2011/3に訪ねたトルコの旅を綴っています。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

地震から3日後の週明け。仕事は大混乱。電車は動き出したものの、余震を警戒して今週いっぱいは自宅待機となっていますので、あちこちから電話が鳴り止まない。あの頃はまだノートPCを持ち運ぶような時代でもなく、会社に置いたままなのでガラケー頼み。停電時間があるため、通電時間はコンセントに繋ぎっぱなしです。


 

 

 

 


いくつもの顧客先でサーバがダウンしたのを始め、UPS(無停電電源装置)が起動しない、大型プリンタが倒れた、ケーブル断裂、分電盤故障など、ハード面ソフト面あらゆる不具合が次々報告されます。顧客の業務システムが動かないことは大きなインシデントですので、休日明けはとにかく対応に追われました。

(倒れたなら起こせよと思いますが、それを言っちゃお終めーよ。笑)








これ、海外へ行けるのか?

 

 

 


 


何としてでもこの2日で目処を付けなければならず、連絡のない顧客にまで電話して不具合ないか確認。そんな感じで大きなトラブルは何とか抑えましたが、旅行のスケジュールは地震以降、全く手付かずで中途半端なママ渡航当日となりました。 

  

   

 


 



東日本大震災によるインフラへの影響はなお続いており、JR各線も混乱してNEXは運休。横浜YCATからリムジンバスでホタルを渡って成田へ。空港の混雑を予想してかなり早めに着くよう移動。バスは満員御礼でしたが日本人は私だけでした。あの地震でもびくともしない日本の橋は凄いな。


roroのTranceWonderな日々

 

成田空港に到着すると、想定よりは少ないものの普段に比べたらかなりの人。そして予想通りほぼ外人でした。


roroのTranceWonderな日々
 

あれほど大きな地震は日本人でも滅多に経験しないと思われるのに、地震自体を経験したことない外人など恐怖以外の何モノでもなかったのでは?欠航も断続的なのか、空港施設の端には多くのASIANが風呂敷広げて寝ています。


roroのTranceWonderな日々
 

トルコ航空のチェックインにも長蛇の列。私は優先レーンだったにも関わらず、荷物預けに1時間もかかりました。

 

roroのTranceWonderな日々

 

前に並んでいたかなり若い日本人女性二人に何かを聞かれ、応えたついでに世間話すると、「彼らが地震に怯えちゃって、私達も付き添いでイスタンブルなんです。」と。

 

 

 

 

 

 

彼女らの前には、トルコ人らしき若い男性が二人。疲れた顔には「日本なんてもうコリゴリ」「一刻も早く日本から脱出したい」と書いてありました。笑

 

 

 

 

 

 

トルコだって地震はあるのに、今回ばかりはよっぽどでしたかね。

 

 

 

 

 

 

そして、成田の航空燃料が枯渇して必要量を確保できず、直行だったIST(イスタンブル)行きは韓国ICN(仁川)経由に変更。成田出発も遅れたうえ、ICNでの燃料補給に2時間かかり、私のIST-AYT(アンタルヤ)へトランジット3時間は乗り換え間に合うのか?な状況に。

 

 

 

 

 

 

そして、ISTに到着し飛行機を降りたのはAYT出発時刻の20分前。






 

急げば間に合うか?






 

と思ったものの、AYT便名の書かれたボードを持った現地スタッフに誘導され、専用レーンから皆で入国手続きし、スーツケースを受け取って出口へ。

 
roroのTranceWonderな日々

 

明日のフライトを一人一人予約するハメに。

 

roroのTranceWonderな日々

 

もう、夜中になってしまいました。でもあの地震だ。しょうがない。私は翌朝10AM発AYTへフライトを振り替えました。

 

 

 

 

 

 

そこへ、身なりのいいトルコ人オジサンが、






 

「あなたもアンタルヤ?」






 

日本語で話しかけて来ました。





 

オジサン(Aさん)、日本語堪能。仕事でほんの数日だけ日本に滞在する予定だったにも関わらず、震災に遭ってしまったとのこと。全員がフライト変更する長い待ち時間に、この面白いAさんと盛り上がりました。

 

 

 

 

 


彼は40年ほど前、トルコへ旅行に来た教職の日本人女性に一目惚れし、彼女を追いかけて来日して彼女と結婚。横浜の伊勢佐木町辺りに住んで子供にも恵まれ、工場勤務を転々として何とか生活していたのだとか。

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに日本にバブル到来。トルコから民芸品やガラス製品を輸入して販売すると、信じられないような高価格で飛ぶように売れ、日本中の高級デパートに呼ばれて催事を行い一大資産を築いたそう。

 

 

 

 

 

多忙となり、すれ違いから離婚して傷心でトルコの故郷アンタルヤに戻るも、日本で築いた資産でイスタンブルの中心スルタンアフメットにキャッシュでビルを購入し、アンタルヤにホテルを開業。日本にも未だ法人は残してあるのだそう。やり手ですよね。そこにもう一人、アンカラへ行く予定だったTさん(トルコの証券会社勤務)も加わり、これまた凄い経歴を聞いてたら、あっという間に時間は過ぎました。





 

乗り継ぎ出来なかった他の日本人たちも振替処理を終え、全員でトルコ航空のマイクロバスに乗って指定のホテルに辿り着いたのでした。

 





この後、Aさんとは不思議な縁を感じることになります。