タルトゥースを去ってラタキアへ。今日はここで宿泊。首都ダマスカスを出発し、赤のポイント「A」タドムルはパルミラ遺跡のある街。そして、その真西ホムスでこのツアーを依頼したブローカーのお母様の家で夕飯をご馳走になったあと、Bのクラック・ド・シュヴァリエ、CがタルトゥースでDがラタキアです。





ここまで北上するとフェニキアンの主な遺跡はないようです。





ロマンやオスマンの城塞はありますが、私は紀元前後や中世にはあまり興味の先がなくなってきました。




古代ローマやオスマンは、私の中ではもはや「最近」




そもそも、古代ローマなどフェニキアの真似でしかない。あたかも自分たちが創生した風ですけど、全てを開拓し開発し創出してきたのはフェニキアン。現代人が使う「ローマ字」と呼ばれるものも、そもそも「フェニキア人の文字」です。




昔から横取り済まし顔のヨーロッパ人。ローマはフェニキアの歴史をすべて奪って焼き払い、あたかも自分たちの功績として自画自賛していますが、ギリシアやローマの歴史の殆どは、元はメソポタミアのシュメール、バビロニア、アッカド、アッシリアと海洋民族フェニキア人が築き上げたのです。






というわけで、ローマやオスマンに食傷気味な私はスークへ。




活気あるなぁ。米国CIAとその子飼いISIS&トルコによる侵略戦争時、ここはどうなったんだろうな?





建物はわりと古いままなので、あまり被害を受けていないように思う。




この時期ラマダン中でしたが(現在も。シリアは4/10まで)、ここもキリスト教徒は少なくなく、あまり関係なさそうだ。





元気そうで何より。(撮ってと言うので)




スークの先に、いかにも古そうな小ぶりのモスクあり、出入口を見上げると、古そうな紋章レリーフが。あれ?




六芒星。




カメラを近付けて写真を撮っていると、祈りを終えて出てきたお爺様が私の肩を叩き、ゆっくりと解説をし始めました。






「ここは今はモスクだが、かつてはジューのシナゴーグだったかも知れない。




おいおい、勝手に話し始めたのに確信なしかよ。笑






まぁ、古代といってもユダは紀元前後です。ラタキアはかつてフェニキアンの中核都市でこそなかったと思われますが、古来から人は住んで港はあるため、海洋民族である彼らはここからも出港したことでしょう。





一説によると紀元前2000年期、フェニキアンは既にアメリカ大陸に到達していたもよう。もしかしたら日本にも来ていたかも知れません。






本物のイスラエル人であるキリストは日本に何度も訪問していたともっぱらです。彼の若き時代なら、フェニキアンによってとっくに世界航路は確立されていたことでしょう。





コロンブスが世界航行したのは、フェニキア人の成し遂げた数千年もあとの話です。





どれくらいフェニキアンが凄い能力と技術を有していたか、想像に難くないですよね。




3時間ほど歩き回り、陽が暮れたのでホテルへ戻りました。





エントランスへ入ると真っ暗。





あれ?ホテル間違えたか?いや。ここでいいはず。





すると、顔に懐中電灯を照らした男性二人がヌボーッ暗闇の中から現れた!






おいおい、何大会だよ!






「この時間、停電してるのでエレベーターは使えません」「こっちの階段からお願いします」






3階まで昇って部屋に入り電気のスイッチを押すも真っ暗。






あれ?もしかして、部屋も停電か?自家発ないんか!






0Fまで降りてさっきの兄さんたちに聞くと、9pmまで(街全体が)計画停電なので電気は点かない。






???






ってことはネットも繋がらない?シャワーのお湯は出るよね?






「10分くらい流したら出るかもしれない」






・・・水がもったいないだろ。






しかし、お湯が出ないのは困るので部屋に戻って直ぐにシャワーを出し始めました。しかし、10分経っても佑ぬるま湯で一向に熱くならない。





夜は冷えるこの辺り。しかし当然暖房もつかず。






No electricity, No network,  No hot waterで布団にくるまっとりましたわ。






こんなん、ネパールのカトマンズ以来やわ!






この辺りから不穏な空気。






てか私、ツアーにラタキア入れてたっけ?爆