おひさしぶりです | 真田ひろみの日々是好日

真田ひろみの日々是好日

人生に愛と笑いを!

すっかりご無沙汰してしまいました。


暑い日が続きますね。


みなさま、お元気でしょうか?




ブログのアップが滞っておりました。


屋久島のブログからいきなりプツっと。


ブログを欠かすことのなかった私が・・・ということで


ご心配いただきご連絡をいただいた方、ありがとうございました。




ご存知の方もいらっしゃるのですが・・・




実は、7月20日に父が他界しました。




あえて、ブログで書く内容ではないかな、


不適切かなとも思いましたが


「書くこと」は私にとってとても大切な作業。


自分の心の整理をするために・・・


前に進むために・・・


書こうとおもいました。




それと、友達に会う度にこの話を毎回するのは私もツライ。


亡くなったのがいきなりだったのだけど、周りの人もいきなり


亡くなった事実だけを聞いても、なんでだろうと気になるだろうし・・・




明るい話ではないので、イヤな気持ちにさせてしまったらごめんなさい。


そういう気持ちになるのがいやだったら、この回は読まずにとばしてくださいね。








屋久島で縄文杉をみに行った翌日、そして母やっぴーの誕生日の


7月17日、父が倒れました。




屋久島での朝、今日やっぴーの誕生日だからあとでメールしようと


思っていたら、母から朝10時半ころ、電話がありました。


何だろうと電話にでると、パニックになり慌てふためいた声の母から、父が


倒れ救急車を呼んだとの連絡がありました。


もちろん心配だったのですが、そのときはまだ様態がわからなかったため


気になりつつも、屋久島にいる私は予定していた白谷雲水峡に行きました。




13時半をすぎても、まだ連絡はなかったため、山に入りました。


3時間程度のハイキングを予定していました。


山は基本、携帯電話は圏外でしたが、下山している途中、とぎれとぎれに


電波が入るところで、姉からの留守電が入っていました。


どうにか山の途中で電波が入る場所をさがし、留守電を聞くと




「父は脳出血。意識不明で、もう意識が戻ることはない。早くて一両日中、


どんなにもっても一週間の命」と。




何が起こったのかわからないなりにも、大粒の涙があふれでてきました。


泣きながら無言で急ぎに急いで下山しました。


もう夕方で、山から空港までも一時間くらいかかります。


最終の飛行機の時間がどうなるか・・・




安全運転かつ大急ぎでかれぴーに車を走らせてもらいました。


山→空港→宿、という地理たったため、とりあえず先に空港に行き


時間をきくことに。




ギリギリ最終の便は出発してない。


でも最終の便には宿に帰れば間に合わない。


しかし翌朝の便だと、病院につくのはお昼すぎ・・・


このままもし父の最期に会えなかったら絶対後悔すると思い、


登山の格好のまま、宿には帰らずワタシ一人先に帰りました。


荷物がまだ宿にあるため、かれぴーには翌日帰ってきてもらいました。




ICUなのに、病院にずっといることはできず自宅待機といわれ


母も家に帰ってきていました。


私は鍵ももっていなかったので、23時すぎ、実家に帰りました。


全く眠れませんでした。




ICUなのに、1日4回の面会時間しか会えないらしく、ワタシは翌日・18日の


朝7時半からの面会で父に会うことができました。




朝の面会では様態は安定していたのですが、15時すぎ、


様態が悪化し(血圧上が70台)、会わせたい人には家族以外の人にも


会わせてくださいと、いわれました。




血圧70の父、正直、いわゆる死相がでていました。


家族全員、最期を覚悟し、病院の待合室に泊まりこみました。


皆眠れず、夜中3時くらいにどうしても父の様態が気になり、わがままをいい、


病室に入らせていただきました。


そうすると、体位を変えたときに血圧があがったらしく、また容態が安定しました。


死相も消えていました。


本当に嬉しかった。




19日も様態は安定していましたが、いつ変化するかはわからない、


ということで母と姉二人、私の4人で病院の待合室泊まりこみました。


異常なくらい待合室は冷房がききすぎていて寒く、毛布を持ち込みましたが


それでも寒かったです。


眠るといっても、毎日2時間眠っていたか、くらいでした。




これではみんなの体力がもたない、とかれぴーが近くのホテルをとってくれて


交代でシャワー&2時間程度の仮眠ができました。


待合室の寒さは尋常でなかったため本当に助かりました。




長女は旦那様が夜勤で子供5人もいるのと、二女は疲れと待合室の寒さで38度の


熱がでてしまっため、20日は私と母で泊まりこむ予定でいました。


19時の面会も母と二人。


すると、それまで安定していた血圧の数値が、10分おきに10ずつ下がっていきます・・・


また死相をみた血圧70が近づいて、不安で不安でなりませんでした。


次の面会は22時。


20日の夜ももちろん、待合室に泊まる予定でいましたが・・・


・・・泊まることはありませんでした。




19時の面会から22時の面会まで、少しでも体力を温存してもらおうと、


母にはホテルで休んでもらっていました。


ホテルから病院までは5分程度です。


でも、母も心臓が悪くニトロ持ちなので、もしなにかあったとき、慌てて


走って苦しくて母も倒れてしまうんじゃないかと心配でした。




私一人、待合室で待機。


ひろい待合室と廊下には人一人いません。


しーーんと静まりかえった病院の待合室。


今晩に備え仮眠しようと思いましたが、どうも眠れませんでした。




20時55分ころ、しーんと静まった廊下に足音が。


看護婦さんから「様態が急変しました!」と。


一気に悪くなっている、と看護婦さんも慌てていました。


急いでメールで一斉送信し、皆を呼び出しました。


メールをする手が震えていました。




私が病室に入れたときには、もう、計測できるほとんどの数値がゼロでした。


心拍数がかろうじてある、そんな状態でした。


もう、いつ亡くなってもおかしくない、本当にそんな状態でした。


母はまだ来ません。




私はかずちゃんに


「今まで本当にありがとう!でもお願いだから、やっぴーがくるまで頑張って!


お願い!かずちゃん、最期のお願いを聞いて!」と何度も何度も叫びました。


やっぴーがくるまでずっと・・・・


とても長い時間に感じましたが、それは2分くらいの出来事でした。




やっぴーがきて第一声、「生きてるの?!」と


私「生きてるよ!」


そして「かずちゃん!」とやっぴーがいったその瞬間・・・


数値がゼロになりました・・・




まるで、やっぴーがくるのを待っていたんだよ、というかのように・・・


かずちゃんはきっと、ちゃんと私の声が聞こえていて、最期の最期まで


最後の力をふりしぼって、がんばってがんばって私のお願いを


聞いてくれたのだ、とそう思っています。


7月20日午後9時2分、永眠しました。


私が呼ばれてから、わずか7分の出来事でした・・・




17日に倒れてから4日、父は頑張りました。


100cc以上の血が脳みその中に入ったままで、脳の大切な


部分の脳幹まで圧迫していました。


救急車で運ばれたときから意識はなく、そのまま、話すことも目を


あけることもありませんでした。


お医者さんの話によると、脳出血は予兆もなくいきなりくるものだと。


痛い!と感じる時間もないくらいの出来事らしく、本人がツライとか痛いとか


感じることはなかっただろうと。






父カズヨシ70歳。


私たちが、そして本人が思っていたよりもだいぶ早いお別れに


なってしまいました。


でも、きっととても繊細でデリケートな父は痛みを感じたり


つらい治療をすることには耐えられなかったんじゃないかと思うと、


時期は早すぎたけど、痛みを感じていないということについては


良かったと思います。




大好きなゴルフにスキーに映画にコーラスに大好きなお花に買い物に・・・


本当に人生を謳歌していたと思います。


たくさんの友達に恵まれ、幸せだったと思います。




甥っ子姪っ子の幼稚園での敬老の日の集まりでは毎年


「千の風になって」をちびっこと一緒に歌っていました。


お葬式の最期のお別れのときも、そのときの映像と歌を流しました。


きっとかずちゃんは今も「千の風になって」自由にあちこちを楽しく


行きたい場所に行っているのではないかと、そう思います。




でも・・・まだ残された家族の心の整理はついていません・・・。


前日、大好きな高島屋に行き、母の誕生日プレゼントにひまわりの


花束を買って渡していたようです。


朝も普通に起きてゲゲゲの女房みながら朝食食べて、その後


自分で買ってきた花を「やっぱりこの花いいねー」と自我自賛し、


でかけようとしてシャワー浴びてでて、着替える途中で倒れ、


そのまま帰らぬ人となった父。




倒れた前の週も泊まりで元気にゴルフに行き、今年のカレンダーには


8月以降もゴルフやらコーラスやら予定がたくさん書いてあって、


12月末には大好きな甥っ子二人とスキーに旅行する予定も書いてありました。


とても切なくなりました。




どんなお別れも辛いのだけど、あまりに唐突すぎるお別れはさらに


辛いものがあります。


心の準備ができていません。


準備なんてできてないまま、いきなり大好きな和ちゃんが


いなくなってしまいました。


心が追いついていきません。




大切な人がこの世を去ると、


この世でのお役目が終わってあの世に行ったのだ。


だから悲しいことじゃない、そう思うようにしています。




それでも現世にまだいる私はそれでも悲しいな、会いたいな、話たいな、と


思ってしまいます・・・




でも、きっと、ゆっくりゆっくり時間が癒してくれるだろうと、そう思います。




満月だからか、ブログたくさん書いてしまいましたが・・・


そんなわけで、もうちょっと、ゆっくりしようと思います。