2011/11に訪ねた地中海沿岸の旅を綴ります。

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この旅は、過去1992~1995年に数回に渡って訪ねた地中海沿岸都市を、もう一度再訪したオサライ旅の記録です。スペインは1995年に6ヶ国目として訪れています。






2011年は、夏休み返上でプロジェクトに掛かりきりだったため、8月は夏休みどころか土日も全く休めませんでした。11月に入って目処がつき、プロジェクト休暇+代休で丸々2週間の休み。プロジェクト全員休みなので、気持ちも軽く、全部使ってのんびり巡ります。







それでは始めます。先ずは出国から。


 

 

 

 

 


成田空港に着き、トルコ航空のチェックインカウンターに並んでいたところ、スタッフに「お一人ですか?」と聞かれました。そうだと応えたところ、「コンフォートクラスが一席だけ空いており、200ユーロで提供していますがいかがですか?」と誘われるままに。


roroのTranceWonderな日々


今でいうプレミアムエコノミーですね。


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シートが気持ちだけ広く、食事はビジネス。
尚、現在のトルコ航空の日本線はコンフォートもプレエコもないようです。


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これ、200€価値の食事か?と疑問に思いながら。笑 私は飛行機の搭乗クラスにこだわりはありません。時間通りに着けばそれでいい。ビジネスシートでもグッスリ眠れないのは同じですし、ファースト・クラスだから1時間早く着くわけでもなし。笑


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イスタンブル経由で夜遅くに着いたバルセロナは実に16年ぶりでした。

2011時点で16年ぶり。2024年の今から数えると最初のバルセロナは実に29年前です。





経由は何度もしていますが、街へ出たのは1995年以来です。時差ぼけで早く起きて街をブラブラするも、開いてる店がなく、


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ポツンと一軒だけ開いてたカフェで朝食をとりました。


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今日はまず「サグラダ・ファミリア」へ行ってみようと思います。






以前訪ねた1995年時点、サグラダ・ファミリアは資金難で完成までにあと200年かかるといわれていました。あの当時「完成を待たずに私は死ぬんだな」と思っていました。







しかし、この旅2011年時点では「あと20年程度で完成する」とかなりのワープ。爆 富裕層からの寄付が思いのほか集まり、人も資材も十分に確保できたとか。







因みに2024年の今、「あと2年で完成する」とされています。どないやねん。笑






これは1995年に訪ねた際の写真。





当時はデジカメなどなく、良いカメラを持っていないので『写ルンです』で撮影。アレは枚数が決まっていたうえ、どんな風に撮れているかその場で確認できないという、今考えるとあり得ない代物。








あの頃、24枚撮りを2本しか持って行かず、厳選に厳選を重ね慎重に撮っていました。それでもブレたり真っ白に写っていたり。








しかも日本に帰ってからでないと現像に出せず、基本料金+1枚何十円の世界で、一本(24枚)の現像におよそ1,500円。そもそも「写ルンです」自体1,500円くらいしてなかったっけ?なので、たかだか24枚撮って写真を見るまでに、帰国後1週間の時間と、3,000円の費用がかかっていたのですよ。2本だと6,000円。笑 おいおい。







ホント信じられないような労力・財力を使っていましたわ。







広く一般的な「物」としては、アナログとデジタル相違の最たるところではないですかね。







1995当時の写真は、十数年前にネガをデジ化するサービスに出しました。ネガの保存状態によってはセピア色のものも。この記事内のサグラダ・ファミリア写真はすべてネガフィルムをデジ化したものです。







↓は生誕のファサード。1995時点、内部は様々な機材が無造作に置かれていました。






エレベーターを登って見たバルセロナの景色。






1995時点、教会の中はまだ空洞で、見上げると青空が見えていました。





完成に200年と言われていましたので、これが更にどうなっていくのか?当時は全くイメージできませんでしたね。





さぁ2011年、どこまで出来たか?