青山久人ベスト10 | ロロモ文庫

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青山久人は国府高校では1975年の夏の甲子園愛知県予選では決勝で愛知高を降し、無名の公立高校を1975年夏の甲子園に導き、1975年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。1年目から一軍で先発ローテーションの一員として登板し2勝を挙げ、2年目には6勝を挙げる活躍を見せ、1985年に南海ホークスに水谷茂雄とのトレードで移籍し、1987年シーズン限りで引退し、通算202試合に登板して14勝25敗4セーブ防御率5.12をマークしたわけです。

10位は2試合に登板して0勝0敗0セーブ防御率3.00をマークした1984年。9位は10試合に登板して0勝0敗1セーブ防御率12.38をマークした1982年。8位は8試合に登板して0勝1敗0セーブ防御率6.43をマークした1979年。7位は19試合に登板して0勝2敗0セーブ防御率3.55をマークした1987年。6位は21試合に登板して0勝0敗0セーブ防御率6.75をマークした1986年

5位は20試合に登板して1勝1敗0セーブ防御率5.21をマークした1981年。4位は34試合に登板して1勝7敗0セーブ防御率5.14をマークした1978年。3位は24試合に登板して2勝7敗0セーブ防御率6.30をマークした1976年。2位は20試合に登板して4勝3敗1セーブ防御率4.44をマークした1980年。1位は44試合に登板して6勝4敗2セーブ防御率4.23をマークした1977年となるわけです。