2019/7月にモンゴルへ訪ねた時の旅ログです。

 

 

 

 

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さて、カラコルムの早朝。世界遺産の「カラコルム遺跡」へ向かいます。「GAYA Guest House」から歩いて行けますよ。




やはりキリルなんだな。すごい違和感。モンゴルは近世、位置的に中国と旧ソビエト連邦に翻弄されてきただろうなってのは分かる。私の中ではキリルはロシアとその以西というイメージですので、それに組み込まれたんかな。




道中に見る古そうな建造物が全て歪んでいるように見えるのは、私の目の錯覚でしょうか?



たわんでないか?


 

さあ、カラコルム(ハラホリン)遺跡に到着しました。

 

 

カラコルムは1235年、モンゴル帝国のチンギス・ハーンによって建立された首都です。当時のこの領土の広さをご覧ください。モンゴル帝国は、東は中国、朝鮮半島、西は黒海まで、大陸ほぼ全域を支配下にし、空前絶後の大帝国になりました。

 

 

ユーラシア大陸における歴史で、これほどまでに凌駕した国はないですね。この信じられないほどの領土を収めたチンギス・ハーンが首都を置いたのがここ、カラコルム(ハラホリン)なのです。




この右側に囲む塀と白い仏塔は420m×420mの正方形ですよ。

 



そして、この正方形の中に寺院などが建てられています。ここは1586年に建てられました。



早速、中へ入ってみたいと思います。



こちらが「エルネデ・ゾー」と呼ばれるモンゴル最古の寺院宮殿です。



世界遺産に登録されています。



こちらは「ラブラン・ゾー」。「ゾー」ってブータンの「ゾン」と同じ?モンゴルはチベット仏教が半数を占める国です。人は中国人、言語はキリル文字で、宗教はチベット仏教。




完全にチベット仏教の建物ですよね。



でも、こちらは中国の仏教っぽい。

 

モンゴル帝国は、ユーラシア大陸をぶっ壊しましたが、生き残った人たちの宗教に口を出すことはなかったと聞いています。

 

ここにチンギス・ハンは首都を置いていたのですよね。先日も書きましたが、モンゴル帝国にコテンパンにヤラレた国や都市をこの時までに多く旅していたので、感情的には微妙です。


 

実に12,000都市におよぶ2900万人の犠牲がありました。

 

モンゴルへ訪れる前月にトルクメニスタンへ行き、その地の人々がチンギス・ハン率いるモンゴル軍にいかに残虐に殺害され、都市がどれほど壊滅状態に陥ったかということを観てきていたので、例え大昔のこととはいえ微妙な気分に。


 

当時のトルクメニスタンでは100万人がモンゴル帝国軍に殺害されたといわれています。


 


 

当時、最も裕福で美しいとされた私の愛するバグダッドもメチャクチャに破壊され、80万人が惨殺されたといわれています。


 

東南アジアや中央アジアを旅された方でしたら、見たことあると思われますが、首なし仏陀の石像や破壊された建物遺跡など、あれら全てモンゴル帝国の仕業です。いっさい容赦なしな姿勢が見て取れますよね。

 

 

今を生きる私達にとっては大昔のことで直接的な関係はありませんが、アジアの破壊された遺跡を見るたびに、私はモンゴル人の破壊行為にムッときていたのです。

 

そして、彼らがアジアの2,900万人を殺すために出発したのがここエルデネゾーの広場なのです。

 

ここに、当時のモンゴル軍隊が何十万人も集結していたのです。



 

もちろん彼らは日本にも挑みました。蒙古襲来として知られていますよね。


 

神風が吹いて追っ返したというアレですね。実際は台風で海が荒れていたとか、北条氏があまりにも強かったとか、様々云われはあるようですが、とにかく彼らは上陸できなかった。

 

 

もしあの時、彼らが上陸していたら私もあなたもこの世に存在しなかったかも知れない。日本の歴史も大きく変わっていたことでしょう。

 

 

今現在は、めちゃくちゃ長閑。笑