2022年GWに訪ねたイラクの旅を綴っています。現地で書いたものに写真と文章を大幅に追加しています。
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チャドルを借りて準備万端。(あ、あ、暑い!!
カルバラー聖地の中心部には、大きく二つの寺院があります。一つはアリーシーアの第3代イマームであるフサイン廟、もう一つはフサインの異母兄弟アッバスの廟ある寺院です。
この聖地を語るに「カルバラーの戦い」は外せません。イスラム教に「スンニ」や「シーア」という派閥が確立されるキッカケともなった戦いです。
ここで、シーアという派閥が明確になった二人の悲劇の戦いを簡単にご紹介させて頂きますね。あまりご興味ない方は読み飛ばしてくださいませね。
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イスラーム教が誕生した当初、先述したようにシーアやスンニの違いはありませんでした。預言者ムハンマドの死後、どうやって次のリーダーを決めるかという点において、実力や能力で選ぶべきとしたのがのちのスンニ。預言者ムハンマドの血筋を重視したのがのちのシーア。それらが決定的な派閥となったのは、ここで西暦680年に起きた「カルバラーの戦い」です。
ムハンマドの死後に起こった正統カリフの歴代キングは下記の4名。※カリフはイスラム国家最高権威者
【正統カリフ時代の歴代カリフ】
第一代目 アブー・バクル(632年 - 634年)
第二代目 ウマル(634年 - 644年)
第三代目 ウスマーン(644年 - 656年)
第四代目 アリー(656年 - 661年)
これも前述の通り、一代目のバクル以降は3人とも暗殺されています。三代目カリフのウスマーン(ウマイヤ家出身)が暗殺されたとき、ウマイヤ家のムアーウィアはこの事件をアリー派の仕業として彼のカリフ就任を否認し、血の復讐を叫んでアリーと対立します。
アリーは、ムアーウィヤの弾圧を避ける理由もあって、自身のカリフ時代にメッカからイラクのクーファへ遷都しますが、クーファのグランドモスクで祈祷中、毒の塗られた刃で襲われ殺害されます。
父アリーの死を受け、長男ハサンがカリフに即位するも、ムアーウィヤはそれを認めず攻撃をしかけ続けます。長男ハサンは初めの方こそ応戦していたものの「人々の命を救い、イスラム教を守るため」とカリフ位を辞任。
ムアーウィヤは単独カリフとなり、自己の家系によるカリフ位の世襲を宣言して西暦661年にウマイヤ朝を開朝します。
これに反発したのがアリーの支持者。
ムハンマドの娘ファーティマを母として生まれた長男ハサンと次男フサインの2人こそイスラム教の長に相応しいと、アリーを初代イマームとし、長男ハサンを第2代イマーム、次男フサインを第3代イマームに推戴。ウマイヤ朝のカリフをガン無視し、イスラム教の真の教徒派閥としてアリー・シーアを形成していきます。
【イスラム教シーアの12イマーム】
第一代:アリー(父)
第二代:ハサン(アリーの長男、ムハンマドの孫)
第三代:フサイン(アリーの次男ムハンマドの孫)
第四代:アリー・ザイヌルアービディーン(フサインの息子)
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第十二代:ムハンマド・ムンタザル(マフディー) - 隠れイマーム
西暦669年、突然長男ハサン死去。ムアーウィヤが東ローマ帝国から毒を調達し、ハサンの妻に毒殺させました。
フツフツと怒りを募らせる第三代イマーム次男フサインとアリーの支持者たちは、ムアーウィヤの死去により世襲でカリフとなった息子ヤズィードのカリフ位を否認。
飽くまでも「預言者ムハンマドの聖裔に連なるアリーの一族のみがカリフに就き得る」との姿勢を崩さず、ついにヤズィードへ宣戦布告。
しかし、メッカからフサインを招いた張本人であるクーファ軍は、ウマイヤ軍に封じ込められ手も足も出せず、フサインはメッカから連れてきた少人数でカルバラーでの戦いに挑みます。
圧倒的に劣勢(70:4,000だったと云われてる。驚)。フサインの息子たちもろともあっという間に殺害され、最後は次男フサインと、旗手として戦う彼の異母兄弟アッバスだけとなります。
アッバスは大胆さと勇気を兼ね備え、フサインを守るため不屈の精神で戦ったとして、シーア・ムスリムから究極のパラゴンと見なされています。背が高くてハンサムだったそう。
最期まで戦ったハンサムなアッバスは、500人の狙撃兵に射抜かれ即死。その後、フサインも怪我のひどさのために地面に倒れ絶命します。。西暦680年10月10日。(私の誕生日の前日やん)
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アッバスに先立たれるフサイン。
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敗れたフサインとアッバスはここカルバラーの寺院にそれぞれ埋葬されました。
現代においても、シーアのムスリムにとって彼らは悲劇のヒーロー。英雄中の英雄。アイドル中のアイドル。殉教王子として未だに熱烈に愛されています。ちょっとそのフィーバーぶりが尋常ではないのですよ。
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車道走行中も度々、彼らの顔が電柱に永遠掲げられる道路もありましたし、店の正面に大きなフサインの横断幕を吊るしているビルもありました。カルバラーの戦いももう、1,300年以上前の話なのですけどね。。爆
彼らの命日である10月10日、カルバラーではアーシュラーという賑やかな追悼祭が行われるそう。フサインの傷みを共感するためにナイフで自らの体を刺したり、鎧を打ち付けたりして、血を流しながらパレードに参加する人が少なからずいるらしい。気持ちは分からないでもないけど、
いくらナンデモやり過ぎちゃうん?笑
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