作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(25)」 | ロロモ文庫

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肉の旨味

山岡と栗田を華麗で独創的な前菜と日本で一番美味しいと言われる大南牧場の牛ステーキで評判をとっているステーキハウス「ラ・ボーグ」に招く三谷と花村。「うさぎ肉のゼリー寄せなんてちょっと抵抗があったけど美味しいわ」「このお店、ステーキハウスと言うより、洒落たフランス料理の店みたい」「それで若い女の子に受けたのよ。普通ステーキ店ってドカッと食べさせるだけでしょう。女の子にとってはこんな洒落た前菜があった方が嬉しいもの」「ほんとに若い女のお客さんが多いね」

そこに現れるセイウチのような大男。「300グラムのサーロインとヒレを一枚ずつレアでな。ソースはかけんでくれ」「ソースはかけないんですか」「そうだ。塩だけにしてくれ」「お客様、当店のソースは肉汁にトリュフを刻み込み、マディラ酒で仕上げた自慢のソースです。ステーキに素晴らしく合いますが」「いらん。余計なことはせんでいい。甘ったるいソースなんてお断りだ」「そうですか。何か前菜は」「いらん。おままごとみたいな料理なんか食いたくない。ここはステーキ屋だろう。ステーキだけ持ってこい」

ステーキを食べてすぐに号泣する大男。「お客様、どうしたのですか」「ううう、あんたがシェフか」「はい、シェフの村石です」「ううう。このステーキがまずいんだ」「何ですって。私の焼いたステーキがまずい?」「そうさ。これはひどすぎる」「あんたは何なんだ。前菜はいらない、ソースをかけるな、と、私の料理をバカにして。何かもめ事を起こして、うちの営業を妨害に来たのか」「ううう」「うちの店の肉は大南牧場の牛の肉だ。日本一の味と評価されている牛肉だ。それをまずいなんて、あんたは何もわかってない」

「わかってる。私は大南牧場の当主の大南だ。この肉は私が育てた牛のものだ」「え」「私は自分の牧場の肉を出荷した店を回って歩くのが楽しみなんだ。自分の娘を嫁に出した父親が娘の嫁ぎ先を訪ね歩くようなもんだ。私が苦労して育てた肉はどこでどう扱われているか気になって仕方がないんだ」「……」

「この店でうちの肉が使われてることをつい最近知った。評判の高い店と聞いたので、期待して来たが、出されたステーキを食べてがっかりした。私が育てた牛の肉をあんたはメチャクチャにした。私はこの無残な肉の扱われ方を見ると悲しくてしょうがない」「しかし、私の肉の扱いのどこが悪いと」「今日以降、この店には大南牧場の肉は入れさせんから、そのつもりで」

店を出る山岡たち。「前菜はなかなか良かったけどね」「どうしてステーキがダメなんですかね。ステーキ専門店なのに」「あの前菜の出来からすると、感覚は優れているはずなのにな」「実は僕、ステーキを焼く名人を知ってるんですよ。自分では店を持たず、頼まれると出張して、ステーキを焼くんです」「小網町の伝助老人かい」「山岡さんも知ってるんですか。さすがだな」「ふうん。伝助老人ねえ」「さっきのシェフ、可哀想な気がして」「戻ろう」

事情を話す村石。「私は元々フランス料理専門なんです。フランスに17の時から、10年いました。その間に華麗な料理を創作する魅力にとりつかれたんです。10年ぶりに日本に帰ってくると、フランス料理のレストランが無数に出来ていて、自分で店を出すなら何か特色を出さなければならないと思ったんです」「そこでフランス料理とステーキをあわせたような店を作ったんだな」

「そうです。華麗な料理を創作する喜びは前菜作りで得られますし、レストランとしての儲けはステーキで得られるし、この形なら婦人客を掴めると計算したんです。しかし私は重大な過ちを犯してました。私はステーキをバカにしていた。フランスではステーキとジャガイモが日常的なので、そんなものは料理じゃないと思い込んでしまったんです。肉さえよければあとは適当に焼くだけでいいと思って、本気で勉強しなかった」「でも、あれほど、素晴らしい前菜を創作した村石さんだもの。伝助さんに学べば大丈夫ですよ」「え、伝助さん?」

早速、ステーキの焼く比べをする村石と伝助。「焼き方はレアだ」肉を焼き上げる村石と伝助。「さあ、皆に食べ比べてもらおうじゃないか」「はい」

「まず村石さんのだ」「お肉が冷たいんですよね」「え、でもレアなんだから」「そこが問題だ。伝助さんのを食べてみましょう」「ほんのり温かいわ。それに凄くジューシーで、肉汁が口の中にじゅっと広がる」「伝助さんの方がずっと美味しい」「どうしてだ。両方とも見た目は同じレアなのに」「はっはっは。ステーキのレアってのは普通のナマとは意味が違うぜ。火が十分に通ったナマのことなんだ」「え。どういうことですか」

説明する山岡。「村石さんのレアの焼き方は火が全然中まで入っていない。文字通りナマだ。だから冷たいままだ。これなら肉の刺身と変わりはない。特にサーロインは肉の中に入り混じった脂肪が、室温では固まったままだ。固まったままの脂肪は溶けなければ旨味を与えられないから、人肌より少し高めの熱を加えてやる必要がある。しかし火を通し過ぎると、蛋白質の部分が固まってしまう。脂肪分は溶けるが、蛋白質は固まらないギリギリの温度にしてやることだ」

「そうか。それが肉に十分火が通ったナマと言うことなのね」「そうだ。しかもその程度に温めてやると、赤身の部分もナマと時とは違った旨味を持ち、ジューシーになる」「前もって強火で肉の両面を固めておくと、中の肉汁が外に逃げないんだ」「そうか、両面を焼き固めると、濡れ布巾でフライパンを冷やす。それから蓋をして弱火でゆっくり時間をかけたのは、肉の内部をギリギリの温度にするためだったのか」「どうだい、段取りがわかれば、簡単なもんだろ、ステーキなんてよ」「とんでもない。どうかご教授ください」

飲み込みとカンのいい村石はすぐにステーキの焼き方をマスターし、大南を満足させる。そうかと呟く栗田。(ステーキって、ただ肉を焼くだけだから、かえって難しいのね。単純なものほど難しいってことか)