2013年の年末年始に訪ねたアジア旅を綴っています。
カトマンドゥの中では突き抜けて感銘を受けたパシュパティナートをあとにし、ホテルへ戻ることにします。
今日はホントによく走り回りました。世界遺産7つと、ヒマラヤ山脈を観にナガラコットまで行くなど、あれから9年近く経つ今となっては考えられない行動力ですわ。まぁ、私は涼しいと活発なのです。笑
さて原チャリに乗り、頭に入れてた地図でホテルへ帰ります。
が、
脳内地図と見えてる景色がどーーも違う。
タメルはこの辺のはずなのにな?
ヤバイ。マジで暗くなってきた。
時間と太陽の位置で大方の場所と方向を図る私の脳内地図も、陽が暮れると全く役に立たなくなります。
あれ?こっちか?
ん?こっちか?
もはや勘も当てにならない。ブンブン走り回っても、ピンとくる目印は出てこない。
カトマンドゥは道路の案内標識が殆どないのですよね。大きなリングロードこそ、たまにポツポツ出てくるものの、円内に入ると標識がなく、もはや自分がどこにいるのかさえ分からない。
「かなり近くまで来てると思うんだけどな。。」
しばらく走ってるとT字路に突き当たり、信号が赤になったので停車。
どっちだ?
多分、左だと思うんだけどな。。
と、
近くに信号待ちをしてた若者が目に入りました。
「すみません!タメルは、この信号を左と右どっちですかー?」
と大声で聞いたところ、説明に戸惑ってる様子。
そして、
「どっちからでも行けるけど遠すぎて説明出来ない。」
と言われる。笑笑
ウケた。笑
しかし困ったなあ、、と思っていたらその男性が、
「これから自分もタメルに行くので、後ろに乗せてくれたらナビするよ!」
マジか!
すぐリアに乗せナビってもらいました。彼を拾ってからタメルまで20分くらいかかったかなぁ?結構遠くに居たのね。照
一方通行が多くて、とても一人では帰れなかった。笑
お礼を言って降ろし、少しそこで立ち話。
Bくんは昼間は働き、夜はタメルの日本語学校に通う学生で、これから正にその学校へ行くところでした。彼は、日本へ行って働くことが夢なのだと語ってくれました。日本で頑張って稼ぎ、弟二人を大学に行かせてあげたい。両親の生活を助けたいとも言ってたかな。
今はもう円安が行き過ぎて魅力ありませんが、当時はまだ、日本も出稼ぎ先としてネパールでもかなり人気がありました。それ以前からVISAが取りにくいと聞いており、悪徳ブローカーが日本のVISA取得に百万円以上請求。その借金の肩に日本で働きづめとなって身体を壊したり、お金を払ってもVISA取得できず、借金だけ残って日本に来れないなど黒い話はよく耳にしていました。
その頃、出稼ぎ志望の7割は日本行きを諦めるとも言われていましたので、この時はまあ、彼もその中のひとりで日本に来るのは難しいだろうと思っていたのです。
しかし彼、ここで出会った僅か半年後に日本の学生VISAをゲットし来日。日本語学校へ通いながら、深夜のコンビニを三つも掛け持ちして、せっせとネパールの実家に仕送りしていました。その後のネパール地震で崩壊した実家も、彼の稼ぎで建て直してあげたのですよね。
彼自身もとても優秀で、日本語スピーチコンテストなるもので、全国7千人のうちの10人に選ばれるまでに!
日本語学校を卒業後は都内の専門学校へ通って就職し、独立して日本で起業し今や社長です。私も僅かながら出資。
三年前に結婚して、地元ネパールで挙げた結婚式に私も呼ばれましたわ。出席できなかったけど。
夢が叶って良かったね。絵に変えたような人生ストーリーです。縁って不思議ですよね。もちろん今でも仲良しです。
さて、明日は地方都市へフライト!
買っていたビールを、小さなベランダに出して冷やしていたことを忘れてそのままチェックアウト。
オススメのスーツケース。