2018年11月に訪ねたパレスティナの旅を綴っています。






イスラエル博物館が興味深すぎて、陽が暮れてしまいました。





エルサレム旧市街へ向かいます。




 

途中にいたイスラエル軍の若者たち。イスラエルは徴兵制度がありますので、18歳になれば男女必ず入隊です。今後、パレスチナ人を殺すこともあるのでしょうか。旧約聖書にかかれていることとやってることに矛盾がありませんか?自己矛盾に悩んだりはしませんか?爆






旧市街の城壁は、どこもライトが工夫され美しい演出。 





あれ、この日は満月か?





古代の人々もこの景色を眺めていただろうか。




 

旧市街は昼に増して、人が多いです。






ここはお土産物が並ぶエリアなので、ひときわ多いかな?




今朝、行きそびれた、とある場所へ向かいます。





到着。





もっすごい人だかりだ。こんなにいるとは。




 

ここは、JesusChristの眠るとされる聖墳墓教会です。キリスト教徒は世界で最も多い23億人(2020時点)とされており、その聖地ともなればこれだけの人が常にいるのも当前か。

 

 

 

 

実は朝も通ったのですが、あまりにも人がひしめき合っていたので、後回しにしていました。朝より多い。泣





 

イエスが磔刑にされた場所(ゴルゴタの丘)と墓は当時から口伝されましたが、この場所だったという説もあれば、城壁外だったという説もあり、実は特定されていません。

 

 

 

 

ここはキリストの絶命後、2度のユダヤ戦争によって西暦135年ごろまでにローマ風の都市に作り替えられ、この場所もヴィーナス神殿が建っていたそう。

 




 

しかし326年、ローマ帝国コンスタンティヌスの母ヘレナがエルサレムを訪ねた際、この場所でイエスの墓と磔刑の聖十字架および聖釘を発見したとされ、それを聞いたコンスタンティヌスがヴィーナス神殿を壊して聖墳墓教会を建て、ここが磔刑の地と既成事実化します。





 

この聖墳墓教会は、コンスタンティヌスが建設し、サーサーン朝が破壊(614)し、ヘラクレイオスにより再建(630)され、ファティマ朝が破壊(1009)し、コンスタンティヌス9世が再建(1048)したのち、十字軍が制圧(1099)。さらにオスマン、イギリス、ヨルダン、イスラエルが統治するなど、とにかく係争の中心となります。





 

ここを聖墳墓としたことで、管理や優先的な利用を巡って争いは絶えず、大規模な戦争(クリミア戦争)まで起きました。

 

 

 

 

純粋に宗教的な感情が発端なわけではなく、経済状況や政治的な対立もあったでしょうが。






現在、この教会は東方正教会、アルメニア使徒教会、カトリック教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理になっており、日に何度もそれぞれの教派によるミサ・聖体礼儀が行われているようです。
 

 

 


こちらは建物に入ってすぐの場所にある「聖油の石板」。キリストが十字架にかけられ絶命したあと、横たえられ聖油で清められたとされている場所です。





正面の絵画には、キリストが清められる場面が描かれています。





石板に頬を擦り付けて大泣きしている女性や、大声で何かを唱えるオジサマもいました。ちなみに、この石板はレプリカです。



 

 

朝のユダヤの「嘆きの壁」、そしてここ聖墳墓教会での人々の嘆きぶりに違和感を覚えます。





 

以前、スリランカのキャンディという都市にある「仏歯寺」へ訪ねた時も、日に数回お目見えする仏歯の入った舎利容器の前で、多くの仏教徒が座ってオイオイ泣いてる人々を見ました。






この感情的な人々を見て、なぜ世界で宗教戦争が起きるのか分かったような気がしましたよ。




 

ホント不謹慎ながら、数千年前に他界している会ったこともなければ血も繋がらない人にここまで感情的になれるその感覚。冷静に考えても日本人にはそれ、分からなくないですか。





 

こちらは、キリストが磔刑された祭壇とされています。いわゆるゴルゴダの丘。





 

まさにこの場所に十字架が立てられ、キリストは磔られるわけですが、その十字架を立てた堀穴が残っているとされ、みなさま並んでその穴を触って行かれます。





 

並ぶの苦手なので、私は遠くから拝見するのみ。


 

 

 

ここは、教会の中にある聖堂です。ここがイエスのお墓とされています。もっすごい列。




 

中は二〜三人しか入れない小部屋のようで、常時行列。





 

のちに会った日本人観光客は、中にはいるのに1時間半も並んだと言ってました。この教会は早朝5時くらいから開いてるので、その辺りが狙い目かも知れませんね。何度も言って恐縮ですが、並ぶのは苦手なので入りませんでした。が、ここまで来たなら行っとけば?って感じですよね。






キリスト教ではJesus・Christイエス・キリストは神の子、そしてキリスト教徒唯一のとして今でも多くの人に信仰されていますよね。

 


 
 

一方、キリストは実際はまあ、ユダヤ人、一人の人間です。




 

彼は真正のユダヤ(イスラエル)人で、本当に存在していたのだとしたら人の子です。夢もロマンもありませんがそれが現実ですよね。ユダヤ(イスラエル)人だったというのは頷けます。顔が当時のユダヤ(古代イスラエル)人なので。





 

私がいつも解せないのは、一般的に○○人、例えば日本人やイギリス人というのは、その国で生まれてその国に国籍のある人を指すではないですか。「アフリカ系アメリカ人」なども、アメリカ国籍で親がアフリカ人など、国籍や人種を表しますよね。

 

 

 

 

しかしユダヤ人は違う。ユダヤ人は、ユダヤ教を信仰している人をいう。要素が宗教なのです。





 

例えば私がユダヤ教を信仰することにしたら、日本国籍の日本人なのにユダヤ人なわけです。その考え方がイマイチ分からんのですわ。

 

 

 

 

例えば日本人だったら、見た目で大体分かりますよね。インド人だって、アフリカ人だって、マレーシア人だって、ぱっと見で大体どこの出自か分かる。国家を持たない民族、クルド人でさえ、私は顔を見ればどこの国にいようとクルドと分かります。






でもユダヤ人は分かりません。血(DNA)じゃないので。




 

私の中で真正のユダヤ人(古代イスラエル人)というのは、アインシュタインに代表されるような容姿です。背はあまり高くなく、髪や目は黒い、いわゆるセム系。彼は、紀元前からこの辺りを住処とした歴としたユダヤ(イスラエル)人の末裔だろうと思います。頭脳もずば抜けている。

 

 

 

 

キリストも同じように黒髪に黒い目をしていたそうですよね。背も大して高くなく肌も浅黒かった。間違っても白人ではない。





 

でも、現代のここにいるユダヤ人は違う。民族で言えば、彼らの多くはゲルマンかスラブ。人種や出自などの観点でのユダヤ(イスラエル)人ではない。





 

そして、これ私は何となく自分でも直感して信じているのですが、ミトコンドリアや染色体、DNAを調べると、日本人の多くはセム系の遺伝子を持っているそう。





 

セム系は、西アジア・アラビア半島・アフリカ北東部に住み、 アラビア人、エチオピア人、ユダヤ人、歴史上ではアッシリア、バビロニア、フェニキア人などを含みます。

 

https://genryu.org/tanaka/rohen/rohen530.pdf

これらの資料はいくつもあり、東アジアでも日本人だけ中国や韓国と顔が違う理由も頷ける。(外人は見分けつかないようですけど)










というわけで、「ユダヤ教を信仰したらユダヤ人」とかいう何だかよく訳の分からない現代の偽ユダヤ人より、よっぽど私たち日本人の方がユダヤ人だということ。







 

古代イスラエル「失われた十支族」や「日ユ同祖論」も、私はすんなり受け入れられる話だと思っていますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の両親は出身が四国で、母系の祖父は中東系の顔をしていました。バビロニアを思うと懐かしく感じるのも、DNAだと思っています。

 

 

 

 

 

 

皆様はいかがですか?

 
 
 






 

ああ。今日は一日長かった。早朝に着いて濃い一日だった。丸一日ほぼ歩きっぱなし。ダマスカス門からエルサレムの旧市街を出て帰ります。ここは城壁に数ある門の中で一番美しいとされてます。かつて、この門から真っ直ぐ、現シリアのダマスカスまで行けたので、その名がついてます。






美しい門ですよね。





お腹空いた。朝、まだどの店も開いていなかったマーケットへ再度向かいます。




 

パン、美味しそうだな。ゲストハウスなのに朝食ついてないので、明日のために全種類一切れずつ欲しいところだな。






そして、夕飯はこれ。





ポテト食べきれず持ち帰り。





部屋に帰ってしばらくしたら小腹空いてきて、ポツポツ食べました。





ああ。エルサレムは3か月くらい住んで、旧市街を毎日くまなく探索したいわ。ホント興味深い街です。






 

明日はちょっと別の街へ行ってみます。







 

自分の中のユダヤをエルサレムへ探しに行こう!

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