作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(72)」 | ロロモ文庫

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食べない理由(後)

なるほどと呟く周。「仏跳廠ね。しかし稲森社長は大変な食通なのでしょう。仏跳廠のことはご存知だと思いますが」「いえ。稲森社長は中国料理のことはほとんど知らないのです」「ほう。それはどうして」「先日、お宅に伺った時、中華料理は化学調味料を使い過ぎるのでイヤだと仰られました」

「稲森社長の言うとおりです。今の中華料理は化学調味料に頼りすぎています。これからの中華料理は素材の味を生かした本来の味付けを大事にしていかなくてはと思います」「稲森社長はそういう訳で、中華料理を毛嫌いしたので、中華料理のことをよく知らないようです」「なるほど。では仏跳廠のこともご存知ないでしょうな」「それで周さんにご協力願たいのです」

稲森を除名すべきだと言う他の研鑽会のメンバーに待ってくれと頼む板山。「最後にもう一度だけ稲森社長にチャンスを与えてほしいんです。来週中に研鑽会の臨時集会を開いて、私がある男に頼んで、特別料理を作らせます。それも難癖つけて食べないとなれば、稲森社長を除名するのもやむを得ないと思います」「特別料理って何です」「究極のメニューの一つ。仏跳廠」

大王飯店に強引に稲森を連れて行く板山。「今日の臨時集会の議題は何ですか」「ええと、銀座祭りに何か催しものを出そうと」「私は中華料理が嫌いなのはご存知でしょう」「まあ、試すだけ、試してください」「おや、君たちは」「今日は板山社長のお手伝いです」

予想通り、出される料理に難癖をつけて手をつけようとしない稲森。「お待ち遠さま。本日の特別料理、仏跳廠です」「え、これが特別料理?」「ただのスープじゃないの」「ふざけるな。これのどこが究極のメニューなんだ」

いやと呻く稲森。「これはただのスープではない。この香り。実に様々な成分が絡み合って、何とも複雑で豊穣な香りに。色は実に深い琥珀色だ。しかも、いささかのにごりもなく透き通っている。ああ、この香りを胸の奥まで吸い込むと、何やら押さえがきかなくなってくる。ううう」

とうとうスープを飲んでしまう稲森。「今まで味わったことのない美味だ。体の芯がゆさぶれる」「やった。ついに稲森社長に食べさせた」「おおお。これは旨い」「山岡君。この料理を説明してくれたまえ」

説明する山岡。「この料理の名は仏跳廠。仏とは僧侶を意味します。廠は塀のこと。修業中の坊さんでもこの匂いを嗅ぐとたまらなくなって塀を飛び越えてやってくると言う意味です。仏跳廠の作り方は複雑なものではありません。器に材料を入れ、蓋に紙で目張りをして、蒸すだけです」「どれくらい?」「6時間から8時間」「そんなに長い時間。それは大変だ」

「大変なのは材料です。今日入れた材料をお見せしましょう。干したアワビ、干した貝柱、ナマコ、魚の浮袋、シイタケ、山椒魚、鹿の尾、烏鶏、朝鮮人参、クコ、ハクビシン」「そんなにいろんな材料を使ってるのか。とても私なんかに見当がつくはずはなかった。中華料理は奥が深いな。化学調味料に頼らず作らせればいいわけだから、毛嫌いを改めて、研究してみるかな」

「仏跳廠は中にどんな材料を入れるかで、いろいろな味の物ができます。今日の仏跳廠は美味しさもさることながら、体に滋養をつける漢方材料を足した。稲森さん、これは奥様にぴったりだと思いますが」「えっ」「どうして、いつも研鑽会の席で、物をお食べにならないかわかりました」「……」「先日の取材の時の写真をお届けにあがった時、奥様にその理由を伺ったんです」

『私も主人も美味しいものを食べるのが大好きなんです。でも私が体を壊してからと言うもの、主人は願をかけて、私の体が治るまで、外で美味しいものを食べるのを断つと言って。ですから、外で会があっても、食事をせずに帰って、主人が自分で料理を作って、私と2人で食事をするんです。私、早く体を治したいと思います』

「それでいつも召し上がらなかったんですか。言ってくださればよかったのに」「申し訳ありません。女房のためだなんて照れくさくて言えないから、食通ぶってみせまして」「でもこれでわだかまりがとけました」

「稲森さん。あなたほどに料理の腕なら、この仏跳廠をご自分で作れるはずだ。奥様の体のために最高の料理だと思います」「ありがとう。究極のメニュー、仏跳廠に挑戦してみます。一つお願いなんですが、仏跳廠があまりに旨そうなので、願をかけたのを忘れて、うっかり一杯飲みほしてしまったもとを、女房には内緒にしてください」