作:久部緑郎 画:河合単「ラーメン発見伝(10)」 | ロロモ文庫

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大衆料理の味

友人の令子の婚約者の尾島が始めたラーメン屋のまんぷく屋に藤本を連れて行く佐倉。「へえ、随分安いんですね。チャーシュー麵が500円なんて」「俺はあくまでもラーメンは大衆料理と思ってますから」「その割には店に大衆が来てないみただけど」「と、とにかくチャーシュー麵を召し上がってください。何といってもうちの看板メニューですから」

そこに現れる令子の父の中原。「尾島君、先日、「ラーメン屋などに娘をやれるか」と言ったのは失言だった。男の価値はいい仕事をいているかどうかだからな。いい仕事をしている男なら、娘をやることもやぶさかではない。今日は君がそういう男なのか確かめに来た」

令子のお父さんはフレンチレストランのシェフだと藤本に囁く佐倉。「シェ・ナカハラとは言う店の」「シェ・ナカハラと言ったら、赤坂の超高級レストランじゃないか」

チャーシュー麵を一口しただけで結構と言う中原。「なんだ、このチャーシューは。ひどい仕事だ」「いや、ラーメンは大衆料理ですから、お義父さんの作る高級フレンチみたいに、いい食材を惜しみなく使うようなわけには」「私が大衆料理のことを知らないとでも思ってるのか」「え」「しょせん、ラーメン屋などやろうと言う人間のレベルはこの程度か。令子、こんな仕事しかできない男との結婚を許すわけにはいかない」「お父さん」

尾島のチャーシュー麵について語る藤本。「安価なベーシックな食材しか使ってないものの、とても丁寧な仕事で飽きの来ない味に仕上がっています。でも、それはあくまで麺とスープに関してです。肝心のチャーシューは令子さんのお父さんの言った通りです」「それは実は俺もわかってるんです。でも今の値段でラーメンを出すには」「チャーシューがある程度、ダシガラにならざるをえない」「その通りです」

佐倉に説明する藤本。「チャーシューはそもそもは焼豚なのに、ほとんどのラーメン屋では煮豚を使っている。これはチャーシュー用の豚肉が、スープやタレ作りにも大きな役割を果たしているからなんだ。煮豚はまず豚肉を下茹でし、それから醤油などで煮て味付けする。それを多くのラーメン屋では、下茹ではスープで、味付けはタレで煮て行うことで、スープやタレに豚肉の旨味を与えてやるんだ」

「へえ、一つの豚肉が一石三鳥の活躍をしてるわけですね」「でもこのやり方で作ったチャーシューは、スープとタレに旨味を吸い尽くされて、ダシガラとしか言えないパサパサした代物になってしまう。肉がぜいたく品だった時代には、一つの豚肉をとことん活用する妙案だったんだろうけど」

呻く尾島。「確かにチャーシュー用の豚肉とダシ用の豚肉を別々に用意したら、この問題は解決します。でも、そうしたら今の値段は維持できない」「なるほど。あちらを立てれば、こちらが、ってわけですか」

尾島を母校の大学の食堂に連れていき、チャーシュー麺を食わせる藤本。「うまい。肉の旨味も弾力もあって」「でも、これは尾島さんのお店と同じで、豚肉をスープのタレに使った後のチャーシューなんですよ」「信じられない。一体どうやって」「厨房に行きましょう」

尾島に塩漬けして二日ほど冷蔵庫に寝かせた豚肉を見せる食堂のおばちゃん。「そうすることで、余分な水分が抜け、旨味だけが肉の中に凝縮されるんです。この豚肉から余分な塩を落とし、鳥ガラ、豚骨、野菜などを煮込んだスープに入れると、浸透圧の関係で、スープと豚肉の間に中和作用が生じます。スープには豚肉の旨味が流れ込みますが、水分を失っている豚肉にはスープの旨味も浸み込むので、肉自体の旨味が全部流れ出てしまうことはない。こうして、美味しいスープとチャーシューができます」

「なるほど。豚肉を塩漬けにするだけで、こんな簡単に」「あんた、カンタンって言うけど、この方法見つけるのに、私は料理本を何十冊も読んだんだよ」「え」「学食なんて、昔の藤本君みたいに素寒貧のくせして、味にやかましい若僧だらけだからね。金かけられない分、知恵絞らなきゃやっていけないんだよ」

反省する尾島。「俺はロクに知恵も絞ってないのに、金がかけられないだから、チャーシューはまずくても仕方ないと諦めていた。チャーシュー麵を売りにしていて、そんなんじゃお客さんが入るわけないな」「おそらく令子さんのお父さんもそれが言いたかったんだと思いますよ」

再びまんぷく屋に現れた中原にチャーシュー麺を作る尾島。「ほう、このチャーシューはポー・サレか」「え、それは何ですか」「塩漬けした肉をスープで煮ることで、肉にはスープの旨味を、スープには肉の旨味を与える。フレンチでは常識的な技法の一つだよ」「え、フレンチ?」

「君な私がフランス料理のシェフだから、大衆料理のことを知らないと思い込んでいたようだが、何もフレンチは高級なだけのものと言うわけでない。現地には裕福とは言えない人たちが通い詰める大衆食堂があり、昔、パリで修行したころの私もさんざんお世話になったものだ。そうした大衆食堂で判断を抑えるため、質の悪い肉を使わざるを得ない。そこで必要とされるのが知恵と工夫だ。ポー・サレのような」

「一見全く異なるフランス料理とラーメンなのに、同じ技法が役立つなんて」「お客さんに美味しいものを食べてもらいたいと言う気持ちがあれば、最終的には同じような場所にたどり着くのかもしれない」「東西の食文化の違い、高級店と大衆店の違いこそあれ、料理人のやるべきことは一つなんですね。ようやくそのことに気づかせてもらいました」「尾島君、わかってくれればそれでいい。令子をよろしく頼むよ」「ありがとう。お父さん」