2018年のGWに行ったカリブ・南米の旅を綴っています。

 

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ゲストハウスからポルトープランスを抜けるまでの3分の1の時間で山を超え、南部の街ジャクメルに到着しました。

 

 

首都と違い、のんびりした雰囲気が漂っています。


 

ほんわか。


 

ジャクメルの街の様子は、19世紀ごろからほとんど変わっていないそうですよ。


 

雑貨屋の多い印象で、


 

この紙粘土で作られた仮面が有名だそう。


 

他にも、原色絵画や、


 

木彫りの置物などが多く売られていました。

 

 

ちょっとしたモザイクもあちこちで見ます。


 

コーヒーの木と運搬船でしょうか。ジャクメルらしいモザイクです。

 

ジャクメルは1698年に建設されました。

 

 

フランスの植民地時代に珈琲栽培で栄え、コーヒー商人の拠点となる街だったのです。大きな船も入港できるため、輸出に適した港町。


 

フランス領だった頃のハイチは「世界で最も豊かで生産的な地域」とされていた時期もありました。ハイチのサトウキビは質もよく、大好評で繁栄の極みだったこともあるのです。


 

海沿い通りは今でこそ家屋となっていますが、当時はコーヒー豆を保管する倉庫だったのでは?と思われる建物が多く散見されます。

 

古くはなっていますが、何かちょいちょい素敵です。


 

倉庫っぽいけどどこかお洒落。


 

壁色が剝げ落ちてしまっていても、どこか風情が漂います。




かなりの年数を重ねたレンガに緑が茂ってる様子も素敵です。

 

富豪の住居だった建物は、当時のフランス製の柱やバルコニーが据えられています。


 

こちらは、ホテルに改装された当時のフランス人大富豪の住んでいた家です。

 

 

門をくぐると、静かなカフェ。


 

ちょっと入ってみたら、スタッフの男性が「今の時間、客がいないので部屋を案内しますよ」と言ってくれました。


 

え!いいの?

 

早速、案内してもらいました。

 

今は一つ一つがホテルの部屋になっていますが、元は邸宅。

 

アフリカ人奴隷に働かせて、こんないい生活をしていたのね。

 

このバルコニーの装飾も素敵ですよ。

 

階段の手すりも当時のそのままの物だそう。




まさにアンティークの宝庫ですね。

 

こちらも。

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな街ジャクメルは、近年の努力によりかつての葉巻とコーヒー産業が復興しつつあるそうです。


 

今回、ハイチは首都ポルトープランスとここジャクメルしか巡りませんが、


 

ポルトープランスを離れれば、どの都市もわりと穏やかなのかも知れませんね。



さらに歩くと、

  

 

かつてのマルシェ。


 

改修工事が行われると聞きました。

 

街の教会。


 

シンプルです。


 

パステルカラーで落ち着いた感じ。


 

天井にはよく見ないと分からない壁画。笑

 

上述のようにジャクメルは、ポルトープランスとの相対的な静けさと、首都から距離あり政治的混乱の影響もなく治安も良いため、ハイチでも人気の観光地となっています。ここは一人で歩き回っても何の憂いもありません。


 

また、ジャクメルはシモン・ボリバルと共にスペインによる植民地支配からの独立戦争を指導したミランダが、ベネズエラの最初の国旗を定めた場所でもあります。

 

 

 

ここジャクメル湾に停泊した艦船の船上で、1806年3月に最初のベネズエラ国旗を掲げたのです。

 

 

因みに、この日は今もベネズエラで「国旗の日」として祝われています。

 


ボリバル自身も、独立運動に何度か失敗してハイチへ逃亡しています。

 

 

1815年にボリバルが訪ねた際、ジャクメル含む南部広範一帯を統治していたアレクサンドル・ペションに軍事的支援を求めます。



黒人奴隷の解放を条件に物心共にハイチの援助を取り付けたボリバルは、1816年にベネズエラへ再上陸します。そして奴隷制を廃止し、解放したアフリカ人たちを自軍の兵士に組み入れ、更なる勢力となってスペイン軍との戦いに挑み勝利しました。

 

 

ジャクメルは、南米をスペインからの解放へ導いた陰の立役者と言えるかも知れません。