2022年GWに訪ねたイラクの旅を綴っています。現地で書いたものに写真と文章を大幅に追加しています。

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西暦836年に築かれたサーマッラーのカリフ宮殿を、修復工事中だったオッチャンと一緒に巡ります。このオッチャンも絵に書いたような「すごく良い人」

 



しかし、おっちゃんガイドはアラビア語なので私はほとんど分からない。懸命に何かを伝えてくれて身振り手振りしてくれるので、こちらも懸命に聞けば言いたいことはちょっとだけ理解できる。ここをこうやって水が流れるとかね!

 

宮殿の部屋の壁のほとんどは漆喰。このちょっと「え?」って感じの部屋も、当時の衛兵の詰め所などで、左右の下側の壁デザインはオリジナル。美しいですよね。



こちらも、上部は剥き出しになっているものの、下部のデザインはサーサーン朝、ヘレニズム、ウイグルの芸術に影響を受けたアッバース朝独自のデザインのようです。


 

アッバース朝は、特に装飾において独自のスタイルを進化させたので、先ほど登ったスパイラル・ミナレットなどもかなり珍しく個性的でしたよね。

 

 

 

 

 

 

ほかにも、フレスコ画、彫刻、絵画、金メッキ、ステンドグラスで飾られていたそうなので、この何もない部分はそれらが嵌め込まれていたのではないかなぁ。この写真の左にはエレガントな彫刻がなされていますね。シンブルで美しいですよね。


 

一旦、外に出ました。日干し煉瓦が積み上がり、何か大きい建物があったことは分かります。

 



やはり、陽がよく当たりそうなところは崩れていますね。修復したら美しい宮殿が現れそうです。オッチャン、もっとピッチ上げて頑張って!笑

 

 

 

 

 

 

この宮殿は街から遠く、当時では珍しい街のジャミィ・モスク(金曜モスク)から離れた場所に建設されました。



第8代カリフのムウタスィムが新首都をバグダッドからサーマッラーへ移す際、宮殿に割り当てる広い面積を街の中心部に置くと一般人の住む住居を奪うことになると、それを避けて市場や公営住宅から離れた何もない砂漠に作ったそう。

 

また、この宮殿は、当初建設された建物に大きく増設された形跡があり、大規模な拡張も視野に入れていたのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

横に流れるティグリス川の水が湧くように作られた井戸。
 

 

ここはティグリスの水の通る水路。

 

 

ここも、場合によっては水路になったらしい。(オッチャンガイドがそのように言ったように思う。爆)

 

通路はゴミが多いのですけどね。この下のデザインを見てください。


 

完全にペルシャ入ってる、なんとも素敵なデザインです。見事です。


 

こうやって様々な国や朝廷の芸術が混ざり合って、新たな美しい芸術が生まれるのですよね。

 

 

外はこれ、どこかでこんな感じ見たなあ。コーカサスだったか、、アルメニアかグルジアの田舎にある古代の教会だったような。。

 

細長いイーワーンのトップにニョロニョロが彫られただけなのですが、どこか上品に感じられます。このようなデザインや漆喰のモチーフなど、支配下に置く国独自の素敵なデザインを取り入れて新たな装飾を編み出し、改めて広大な領土へ広めるといったことをしていたよう。

 



この宮殿のメインは、何と言ってもこのプール。

 

 

イーワーンに囲まれた直径62メートル、深さ2メートルの円形プールに、当時はティグリス川の水が常時流れ込んでいました。

 

 

私の立っているこのプール(池)の底は、光沢の技法で作られたモザイクやタイルの破片が発見されたようです。それはそれは美しい池だったらしく、アッバース朝の詩人アル・ブフトゥリの有名な詩でも唄われたよう。

 

工事中のオッチャンガイド撮影

 

 

 

 

また、プールの端からティグリス川に至るまで「Kahriz」というシステムによって排水され、工学的な見地からも注目された技術だったらしいです。

 

 

宮殿はティグリスに沿って700 メートルに延びており、広間、管理室、居住用の建物、州庁舎、警備員の兵舎、4つのメインエントランスと8つのサブエントランスがありました。その全てで水の流れは効率的に行われていたのでしょう。こういった遺跡は、古代より取水排水がキーだったのですよね。


 

とにかく広大な豪華絢爛宮殿。目下修復中ですけれども、先述のとおり3/4が埋まっており、これを掘り起こしてこの調子で修復していくこと、私の生きているうちには完成しないと思われます。爆

 

 

 

 

 

 

 

以下は、この宮殿が使用された当時の様子を拾ってきています。

 

 

 

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中庭を中心に、多数の居室や広間が配置されていた宮殿は、「ダール・アル=キラーファ」または「ジャウサク・アル=カーカーニー」として知られていた。階段の下には大きな長方形の水盤があり、水路が門から300メートル離れたティグリス川の近くの高台にあるパビリオンまで続いていた。カリフや宮殿の住人、衛兵がそこから景色を見渡すことができた。

 

 

門の裏側には、東に向かっていくつかのホールがあり、四角い中庭に続いていて、その先には、十字型に配置された4つのイーワーンを持つドーム型のホールがあり、各イーワーンはその背後にある別の中庭にアクセスできるようになっていた。

 
 
その先の東の中庭は、350×180メートル(1,150×590フィート)の広大な遊歩道で、水路、噴水、おそらく庭園があった。
 

 
大きな円形の水盤を囲むように作られた部屋がある中庭があり、いわゆる「大セルダブ」(エルンスト・ヘルツフェルトによる命名)またはビルカ・ハンダシヤ(イラクの考古学者による命名、「幾何学の水盤」)と呼ばれている。
 
 
大エスプラナードの北側に位置する中庭は、おそらく夏の暑さをしのぐために設計されたものであった。
 
 
広大な宮殿には兵営や厩、レースコースのようなものもあった。
 
 
 
 
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今となっては3/4が砂漠に埋まり、残ってる箇所もレンガしかないのですけれども、恐ろしく壮大で豪華な宮殿だったのだと想像します。見てみたかったなぁ。

 

 
ところで私、ドライバーとイラク軍に「Qasr al-Ashiqに行きたい」と言ったはずなのに、ノーマークだったこのカリフ宮殿に連れてこられました。
 
 
 
 
 
しかもそれに気づいたのが、バグダッドに戻ってからという。。笑
 

 

 
 

 

 

でも、言葉が通じてなかったおかげでここ来れて良かった。Ashiqは次回に訪ねたときにでも。