2019/7月にモンゴルへ行った時の旅記録です。
※ブログのタイトル変えました!海外へ行く度に必ずレンタカーしているわけではないので、地球旅にしました。
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172ヵ国目にモンゴルへ行きました。三連休に一日有休を足した短期単独国旅です。
モンゴルは日本から比較的近いにも関わらず、最後の方まで残っていました。理由は二つあり、「いつでもすぐ行ける」こと。そしてこちらのほうが大きいのですが、「あまり訪ねたいと思っていなかった」。
と言いますのも、話は千年前に(?)遡るのですが、ユーラシア大陸の人々を軍・民問わず広く虐殺しまくったチンギス・ハーンのいた国を、私は以前から酷く軽蔑していましてですね。
私自身は、当然ながらこの歴史に全く関係ありません。何故そんな感情が浮かぶのか自分でもよく分かりませんが、ここまで訪ねた広域アジア各国の貴重な歴史的遺産を、人も含めてモンゴル帝国にことごとく破壊、虐殺された残骸を観てきて、どおおおおおも嫌悪感が拭えなかった。
広域アジアのどんな遺跡を訪ねても、「ここには宮殿があったがモンゴルに跡形もなく破壊された」「この釈迦の首がないのは全てモンゴルに切り落とされたから」「ここはジャングルに覆われていたのでモンゴルに見つからず破壊を免れた」
アジアの歴史的に重要な遺跡(となるはずだったもの)は、とにかく「モンゴル」が付きまとう。アジアの広範囲に渡り、ホント恐ろしく細部に至るまで、美しかったであろう寺院、宮殿、神殿が破壊し尽くされたのですよね。
イラクのバグダッドなどは、モンゴルに侵攻されるまで数々の宮殿神殿の点在する、それはそれは美しい桃源郷のような都だったそうですよ。それが、跡形もなく破壊された。
そして当時、ユーラシア大陸でモンゴル帝国軍に殺害された人の数は実に2,900万人といわれております。あまりに世界の人口が急減したため、地球の平均気温が2℃下がったともいわれていますよ。
そして、もうそれから千年も経っていますが、これ多分現代に生きる私の経験とDNAの記憶が交錯し、モンゴルへ足を向けさせなかったのだと思っています。
注) 現代に生きるモンゴル人に一切、罪はありません。
そんな感じで全然行く気にならず最後の方まで残っていた簡単に行けるモンゴルですが、未訪問国がほぼなくなってきたこともあり、重い腰を上げました。
はい。着いた途端にチンギス・ハーン。爆 これ、ヒトラーをドイツが英雄視するくらい、私にとっては違和感あるわ。
何かの映像でウランバートルは高層ビルの立ち並ぶ様子を見た気がしたので、モンゴルはアジアのドバイを想像してきており、到着して驚き。
どんな国も首都にある国際空港はそれなりに国の持てる最大の建築技術、デザインを結集するものですが、ここは掘っ立て小屋だった。これ、ネパールやアフリカの貧国並みです。この時、確か新空港施設ができる(もちろん日本が支援)と聞いた気がするので、もう新しくなっているかも知れません。
空港施設から出てもタクシーらしいものはなし。多くの車は身内や友人の送迎のようです。空港インフォメーションに人はおらず、立っていた警備員に「タクシーはないか」と聞いたところ英語は通じず。
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(なんっにも調べて来てない。飛行機とホテルを取っただけ。笑)
途方に暮れていると、空港駐車場の向こうの端のほうに大型バスの入ってくるのが見えました。「あそこはバス停か?」と行ってみると、欧米人らしき若い男性が3人!助かった!
「ここの空港にタクシーはいませんか?」と聞くと、「いるとは思うけどよく知らない。ウランバートルの中心部へ行くならここから安いバスが出るよ。」と教えてくれました。おっとラッキー。
そして、「どこから来たの?」と聞かれたので「日本から!」。聞き返すとカナダ人で、日本でいうJICAのような国の組織から、学校の英語授業の講師として派遣されて来たとのこと。
「なぜモンゴルを選んだの?」と聞くと、「モンゴルしかなかったから仕方なく」というネガティブ発言。笑
でもその気持ちは分かる。私も上述したのとは別の理由でモンゴルはいやだなあ。なんせ、ウランバートルは冬の気温が-40℃。世界で最も冬の気温の低い首都といわれています。夏は30℃とまぁ普通ですが、一年の気温差70℃は果たして人間の住む土地なのか?笑 私の訪ねた7月は湿気もなく過ごしやすかったけど、日差しは強かったなあ。
さて、カナダ人たちとさよならし、バスを降りてホテルへ向かいます。到着は夕方。早速周囲を散歩してみます。