2011/3に訪ねたトルコの旅を綴ります。
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昨夜、ADBからNAVへ飛び、ウチヒサールという街のホテルへチェックインしました。
朝。ホテルからの景色に驚く。峡谷を見下ろすとても美しいシチュエーション。
カヤ・ホテルです。
これまで大都市が中心だったため、ここへきて初めて大自然。大地の雄大さを感じられる場所です。
イズミルのホテルは狭く、ベッドもイマイチでぐっすり眠れなかった。昨夜泊まったこのホテルはぐっっすり。日が昇って大分経ってから起き、朝食終了時間ギリギリにブッフェへ食べに行きました。そして、ホテルの周りを散策することに。
この辺りは、「カッパドキア」といいます。あまりにも有名ですよね。「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」として世界遺産にも登録されています。
アナトリア高原の火山によってできた広い一帯に、この奇岩が点在します。
「カッパドキア」という呼称の最初の記録は、なんと紀元前6世紀後半にまで遡るそうですよ。
アケメネス朝初期の王ダレイオス1世とクセルクセス1世について書かれた碑文に、ペルシア帝国を構成する一地方として書かれているのです。
古代ペルシア語での名称で既に「Katpatuka」とあり、エラム語とアッカド語の碑文にも、類似の名称があるそう。それほど昔からこのような奇岩が点在し、人も住んでいたのですね。
これはウチヒサール城。大きい奇岩の中は繰り抜かれてお城の体を成しています。生活できるようになっているのですよ。
たまたま欠けている部分などに、うまーく、こうドアをつけたり窓をつけたりしてるのね。笑
これまでも世界中で様々なお城を巡りましたが、寺院ならともかく、お城を奇岩で代用するなどココしかないのでは?イタリアのマテーラやトゥルッリにあったっけ?忘れた。
この奇岩は未だ住んでいらっしゃる。人の顔に見える。鼻か口にトルコ絨毯を干してる。笑
何階建てなのでしょうか。ちゃんと階段とかもあるのでしょうね、きっと。
ベランダ付き。ここは観光客を入れていたように記憶しています。なぜか私は入らなかったのですが。。
工夫してますよねー。
電気も来てるのかなあ。ガスとか水道なども?
子供たちはサッカー。
だいぶ歩き回りました。お腹が空き、一旦部屋に戻ります。部屋は奇岩内風。
外に食べるとこがあまりないからなのか?珍しく夕飯付きでした。ブッフェ形式で味はまずまずです。
食事から部屋へ戻りベランダに出ると、静寂に包まれた奇岩の大地。なんの音もしないのですよ。なにかの音が出ても、大地が音速より早くそれを捉えて吸収してしまうような静寂です。音を消す大地。音のない音が聴こえる。
さらに時間が経つと、ローズバレーがローズ色。夕焼けの時間は格別です。
この頃まで、海外と言えば都会ばかり巡っていた私ですが、ここを機に大自然に目覚めました。自然に癒やされることを初めて知った。これまでは自分自身のパワーが強過ぎて、自然に癒やされるという感覚がなかったように思う。
そしてこの頃まで仕事が忙しくて、気付けば毎日とっくに陽も暮れていた。夕焼けなどどこでも見れるはずなのに、だいぶ長い間それを鑑賞することもなかった。
この辺りで東日本大震災から10日くらい経っていましたでしょうか。アホみたいに働く自分の人生を振り返り、「何やってんだろな私」と感じ始めます。
コレ以前から幸い、私の周りは超絶デキる部下さんたちで固められていました。仕事がデキるだけでなく人間がデキている。若い人も。
彼らの人格と働きがなければ、私はサラリーマンしながら186カ国も訪ねることなどまず不可能だった。まぁ、往々にしてデキない上司の下にはデキる部下が付くもので、私は常々心から彼らに感謝していた。
年月は経ち、私はそのチームから一人、隣のグループへ異動になった。とても良いチームだったので悲しかったけど、そう決まったのであれば仕方ない。私が異動したあと、そのチームはグループ会社も含め一年で7人も会社を辞めてしまった。突出してデキる人たちだったので、彼らが辞職したことは残念だった。
どんな心境の変化があったのか詳しいことは聞かないけれど、何か思うところがあって転職し飛躍できたのであれば彼らにとってよい選択だったのだろう。辞めた一人の元部下さんは、「○○さん(私)が好きなことをしながら(テキトーに)仕事してるのを見て、リラックスして仕事ができていた」と言ってくれた。上司が遊び呆けているので、気負いもなく自力を発揮できていたらしい。笑
彼らがいなくなり、私は相変わらず自らは動けないまま少し取り残された気持ちになるも、海外へ行きやすい(休み易い)ここに留まるのも一つの選択と今に至る。人生色々。自分の好きな道を進めば良い。多少、周りに迷惑かけても。
日本人は周りに迷惑かけないようにと考える人が多いようですが、周りに迷惑をかけずに生きられる人なんていないんです。そんなことで自分の行動を制し悶々とするより、自身が他人の多少の迷惑をおおらかに受け止めることのほうが、よっぽど社会を良くすると私は思っています。
東日本大震災のあと、このローズバレーを観ながら自分のやりたいことをやろうと意思を固くしました。いつ死ぬかなんて分からないんだから、やりたいことは出来るだけ全部やって死を待とう。
この旅のはじめにお伝えしたように、私は東日本大震災まで海外は年に1~2度。GWや夏季休暇、年末年始といった長期休暇やプロジェクト休暇のタイミングでしか行きませんでした。ここから、そんなこと構わず猛烈に海外へ行き始めます。それが自分の使命であるかのように。ここから、怒涛の150ヵ国訪問が始まりました。