筒井康隆「裏小倉」ベスト10(4) | ロロモ文庫

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筒井康隆の短編「裏小倉」は小倉百人一首のパロディで、高校時代の冬休みの宿題に百人一首を覚えさせられたロロモには想い出深い短編でありますが、なんせ百人一首は百句もあって、しかも有名な句は前半に集中しているので、筒井康隆も前半はかなり気合を入れてパロってますが、後半になってあからさまに投げやりになっているのがイヤハヤ南友な状態となっているわけです。

10位は坂上是則が詠んだ「朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪」の大意は「夜がほんのり明け初めるころ、有明の月の光かと思われるほどに吉野の里に降る雪よ」でありますが、筒井康隆は「あかだらけ しにかけのときと みるまでに としのわからぬ ふれるしらくも」とパロディし、「死にかけているのではないかと思うぐらい垢だらけのその男は、年齢のわからない、しらくも頭の気ちがいであった」と解釈したわけです。
9位は春道列樹が詠んだ「山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり」の大意は「山中を流る川に風のかけたしがらみがありますが、それは流れようとしても流れることの出来ない紅葉でありました」でありますが、筒井康隆は「やたけたに かねをかけたる ほねがらみ いのちもあえぬ さいごなりけり」とパロディし、「豪遊した末に梅毒となり、あえない最期を遂げたことである」と解釈したわけです
8位は紀友則が詠んだ「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」の大意は「日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜の花は散るのだろうか」でありますが、筒井康隆は「ひさかやの ひかりのどめき さるのめに しずこころなく やねおちるらん」とパロディし、「「ひさかたの」はひかりの枕詞。ひかり号の轟音で。新幹線沿いの家の屋根が落ちる光景は、猿の目には何と落ち着かぬことであろうかと映じた」と解釈したわけです。
7位は藤原興風が詠んだ「誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに」の大意は「年老いた私はいったい誰を友にすれば良いのだろうか。あの高砂の松も昔からの友ではないのだから」でありますが、筒井康隆は「だれをかも しるひとにせん みなしごの さつもむかしの ともならなくに」とパロディし、「どいつを噛んでやろうか。知っている人にしようか。どうせ俺は孤児で、警察にも昔馴染みはいないのだから」と解釈したわけです。
6位は紀貫之が詠んだ「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける」の大意は「人の心はわかりませんが、昔なじみの里の梅の花の香りだけは変わっておりません」でありますが、筒井康隆は「ひとはいや こころもしらず ふるざるは なかぞむかしの かにせおいける」とパロディし、「人間は気心が知れないのイヤだと言っていた古猿が、昔馴染みの蟹を背負っていた」と解釈したわけです。
5位は清原深養父が詠んだ「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ」の大意は「夏の夜は短く、まだ宵と思っているうちに明けてしまったけれど、沈む暇もない月はあの雲のどこかに宿るのだろうか」でありますが、筒井康隆は「さつのよは まだよいながら やけぬるを きものいずこに われやどるらん」とパロディし、「気が付くと夜になっていて、警察で泊まっていた。まだ酔いは醒めず、俺はやけっぱちだ。着物はどうしたのだろう」と解釈したわけです。
4位は文屋朝康が詠んだ「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」の大意は「白露に風がしきりに吹きつける秋の野は、まるで緒でつなぎとめていない玉が散り乱れているようだ」でありますが、筒井康隆は「しらさねに かぜのふきしく ののはめは つらぬきとめず たまぞちりける」とパロディし、「野原で、はめということをすると、しらさねというものの上に風が吹くので、貫通しとどめを刺さぬうちにたまが飛び散ってしまった」と解釈したわけです。
3位は右近が詠んだ「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」の大意は「貴方に忘れられる私のつらさは何とも思いません。ただ、神に誓った貴方の命が神罰により失われてしまうのではないかと、惜しく思われてなりません」でありますが、筒井康隆は「ゆすらるる みをばおもわず かばいてし おれのいのちの おしくもあるかな」とパロディし、「ヤクザに強請られて、その恐ろしさに思わずわが身をかばった。まだ命は惜しい」と解釈したわけです。
2位は参議等が詠んだ「浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき」の大意は「浅茅の生えた小野の篠原、その「しの」のように貴方への思いを忍びこらえているけれど、忍びきれない。どうしてこんなに恋しいのだろう」でありますが、筒井康隆は「あさじるの おののきのつら いたぶれど あまりてながく ひとのしぬじき」とパロディし、「朝の味噌汁の中に、ひどく自分を忘れているヤツがいたので、いたぶってやったけれど、あまりにも自分の手が長すぎた。そういえば今は人のよく死ぬ時期であるなあ」と解釈したわけです。
1位は平兼盛が詠んだ「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」の大意は「忍びこらえていたけれど、とうとうその素振りに出てしまった。何か物思いをしているのですかと人が尋ねる程に」でありますが、筒井康隆は「きすぐれど いろにまけにけり わがさけは よもやひもだと ひとはおもわず」とパロディし、「酒に弱いので、飲むと情婦に負ける。俺がひもだとは誰も思わない」と解釈したわけです。