筒井康隆「裏小倉」ベスト10(5) | ロロモ文庫

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筒井康隆の短編「裏小倉」は小倉百人一首のパロディで、高校時代の冬休みの宿題に百人一首を覚えさせられたロロモには想い出深い短編でありますが、なんせ百人一首は百句もあって、しかも有名な句は前半に集中しているので、筒井康隆も前半はかなり気合を入れてパロってますが、後半になってあからさまに投げやりになっているのがイヤハヤ南友な状態となっているわけです。

10位は壬生忠見が詠んだ「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」の大意は「私が恋をしているという評判は、早くも広まってしまった。誰にも知られないようにひそかに思いはじめたのだけれど」でありますが、筒井康隆は「こいすてて わがふなはまち たちにけり あとしれずこそ おもいあさめし」とパロディし、「俺の鮒とハマチが鯉を棄てて出発し、行方がわからない。そのために朝飯が重い」と解釈したわけです。
9位は清原元輔が詠んだ「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」の大意は「約束しましたね。互いに涙で濡れた袖を何度もしぼっては、あの末の松山を波が決して越さないように、二人の中も末永く変わるまいと」でありますが、筒井康隆は「ちぎりすて かたわのそでを しぼりつつ すねのけつねり かみころすとは」とパロディし、「片腕をちぎり捨てて片輪にした男の、もう片方の袖を縛り上げ、脛の毛をつめり、あげくに噛み殺すとは、なんということをするのか」と解釈したわけです。
8位は権中納言敦忠が詠んだ「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」の大意は「貴方と逢って愛しあった後の心に比べれば、それ以前の物思いなど無かったようなものだ」でありますが、筒井康隆は「あいみてか のちかこころか うらぶれか むかしかものか ほろかなかはか」とパロディし、「不能」と解釈したわけです。
7位は中納言朝忠が詠んだ「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし」の大意は「もしも逢うことが全く無いのなら、かえってあの人のつれなさも我が身も恨まなくて済むのに」でありますが、筒井康隆は「あのひとの たえてしなずば なかなかに ほねをもみをも ばらばらざらまし」とパロディし、「あいつが絶対死なないのなら、かえって骨や肉がバラバラになってしまうだろう」と解釈したわけです。
6位は謙徳公が詠んだ「あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたずらに なりぬべきかな」の大意は「「かわいそうに」と言ってくれるはずの人も思い当たらないまま、私はこのままむなしく死んでしまうでしょう」でありますが、筒井康隆は「あわれとも いうべきこじき いぬほえて ひのいたずらに もえるべきかな」とパロディし、「哀れな乞食は犬に吠えられ、火遊びの犠牲になって燃えてしまうべきだ」と解釈したわけです。
5位は曾禰好忠が詠んだ「由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋のみちかな」の大意は「由良の海峡を漕ぎ渡る船人が、櫂がなくなって行方もしらず漂うように、どうなるかわからない恋の道であることよ」でありますが、筒井康隆は「うらのとを あけるふなびと かじをたえ かきねもしらぬ まわりみちかな」とパロディし、「裏の戸を開けて入ってきた舟びとは、かじをとりちがえ道に迷い、垣根を乗り越え、大変な回り道をして行ってしまった」と解釈したわけです。
4位は恵慶法師が詠んだ「八重むぐら 茂れる宿の 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり」の大意は「幾重にも雑草の生い茂ったこの寂しい宿に、人は誰も訪ねては来ないが秋はやってきたのだ」でありますが、筒井康隆は「はなむぐら くじれるなどの はげしきに あとこそみえね あきあきしにけり」とパロディし、「はなむぐらというもをくじるなどという激しいことをしているうち、ついに跡形もなくなったので、飽きてしまった」と解釈したわけです。
3位は源重之が詠んだ「風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな」の大意は「風が烈しいので、岩に打ち寄せる波が自分だけ砕けて散るように、つれないあの人の為に私の心も砕ける程に思い悩むこの頃である」でありますが、筒井康隆は「かたをいため のたうつものは おのれのみ くだけてものが かんがえられない」とパロディし、「肩を痛め、のたうちまわっているのは俺一人である。肩の骨が砕けて以来、何も考えられない」と解釈したわけです。
2位は大中臣能宣朝臣が詠んだ「御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ」の大意は「宮中の御門を守る兵士の焚く火が夜は燃え、昼は消えているように、私も夜は恋しさに燃え、昼は身も消え入るばかりに恋の物思いに悩んでいるのです」でありますが、筒井康隆は「あかやもり かじのたぐいの よるはもえて ひるももえつつ ものこそもやせ」とパロディし、「「あかやもり」は火事の枕詞。火事の類が夜も昼も続いて、ものを全部燃やしてしまえ」と解釈したわけです。
1位は藤原義孝が詠んだ「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」の大意は「貴方に逢う為ならば惜しくないと思っていたこの命までもが、お逢いできた今となっては長くあって欲しいと思うようになりました」でありますが、筒井康隆は「きちがいめ おしからざりし いのちさえ ながくもがなと おもいやがるかな」とパロディし、「気違いめ。惜しくもない命なのに、長生きしたいなどと考えてやがる」と解釈したわけです。