2022年GWに訪ねたイラクの旅を綴っています。以前、現地で書いた記事に写真と文書を大幅に追加しています。

 

 

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古代アッシリア(紀元前2500年以前の北メソポタミア) 

 

広義の北メソポタミアから発掘された小物をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

こちらは寺院で使用された香炉だそうです。シャラ(北メソポタミア)という場所で発見されたようですが、Google mapsで調べてもそのような地名は出てこない。4本脚の雄羊の背中部分は平らで、花瓶を置けるくらいの広さにお香を置いていたよう。足となる部分にある十字架(?)が気になる。

 

 

こちらは2階建ての香炉。現Dukan盆地(イラク北部のアルビルと東部スライマーニーヤの中間)のBasmossianで発見されたよう。製作はフルリ人と呼ばれる人々で、優れた陶芸家集団だったらしい。彼らの製作物はハブール土器(Khabur ware)、ヌジ土器(Nuzi ware)と呼ばれてメソポタミアにとどまらず、当時のエジプトにまで評価されていたそう。

 

 

フルリ人の起源は謎ですが、紀元前3000年期にフルリ人が住んだ地域は現在のイラク・シリア・トルコ、ハブール川(現シリア)流域からザグロス山脈(現イラン)の麓までの肥沃な農業地帯に及びます。

 

 

 

 

 

 

中心はウルケシュ(現シリア)とトルコの国境にあるそう。このことが遺跡へのアクセスを困難にしており、またダム建設プロジェクトによって、未だに解明されていない遺跡が永遠にダム湖の底になる脅威アリ。豊かな文化を持ち、高度な都市国家を形成したようで、現イラク内ですとミタンニはフルリ人の建てた王国とされています。私、彼らにとても興味があります。

 

 

 

古代バビロニア 紀元前2334年頃~ 

 

ウルクで発見された神殿の塀。天界の女王イナンナはじめ、エンリル、エンキなど神が描かれているよう。こちらはイミテーション。オリジナルはベルリンのペルガモンにあります。

 

 

バビロンで発見された騎士と思しきレリーフ。これ、メソポタミアでないどこかで見覚えが。。

 

 

 

こちらは、バビロンやドゥル・クリガルズで発見されたタブレット。タブレットの類は現代の本やノートのようなものだったのか、とにかく多く発見されています。横浜山下の美術館でも見たように思う。

 

 

壺やアクセサリ。

 

 

 

こちらはバビロニアの「クドゥル」という境界石です。紀元前14世紀から7世頃のもので、キングが家臣に土地を送った証明書のようなもの。現在の登記簿謄本や土地の権利書のようなものかな?これが権利書なんて素敵でないですか!

 

 
これまで、160個のクドゥルが発見されたそうですが、多くは盗難に遭い、現在把握できるクドゥルは世界で20。女神イシュタル、月神シン、太陽神シャマシュ、その下段に水神エア(亀)、天空神アヌ、守護神ナブ、そのさらに下は、女神イシュハラ(サソリ)、癒し神グラ(獅子)、冥界神ネルガル(龍)など様々な神を表すシンボルが描かれる不思議な石です。これもオリジナルは大英に。
 
 

 

 

新アッシリア 紀元前1994年頃~ 


レンガに描かれた山羊の絵をはじめ、フルーツを置いたであろう皿など。ニムルドで発見。紀元前911年~612年のもの。

 

こちらはコルサバード(ドゥル・シャルキン)で発掘された人面獣身像の顔部分。ドゥル・シャルキンは7つの門があったようで、そのうちの一つの門に建っていたようです。


 

ちょっとギリシャ入って来たかなと思いましたが、純粋なメソポタミア。


 

発掘時の様子。このような現場で、あーでもないこーでもないってメチャクチャ楽しいだろうな。

 

 

イギリス人の友人で一人、同じようなメソポタミア好きがいて、彼女は自分が敬愛する考古学専門家の助手として、イラクのマリ遺跡やシリアのどこって言ったかな?同じくユーフラテス川沿いのメソポタミア遺跡の発掘に携わったことあり、そのときの様子を嬉々として話してくれました。自分の人生で最高の出来事の一つだったと言ってたなぁ。

 

 

 

 

 

 

紀元前7,000年紀から人が居住していたニネヴェ。サルゴン二世の息子センナケリブは、父が他界したあとドゥル・シャルキンを捨てて近所のニネヴェに遷都し、城塞を築きます。こちらはブロンズでできた城壁のミニチュアです。

 

これは、とあるシーンが3段にわたり彫刻されています。最上段のシーンはヘビ神で、2 番目のシーンの右側にはサソリ神。3 番目のシーンは何かの動物、これも神のよう。新アッシリア時代の都市アナトで発掘とありますが、現在の地名にアナトは見つけられず、どこか不明。



小さい神たち。アッシリアは日本並みに神様が居ました。現代の世界の宗教は一神教の多いなか、いっくらでも神がいるのはメソポタミアと日本とインド(ヒンドゥ教)くらいでは?

 

コルサバードで発見された円筒形の銅。紀元前700年頃のもので、前面には耕作と栽培の様子が刻まれています。

 


アッシリア王アシュルバニパルの戴冠式で使用された小物。

 

 

1 ニムルド市で発見されたタブレットで、経済問題や建設工事に関連する奉献文が書かれているよう。メソポタミアでも地鎮祭や上棟式をしていたのね。ほほう。

2 これは、世界で類を見ないユニークなテキストと書かれているのですが、何がユニークなのかは書かれていない。(ったく)




3 アッシリア王アダッド・ナラーリ2世が宮殿と都市を建設したことを示す碑文。



アッシリア王アッシュール・ナシル・パル 2 世 (紀元前

844 ~ 858 年) の宮殿で発見された大理石の床の一部で、砦の建設と彼の軍事的および建設的功績を示す楔形文字の碑文。日本の定礎のようなもの?

 

こちらはアッシリアの王とバビロニア王の間に楔形文字の書かれた政治協定のレリーフ。こちらもアナトで発見。

 
コレスゴイ!紀元前8世紀頃のアッシリアのレリーフ。オリジナルはルーブル収蔵。ユーフラテス川かティグリス川を袋(?)に空気(?)を入れて漁獲(?)。スイミングキャップ被ってる?しかも褌(フンドシ)?脹脛!
 
 
 
もう「ハテナ」いっぱいですが、使用する物こそ違えど、今も昔も人間の思考は同じなのだと思える作品の一つ。