作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(68)」 | ロロモ文庫

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二代目の腕

天ぷら屋の「銀屋」は東京でも有数の名店だと岡星に言う山岡。「以前に何度か言ったことがある。名人と言われた主人が二か月前に亡くなったと聞いたけど」「私の友人である息子の則夫が跡を継ぎました。腕の方は亡くなった父親にひけをとらないと思います」「じゃよかったね。銀屋は安泰というわけだ」「それがうまくいかないんで、山岡さんの知恵をお借りしたいんです」

親父が死んで今までの客の足が遠のいたと山岡に言う則夫。「私の代になってまずくなったと仰るんです。どうしてだか私にはわからない。ネタだって油だって親父の頃に絶対負けないいいものを使っているんです。腕だってそんなに」「山岡さん、いかがでしょう。先代の天ぷらと則夫の天ぷらを比べて」

「俺はそんなにみんなが言うほどのことはないと思う。今日食べた天ぷらは見事な出来だった。これだけの天ぷらを食べさせる料理人は滅多にいない」「本当ですか」「嬉しいな。実は私もそう思っているんですよ」

問題は亡くなった親父さんが名人だったことだと言う山岡。「名人として崇拝されていた人の後に、同じ程度の天ぷらを出したんでは低く評価されると言うことだ」「そうか。則夫は親父さんより腕が上がって、初めて親父さんと対等に評価されるんだ」「無茶言うな。親父より腕を上げることが一朝一夕に出来るか」「いや、諦めることなない。天ぷらを揚げる技術はそんなに突然進歩したりはしないが、どこか目覚ましい改良の余地があるはずだ」「え。どういうことですか」

一ヶ月後、かつて常連だった大原を銀屋に招く山岡。「最後はかき揚げでご飯を召し上がっていただこうと思います」「うん。いいね」「では、ヌカヅケをどうだ」「むう。いい香りだ。こんな旨いヌカヅケを数年来、食べたことがない」「ヌカ選びから始めて、自分の家でつけたヌカヅケなんです」「ヌカ選び?」

説明する山岡。「最近のヌカヅケがまずいのはヌカが悪いからです。今、日本の米作農家が稲に農薬を浴びせて、米作りをしています。単位面積当たり欧米の6、7倍の農薬を使います。米を精米すると、そのヌカの部分に農薬が一番沢山残留するんです」「それじゃ、そんなヌカで作ったヌカミソは危険じゃないか」「それに、そういう育て方の米は旨くない。当然、米ヌカも旨くない」

「この二つのヌカを比べてください」「うえ。いかにも、ヌカだよ。まずい」「では、こちらを」「え。これで同じヌカかい。キナコみたいに甘くて香りがいい」「最初のヌカは米やで売っている米のヌカ。二番目のヌカが農薬も除草薬も使わず、緑健農法で育てた米のンヌカです。今、お出ししたご飯はその米をこの店で精白して炊いたものです」「道理で新鮮な風味だと思った。そうか。いい米だからヌカも旨いと言うわけか」

ヌカヅケの作り方を説明する山岡。「まずヌカを煎ります。次に沸騰した湯に塩を溶かした物を、冷やしてから煎ったヌカに合わせます。漬物は乳酸発酵で味が出る物だから、発酵を促進するためにビールやヨーグルトを入れてやったりします。味を良くするために、鷹の爪や昆布やショウガを入れ、ナスの色を美しく出すために釘を入れたりします。ヌカミソを発酵させる菌はどこの家にも自然に存在しますが、家によって同じ菌でも微妙に性質が違います。菌の違いによって、家によってヌカヅケの味が違うんです」

「家つきの菌か。ヌカミソは神秘的だな」「このヌカヅケが旨いのは、ここの家に住み着いている菌も良かったと言うことです」「うむ。天ぷらの油の香りにやや飽きたところに、この漬物を一口食べると、舌も鼻もまた新しい感覚を取り戻して、かき揚げがひときわ旨くなる。いや旨かった。お前さん、死んだ親父さんに迫った。わずか一か月でこれほど腕を上げるとは」

それは違うと言う山岡。「則夫さんは一か月前もこれだけの天ぷらを揚げていたんです」「それはない。この前は不満に思ったもの」「それは亡くなった親父さんの印象が強すぎたからです。今日満足できたのは、則夫さんが親父さんより絶対に上に行くものを作ったからです。それがご飯と漬物です。二つが与える満足感が亡くなった先代の名声による呪縛から解き放ったのです」

なるほどと呟く大原。「亡くなった親父さんを崇拝するあまり、若主人の真の力を見損なっていた。どこか一点で、亡くなった親父さんを超えることが必要だったわけだ。いや見事だ。このまま、精進すれば親父さんを抜く名人になるだろう」「ありがとうございます」