石井一久ベスト10 | ロロモ文庫

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石井一久は東京学館浦安高では甲子園出場はなりませんでしたが、1991年(3年次)には夏の千葉県大会4試合で52奪三振を記録し、5回戦で銚子商で0対1で敗れますが、同年のドラフト会議では、ヤクルトからの1位指名を受け入団します。

1992年は12試合に登板したが勝敗は付きませんでしたが、日本シリーズ第3戦では史上初の「レギュラーシーズンで未勝利の高卒新人ながら先発登板」を果たしますが、4回に2点を失って降板となり敗戦投手となり、1993年8月3日の阪神戦でプロ初勝利を達成すします。

1995年は初の規定投球回数到達と2桁勝利(13勝)を達成し、2年ぶりのリーグ優勝・日本一における中心選手の一人となり、1997年9月2日の横浜戦で史上65人目となるノーヒットノーランを達成。この年の日本シリーズでは第1戦に先発し、当時日本シリーズタイ記録の12奪三振で完封。第5戦もリリーフで2勝を記録して日本一に貢献し、自らもシリーズ優秀選手に選出されます。

1998年は自己最多の14勝を挙げ、自身初の最奪三振を獲得したほか、シーズン三振奪取率11.047の日本新記録を樹立。1999年は2年連続の開幕投手を務め、2000年は3年連続の開幕投手を務め、9月8日の巨人戦から10月5日の阪神戦まで34回1/3連続無失点を記録するなど、セ・リーグの最優秀防御率と最多奪三振の二冠に輝きます。

2001年は4年連続の開幕投手を務め、12勝を挙げて優勝に貢献し、近鉄との日本シリーズでは初戦に先発し、8回を1安打12奪三振の好投で勝利し、日本シリーズ優秀選手賞を受賞し、2002年1月にロサンゼルス・ドジャースと契約を結び、2005年開幕直前、ニューヨーク・メッツへ移籍し、2006年1月にヤクルトに2年契約で復帰します。

2007年シーズン終了後、FA権を行使して西武へ移籍し、2008年3月29日のソフトバンク戦でNPB通算100勝を達成。巨人との日本シリーズでは第3戦に先発するも6回5失点で敗戦投手になるも、第7戦に3回からリリーフで登板すると2回を抑え、結果的にチームは日本一となりました。

2011年8月7日のソフトバンク戦でプロ野球20人目となる通算2000奪三振を達成。記録達成に要した投球回数は1967回2/3で、これまでの最速記録保持者だった江夏豊を超えるプロ野球最速記録となり、2013年は中継ぎでの7試合の登板に終わって現役引退し、419試合に登板して、143勝103敗1セーブ4ホールド防御率3.63をマークしたわけです。

10位は18試合に登板して9勝6敗0セーブ0ホールド防御率3.70をマークした2010年。9位は22試合に登板して9勝9敗0セーブ0ホールド防御率4.29をマークした2009年。8位は18試合に登板して10勝4敗0セーブ0ホールド防御率1.91をマークした1997年。7位は24試合に登板して10勝5敗0セーブ0ホールド防御率3.33をマークした2012年。6位は29試合に登板して10勝9敗0セーブ0ホールド防御率2.61をマークした2000年。

5位は25試合に登板して11勝10敗0セーブ0ホールド防御率4.32をマークした2008年。4位は26試合に登板して11勝7敗0セーブ0ホールド防御率3.44をマークした2006年。3位は27試合に登板して12勝6敗0セーブ0ホールド防御率3.39をマークした2001年。2位は26試合に登板して13勝4敗1セーブ0ホールド防御率2.76をマークした1995年。1位は28試合に登板して14勝6敗0セーブ0ホールド防御率3.30をマークした1998年となるわけです。