2011/3に訪ねたトルコの旅を綴ります。

 

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南米のハプニング旅はまだありますが、今回は一旦、艮(北東方位)から離れて初トルコ旅を綴ります。トルコはこれまでに何度も訪ねておりますが、今回の記事は初めて訪ねたときのもの。以前、こちらで書いたのは2度目のトルコでした。






 

今回ご紹介する旅の出発5日前に、東日本大震災が起きました。日本をひっくり返したあの未曾有の大災害に、皆様それぞれ多かれ少なかれ、人生観を変える何かがあったのではないかと思っております。

 

 

 

 

 

 

私はあの日の前夜、同僚と少々飲みすぎまして当日は急遽年休。いつまで経っても体調が優れず、地震の起きた時間もベッドで本を読みつつゴロゴロしていたのですよ。そしてあのぐわんぐわんの揺れに、最初は酷い二日酔いがブリ返したのだと思っていました。

 

 

 

 

 

 

しかし、なかなか止まない揺れに、「ん?地震?」と。

 

 

 

 

 

 

ベランダから外を見ると、周りのマンションやデパートからワラワラと人が路上へ出てきてる。動かないエレベーターに階段で下へ降りると、周辺の車道は黒山の人だかりになっていました。

 

 

 

 

 

 

その後、余震が来るたびに叫ぶ女性、泣き喚く子供。横浜は東北ほど揺れたわけではありませんが、それでも異様な光景でしたよね。

※この時はまだ横浜某所に住んでいました。






そんな中、私の住むマンション(31階建て)は静まり返ってた。誰も降りてこない。後から隣人に聞くと、このマンションは免震に優れており、地震の際は部屋にいることが一番安全だという風に聞かされていたということでした。そのマンションは分譲でしたが、私は賃貸で入ってたので、そんなコト聞いたこともなかった。ホントに免震に優れていたかなぁ。相当揺れたし壁にヒビ入ったけど。






外に出ていてもしょうがないので、階段上って自分の部屋へ。私はその頃すでにテレビを持っていませんでした。停電しているので、どのみち周りは誰もテレビを観れなかったでしょうが、ネットも電話も全く通じず「地震が起きた」事実以外、何の情報もありませんでした。






夜になりベランダから外を見渡すと、マンションやデパート、道路の街灯に至るまで一切の光はなく、まるでゴーストタウン。私の部屋も蝋燭の灯だけ。オール電化なのでお湯を沸かすことも出来ない。カセットコンロくらい買っておきゃ良かったと思いましたよ。






そこに、マンション全室へ「一階で水や非常食を配る」と放送が入りました。停電しているので当然また階段。






私は中腹に住んでおり、それでも2リットル3本と非常食を持って階段を上るのはキツかった。これ、20階以上に住んでる人、特にお年寄りはエレベーターが動かない限り一歩も外へ出られないのでは?と思いました。そんなリスクもありますので、歳を取ってからのタワマン上階住まいは考えものだと知りました。よっぽど健脚なら別ですが。







翌朝。

 

 

 

 

 

 

ガラケーが振動したかと思うと、会社の上司や部下さんたちから一気に何十通もメールが届きました。皆、心配して地震直後から何度も送ってくれていたよう。彼らには怪我なさそうでホッ。そしてうちのグループは、オフィス近くに住む2人だけ徒歩で帰宅し、他は全員会社に泊まったと。女史たちは一緒にいてあげられんでスマンかった。今朝は電車が一部動き出したので皆帰宅。来週は全員自宅待機とのことでした。

 

 

 

 

 

 

実家にはたまたま電話が繋がり両親の無事を確認する。不安定ながらネットも繋がり初め、東北でM9の地震とその時に初めて知る。情報が断片的で全容不明なままガラケーの電池が切れ、充電できずその日も終わる。







地震から2日後の日曜日、「電力が復旧しこれから3時間だけ通電」「マンションのエレベーターが動く」と放送が入ったので、当時、向かいのマンションに住んでいた友人宅を突然訪ねて上がり込み、テレビを観せてもらいました。東北の津波の映像に愕然としました。そして死者の数に呆然。

 

 

 

 

 

「あの時、東北ではこんなことが起こっていたのか」






 

昨日まで普通に元気に生活していたであろう東北の人々や家屋、車、船が津波でどんどん押し流されていく。まるで映画。

 

 

 

 


 

「こんなことが現実に起こるんか。」

 






気付いたらボロボロ涙が出ていて止まらなかった。








日本はとても治安の良い国だけど、自然災害であっという間に死ぬリスクもある国。日本に住む者は、病気でも事故でもないのにいきなり死ぬことがある。それが、いつどこで起こるか分からない。






「いつか行きたい」「いつかやろう」「タイミングが合えば」なんて思っているうちに死んでる可能性がある。いつ死ぬかなど分からない。行きたいなら、やりたいなら「いつか」じゃない。「今」でしょ。

 

 

 


 


私はあの年を境に、猛烈に海外へ行き始めたのです。「今を生きる」という意味をあれほど強く感じた出来事はありませんでした。「いつか」という不明確な願望をやめ、淡々と旅のスケジュールを立て始めた。






タイトルにもありますように、およそ13年前のこの大地震まで、私はわずか30カ国しか訪ねていないのですよ。それまでは年に1〜2度、3〜5ヵ国を訪ねる程度でした。仕事が忙しくて海外へ行かない年も結構ありました。






つまり、この13年で新たに150カ国も訪ねたのです。これ、東日本大震災がきっかけです。

 

 





皆様は、あの時どこで何をしていましたか?あの年を境に、何かご自身の行動を変えた事はありますか。


 

 

 

 







 

というわけで、地震前に計画していた初トルコでしたが、そのような状況下になり一瞬怯んだものの、それでも「行く」「むしろ行く」

 

 

 

 

 

 

会社には以前から連休の旨は告げてあり、あまり悲観的になることもなく初トルコへ予定通り行くことにしたのです。