおせちを買いたいよ」「……」「伝統を守るとカッコいいことを言ってるが、お客さんが、今何を求めているか気付いてないだけじゃないか。だからおたくは昔のままのちっぽけな店で苦労してるんだよ」「ぶ、無礼な」「よせ、深倉」

岡星に行く山岡と栗田と板山。「へえ、あの深倉の社長と友達なの」「中学時代の同級生です。私が料理の道を志したのは深倉のおかげだと思います。深倉と一緒に私も店の調理場に入れてもらったりしてるうちに、すっかり料理にひきつけられてしまったんです」「深倉って歴史のあるお店なんでしょう」「はい。元は京都で10代以上続いてるお店ですが、大正のはじめに東京に出てきたんです」

そこに現れた深倉に栗田と山岡を紹介する板山。岡星に協亜商事の申し入れを飲むと伝える深倉。「なに。深倉をチェーン店にすると言うのか」「俺は今まで馬鹿正直にうちの店の伝統を守ることに全力を注いできた。その結果、東京にやってきて以来そのままの小さな店をかろうじて維持してるだけだ。それに引き換え、金欄楼は」「お前、金欄楼にヤキモチを焼いているのか」「悔しいだけだ。金木にあんなことを言われるのも、俺に金と力がないからだ」「金と力がそんなに大事なものなのか。お前と俺が一緒に考えた料理についての考えは」「俺はもう決めただ。今日はそれを言いに来たんだ。じゃあな」

嘆く岡星。「チェーン展開なんて、金儲けのためのビジネスです。魂のこもった料理とは無縁の世界です」反省する板山。「うちの催しに深倉さんに参加してもらったのは悪かったようだな」「板山社長、一肌脱いでください。深倉さんと岡星さんのために」

おせち料理大会のお疲れ会を開く板山。「なお。本日の料理は、銀座・岡星の主人が担当しました」山岡にこれでいいのかと聞く板山。「あとは深倉さん次第でしょう」岡星の料理は素晴らしいと呟く栗田。「全力投球ね」「一段と冴えているな」「これが何かの役に立つの」「見てごらんよ。深倉さんは岡星さんの料理を恐ろしく真剣な表情で味わっている。岡星さんの全力投球をちゃんと受け止めているようだぜ」「いよいよ食事も終わり。しめくくりのお菓子ね」

お菓子を見つめる栗田。「これは何?」「いいから食べてみろよ」「まあ、いい香り。優しくてしみじみして。人の心の温かさをそのままお餅にしたみたいな」「トチ餅だよ。トチの実を餅米と一緒いついたんだ。と、口で言うと簡単だが、実際はとても大変なんだ」「へえ、そうなの」

吐き捨てる金木。「まったくイヤになるねえ。田舎くさい料理ばかり次から次へと出たかと思ったら、最後にトチ餅だとさ。冗談じゃないよな。どうしてこんなに趣味が悪いんだろう」「岡星の料理の味はわからないような鈍い感性でなくては、食べ物をビジネスにできないんだな」「なんだと」「いい勉強をさせてもらったよ。これで二度と俺はお前と比べて、自分をみじめだと思ったりすることはない」「ふん。貧乏料理人め」

座敷に残る山岡と栗田と岡星と深倉と板山。「トチ餅はどうやって作るか知ってますか」「いいえ」「獲ったトチの実は乾燥させて保存しておきます。トチ餅を作るには、これを水に2、3日つけて戻すことから始めます。実が水を吸って膨らんだら、60度くらいのゆるま湯につけて、皮をむきます。そして、さらに5日間ほど水にさらすのです」「最初に2,3日、水につけて、また5日も水にさらすのか」

「トチの実のアクを抜くためです。そして、その実を中心まで温めてやります。煮えてしまうといけないので、火にかけて熱を加えることはせず、80度くらいの湯につけて、冷えたらまた80度の湯に変える、と言うことを繰り返して、トチの実を芯までゆっくり温めます」「火にかけないで、お湯を何度も変えるの?」「大変な手間だね」

「一方、木の灰を用意して、湯でドロドロに溶きます。そこに温まったトチの実を入れて、保温性のよい容器で、一昼夜おきます。ここまでしてやっとトチのアクが抜けるのです。さもないと苦くて食べられません。灰を洗い流して、トチの実に餅米を倍量くらい混ぜて、蒸しあげます。これをついて、トチ餅が出来上がります」

「さすがは深倉さん」「そりゃそうです。このトチ餅の作り方は、私と岡星が以前、京都花背の「美山荘」まで行って教わったんです」「思い出のトチ餅だ。料理の世界からビジネスの世界へ出ていくお前へのはなむけとして、作らせてもらったよ」

「岡星、折角だが、俺はビジネスの世界には行かないよ」「え」「一見地味で不細工なトチ餅だが、ここには自然と格闘してきた人間の英知と美味しい物を人に食べさせてやりたいと言う愛情が溢れている。こんな素晴らしい料理の世界をどんなに金を積まれたって売れるもんか。チェーン店なんてまっぴらだ。俺は一生、小さな料理屋の親父で終わることにするよ」「深倉」

「だが、お前、ヘマをしたな」「え」「美山荘の板前さんが、混じりっ気なしのカシの木の灰でないと、トチの実のアクは完全に抜けないと言ったのを忘れたか。お前のトチ餅、わずかだがアクが残っていた」「うっ。マキの中に他の木材が紛れ込んでいたか」「お正月までに10日ほどありますから、私が岡星より美味しいトチ餅を作って、皆さんにお届けしましょう」「こいつ。お前には負けないぞ。私ももう一度作り直してお届けします」