海外旅行へ行き始めた当初。何度も英会話教室へ通いました。その後、中南米へ行くようになり少しだけスペイン語を勉強し、西アフリカ等へ行くにフランス語もかじり。そして、数年前アラビア語の練習帳を購入後、力尽きました。
上記以外も、訪ねる国の言語は「挨拶とお礼と数字の読み方」くらいは頭に入れます。どの言語も中途半端ではあるものの一応は目を通す。
それらの様々な国を渡って思うのは「日本語は世界で一番難しい」ということ。
アラビア語も難しいと言われていますが、字体が珍しいというだけで言語自体が難しいわけではない。そして英語やスペイン語はとても簡単ですよね。
どの国の言語も共通して言えるのは、文字自体に意味はないということ。例えば英語の「J」は「J」自体に意味はない。アルファベットをつなげて初めて単語として意味を持つ。26個のアルファベットを覚えさえすれば、あとはそれの組み合わせで単語となり文章となる。
日本語の場合はどうでしょう?
まず50個のひらがなを覚える。その次にそれと同じ読みの50個のカタカナを覚える。日本語もひらがな/カタカナの1文字に意味はありませんが、これが日本語にとってとても重要なカギとなる。なぜならそれは、その先にくる数千の漢字の読み方となるから。
私たち日本人は、ある程度の漢字を覚えないと社会で生きていけませんので、常用漢字は子供のうちに全て覚える。
これがなかなかに難解です。
まず、漢字は字自体が複雑。そして一文字に対し音読み訓読みがあり、しかも一つずつではない。続く文によって読み方も様々変化する。
また、漢字一つ一つに書き方もある。トメ、ハネ、ハラエ、書く順番まで決まっている。その一文字を、いかに美しく描くかということまで学ぶ(習字)。
さらに、一文字一文字に意味がある。同音異義語も多い。
漢字一つとっても、とにかく多言語と比べ難解奇抜です。それが数千あるのです。
しかし漢字は楽しくもあります。
例えば、まず魚という字を覚えるとする。魚へんの漢字は全て魚と知る。魚へんの漢字は244種類あり、その中で鮪なのか、鰹なのか、鯵なのか、鮭なのか、魚自体の見た目も違えば味も違い、食べ方も異なる。だからこそ、日本では食用の可否含め魚介類にそれぞれ明確に名前(漢字)がある。これほど多くの魚に一つ一つ名前を付けている国があるでしょうか。
これが日本の文化の一つですよね。言語と食文化がリンクしている一つの例。
物の数え方も違います。英語だったら1つはoneです。しかし日本語はどうでしょう。
例えば人を数えるとき1人です。豆腐を数える時は1丁。キャベツは1玉、明太子は1腹、お寿司は1貫、牛は1頭、ウサギ1羽、ブロッコリーは1株、お箸は1膳、船舶は1隻、家は一軒、ビルは1棟、神様は1柱。まだまだ無数にあります。数え方を見ただけで何を指しているのか、日本人は主語を想像できる。
今回、トルキスタンへ行き漢字の羅列を見て思いました。日本は漢字をそのまま使うのではなく、自国の思考や文化を形にするためひらがなやカタカナを作った。全ての物事を広く深く表現するために、漢字だけでなくひらがな/カタカナを発明したのです。
これにより、文の構造や主語述語の関係、語彙のニュアンスの複雑さを視覚的に立ち上がらせることに成功した。さらに、意味の明確化、語彙の豊かさの表現、文章の多様な表現を可能としたのです。
また、漢字と使い分けることにより、ひらがなは感情的な表現、文章全体の柔らかさを。カタカナは外来語、擬音擬態語、学術的な名称、注目させたい語句の強調や躍動感を出すために単独でも使用できる。
これら複雑な言語構造は、複雑な思考を可能にする。言語の複雑さは、より深く考える能力を形成し、 様々なアイデアを構造的に実現化する知恵も生む。これにより技術を含めた文化に一層深みを与える。
日本人の先人たちは、日本語を編み出すことで意味を読む文化として思考を練り上げ、発想や智慧をも後人に引き継いできたのです。
そもそも言語は、人間が何をどう考え、どう記憶し、何を創造し、何を未来に残すかを決める文化の設計図でもあります。そして、上述の通り日本語は意味を読み解く言語ですので、概念の理解力そのものが深く、それゆえに思考に奥行きがでる。想像力が豊かになる。
また、倫理や概念、強調、対照、因果といった抽象的なものの思考の幅も無限に広がります。日本語は形・音・意味の3つを同時に処理し、 考える力を養う稀有な言語です。これにより森羅万象の情緒が生まれ、造詣が深くなり、相手の繊細な感情を汲み取る特殊知能も含めて人格形成に影響を与える。
子供のころから日本語を話すことで、私たちはそれらを意とせず学んできました。常々、思考を伴いながら話すことを自然に行ってきたのです。単に物事を伝えるだけの手段ではなく、どのように伝えるのかを考える言語であり、幅があるので言い回しはいくらでもある。それらを使いこなすことは知の姿勢でもある。これを背景に文化の芯をも脈々と伝えることができ、今も生き続けている。日本語思考の明瞭さは、知性ある人間の質そのものです。
複雑な言語が、複雑な思考を作る。これは逆も然りで、簡単な言語は、簡単な思考を作る。
つまり、複雑な言語にこそ宿る知性がある。
こんな言語、世界中に日本語しかありません。それをいとも簡単に操る日本人の頭がいいのは当たり前とさえ思います。
私、最近思うのですよね。
英語のような簡単な言語を一所懸命学ぶより、日本人はもっと日本語を深く追求するべきなのでは?と。日本語の使い方を知らない、或いは適切な使い方ではない日本人は大人でも沢山います。
美しく難しい日本語を適切に話すことは、その人格を示す意味でも大変重要であると考えます。そして、日本語を広く深く学ぶからこそ、日本人は明晰な頭脳や知能、情緒を育んでこれたのではないかと思う次第です。
