2022年GWに訪ねたイラクの旅を綴っています。現地で書いたものに写真と文章を大幅に追加しています。

 

 

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単独日本人女性初訪問(?)のここは、第10代イマーム「ハディ」と、第11代イマーム「アスカリ」の霊廟あるアリー・シーアの聖地・巡礼地です。

 

 

 

 

 

ここからまたイスラム教の歴史をお伝えします。興味のない方は飛ばしてくださいませね!

 

 

 

 

 

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ここまでご紹介したアッバース朝の長はカリフでしたよね!カリフは正統カリフ時代からウマイヤ朝、アッバース朝に続く最高権威の称号で、事実上イスラム帝国の王(キング)です。

 

 

 

 

 

正統カリフ時代 西暦637-661

ウマイヤ朝 西暦661-750

アッバース朝 西暦750-1517

 

 

 

 

 

 

一方、イマームは概ね「イスラム教の指導者」。

 

 

 

 

 

 

イマームは、スンニ派ではカリフおよびウラマー(一般のイスラーム神学者・法学者)のことを指します。一方、シーアではちょっと意味は違ってきて、イマームムハンマドの子孫から選ばれし最高指導者を指し、大変に意味のある特別な高位なのです。

 

 

 

 

 

 

 

ところで、スンニシーアは皆様も聞いたことあると思いますが、これらはイスラム教の派閥です。世界のイスラム教徒は現在およそ20億人といわれており、9:1で圧倒的にスンニが多い。しかし、国ごとに見るとイラクは半分、イランに至ってはほぼシーアです。

 

 

 

 

 

 

 

※日本ではイスラム教の「シーア派」と表現しますが、「シーア=派」という意味で、シーア派と書くと「派派」という意味になります。このため、私はアリーの派閥と言う意味で「アリー・シーア」や単に「シーア」と書いています。

 

 

 

 

 

 

そもそも、預言者ムハンマドがイスラム教を布教していた時代に、派閥などありませんでした。ただ単に「イスラムの教え」があっただけなのですよね。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、ムハンマドの死後、どうやって次のリーダーを決めるかという点において、実力や能力で選ぶべきとする意見と、預言者ムハンマドの血筋を重視すべきとした意見が出ます。

 

 

 

 

 

 

 

結局のところムハンマドの死後、正統カリフ時代のカリフ4人は実力で選ばれました。

 

 

第一代カリフ:アブー・バクル(632年 - 634年)
第二代カリフ:ウマル(634年 - 644年)
第三代カリフ:ウスマーン(644年 - 656年)
第四代カリフ:アリー(656年 - 661年)

 

 

ここで四代目アリーだけはたまたまムハンマドの血筋。創始者ムハンマドの従兄弟であり、ムハンマドの娘ファーティマの婿でもあったのです。

 

 

 

 

 

 

正統カリフ時代は、何だかんだ意見はあっても派閥はありませんでした。決定的になったのはアリーが暗殺されてからです。

 

 

 

 

 

 

アリーを信奉し、以前から血統を重んじていた人々は「単に信者から選ばれたにすぎないカリフは信仰上で誤ることがある」が、「アッラーの使徒としてムハンマドの血統を受け継ぐ者は誤ることはない」と、新王朝(ウマイヤ朝)のカリフ制を否定し蜂起したのです。

 

 

 

 

 

 

そして、第4代カリフであったアリーを第一代目イマームとして、アリーの息子たちであり、血の繋がったムハンマドの孫であるアリーの長男ハサンと次男フサインを第二、第三のイマームに薦し、イマームこそがイスラム教の長とします。

 

 

 

 

 

 

スンニカリフによる統治を正しいと見なすのに対し、アリー・シーアアリーの子孫こそムハンマドの血と意志を引き継ぐ正当な指導者であると見なしたのです。

 

 

 

 

 

 

ムハンマドの血を継いだイマームの12名様はこちら。


第一代イマーム:アリー
第二代イマーム:ハサン
第三代イマーム:フサイン
第四代イマーム:アリー・ザイヌルアービディーン
第五代イマーム:ムハンマド・バーキル
第六代イマーム:ジャアファル・サーディク
第七代イマーム:ムーサー・カーズィム
第八代イマーム:アリー・リダー
第九代イマーム:ムハンマド・タキー
第十代イマーム:アリー・ハーディ
第十一代イマーム:ハサン・アスカリ
第十二代イマーム:ムハンマド・ムンタザル(マフディー) - 隠れイマーム

 

 

 

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圧倒的にアリー・シーアの多い聖都サーマッラーにおいて、第十代ハーディとその息子第十一代アスカリの眠るこの寺院はとても重要です。イラクでは、これから訪ねるナジャフとカルバラに次ぐ神聖なる聖地なのです。

 


昨日の話に戻り、、、

 

 

 

 

 

 

私の友人たちが尽くこの聖地に入れなかった理由は分かりませんが、神聖なる聖地に異教徒が観光気分で訪ねてくることを快く思わない人もいるのかも知れませんよね。実際、サウジのメッカやメディナはイスラム教徒でないと寺院はおろか、街にさえ入れません。

 

 

 

 

 

 

 

大らかで親切なイラク人でさえ場合によっては入場を断るくらいですから、日本人には理解し得ない相当な思い入れがあるものと感受します。私はホントにたまたま入れただけですので、失礼に当たらないよう心して参ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

さて、サーマッラーの聖地寺院は西暦944年のアッバース朝時代に建設。金色ドームは1905 年に再建された際に72,000 枚の金片を貼ったそうですよ。もう一つのドームは修復中。ブルー基調のデザインドーム。

 

しかしこの金色ドーム。2006年と2007年の爆破事件で大破しています。下は当時の様子です。

 

 

思い入れの強いイマーム廟の寺院を爆破するなど、信者の皆様からしたら極めて許し難い行為だったと思われます。ただのモスクとは訳が違いますから。(モスクも爆破などしちゃイカンけれども)

 

 

 

 

 

 

欧米メディアはこのとき、一斉にアル・カイーダ系による犯行と報じましたがホントかなぁ?

 

 

 

 

 

 

この頃はイラク戦争真っ只中。先日書いた通り、この寺院から近いスパイラル・ミナレットと大モスクは米軍が占拠していた。

 

 

 

 

 

 

そもそも何故、米軍と戦うアル・カイーダがイマーム廟を破壊する必要が?しかも人気(ひとけ)のない早朝に。

 

 

 

 

 

 

この爆破を受け、シーアとスンニの間で戦闘が起き、数ヶ月続いた宗派間抗争で1日に300人以上の市民が犠牲になった日もあったそうですよ。

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

NATOが糸を引いてやったんじゃないの?ルワンダでツチとフツ族を煽って大虐殺事件に発展させたように。欧米メディアはもはや全く以て信用に値しませんからね。

 


っと話がそれそうだ。

 

 

 

 

 

 

現在に戻って、寺院前の広場は神聖な空気。。。なのですけど、下の動画では子供ギャン泣き。笑



アラビア語を話せないので写真を頼めず、カメラのタイマーで自撮りするのですが、こういった広場では大体ボケる。タイマーで撮るときの焦点ってどうやって合わせばエエんやろ?
 

 

さあ。寺院へ向かいます。入場の際は、左側のブースにカメラと靴を預けます。



預けると数字の入ったプラスティックの番号札を渡されます。

 

 

ここからはスマホでのみの撮影。流石に聖地の寺院。細やかに美しいです。色の使い方もホント旨いんだよなー、誰が考えるのかなぁ?



 

外壁の装飾もご覧の通り完・璧。


それでは、第十代、十一代イマームのハディ、アスカリの廟へ入ります。外人単独での入場です。私、呆気にとられます。笑