2019/7月にモンゴルへ行った時の旅ログです。

 

 

 

 

 

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ホテルに荷物を置き、早速周囲を散歩してみます。

 

 

ここでまず、驚いたのが人種。

 

 

このころまで私は、日本人の種の起源がほぼモンゴルだと思っていたのです。その認識は全くの誤りではなかったものの、モンゴロイド=モンゴル(国)ではなかった。

 

 

何故ならウランバートルにいるのは中国人で、日本人とは別の人種だったから。もちろん、モンゴロイドなので大枠は同系統なのですが、掘り下げるとこの国にいるモンゴル人は中国人。目や髪質、体型、歩き方に特徴がありますよね。

 


 

私は古モンゴロイドと新モンゴロイドの違いを知らなかったのだな。



 

 

・古モンゴロイド

アイノイド:縄文人。アイヌは典型的なアイノイド。

大和民族と南西諸島の琉球民族はアイノイドと新モンゴロイドとの混血。ハプログループDと関連。

 

・新モンゴロイド

北部モンゴロイド:弥生人。シベリア、北東アジア、カザフ、モンゴル、朝鮮半島など。

アルタイ諸語はハプログループC2、

ウラル語族はハプログループN と関連。

 

 

 

 

 

 

日本人に一番多い「ハプログループD」は、少なくとも現在のモンゴル系モンゴロイドではなさそう。ハプロCやNももちろん一定数いますのでモンゴル系はいることは確か。ハプログループについては、ここが今のところ分かりやすくまとまってるかな?

 

 

 

以前、DeNAという会社で遺伝子検査キットが売られていて、自分のハプログループを唾液で検査できたのですが、やってみたいなぁと思っているうちに今年の3末で販売終了になってました。残念。

 

 

 

 

 

 

次に驚いたのが文字!モンゴル語ってキリルを使うんだ?

 

 

モンゴルは人種も相まって中国系だと思っていたので、スラヴ系とは驚きです。実際は、モンゴル文字とキリル文字が両方使われているようですが、一般で話されているモンゴル語は、キリル文字に二つの母音を追加したもので、モンゴル文字とは一致していないそう。

 

 

 

 

 

 

 

下の写真の建物にゴールドで書かれた文字がキリル。銅像の下に金色で書かれているのがモンゴル文字です。梵字っぽい。

 

 

土地柄、中国と旧ソビエト連邦に翻弄されてきたと思われるので、人種は中国、言語はロシアとチグハグになったのかも知れないですね。因みに宗教はチベット仏教の割合が一番多いそう。更にチグハグ。

 

 

 

 

 

 

 

あら、ここロシアっぽい。歌劇場かなんかかな?

 

 

あちこちのこういったエンタメ系の建物やビルは、写真では華やかに見えるかもしれませんが、なぜだろう?街はエライ寂れている。

 

 

撮った被写体は立派な産業都市に見えますが、側だけです。活気ない。
 

 

活気というのは、人間あってのものなのですね。建物だけ立派でもどこか違和感。

 

 

ここはスフバートルという広場です。ここには人がいますね。私の訪ねた時は、ちょうど年に一度の国を挙げてのお祭り日でした。「ナーダム」と言ってたかな?




でも皆とても静か。覇気がない。



ここでは、モンゴル相撲を大きなスクリーンに映していました。



ナーダムではモンゴルの歴史的祭事である「競馬、相撲、弓矢」の3つの競技を行うのだそう。ちょっと日本と似てますね。



実際は中央スタジアムなどで行われており、ここのスクリーンでも観賞できるようです。

 

ここでもみんな大人しい。流れる音楽の爆音だけが響き渡っています。大きな声を張り上げるような人はいない。



広場にはゲルも特設されていました。これはモンゴルの遊牧民が使用する移動式住居です。

 

トルクメニスタンでもよく見ました。トルクでは「ユルタ」と呼ばれていたかな?


  

陽が暮れて、ホテルに戻りました。ホテルは広場の目の前、「The Blue Sky Hotel and Tower 」。まあまあなホテルでした。

 

 

 

 

それなりなのに安い。



夕飯は、広場を見下ろすホテルのレストランで。



折角なので(?)羊を。


 

信じられないことに、広場前にあるホテルのそれなり小洒落たこのレストランは、終始、客が私だけでした。年に一度の国を挙げたお祭りナーダムなのに?海外からの観光客いないの?

 

 

 

 

 

 

 

食後に散歩しました。アジアの一般的な首都と同じく治安に全く不安はないですね。

 

夜遅くまで子供も遊んでいます。



何か、この広場周りだけは立派なんだよなー。笑

 

モンゴル帝国時代はユーラシア大陸を広く手中に収めましたが、ここでもやはり栄枯盛衰。帝国の滅びたあとは隣国に圧倒され振り回されて衰退した様子が伺えます。

 

 

 

 

 

 

さて、明日は地方都市へ向かいます。