2011年6月に訪れた中東の旅を綴っています。当時簡単に書いたものに写真を追加し、大幅に加筆しています。
エリートたちとの食事が終わりましたが、私はフライトまでまだ時間があり、彼らがよく訪れるバーへ連れてってくれることになりました。
レバノン料理レストランの食事代を全部払ってくれたIT部長は、最近Beirutのど真ん中にタワマンを買い、昨日引っ越したばかりで「部屋を片付けないといけないから」と言ってここでお別れ。
再び車で移動しダイニングバーへ。私一人だったらまず来なかっただろうし、街中だとあまり見かけない若い人たちがわんさか居る。女性がみんな凄く綺麗なのですよ。男性より女性の方に目が行ってしまう。なんでこんな美女ばかり。
そして、私たちはここでもまたリクルートの話になり、この会社(レバノン銀行)がどんなに素晴らしいか、この会社がレバノン(国)のためにどんな使命を担っているかなど、非常に熱く語ってくださいましてね。そして、
「日本に帰ったら、業務経歴書を送って」
「日本からいつ引っ越せる?」
どんどん話が進む。
最初は「何言ってんだ?この人たちは?笑」
と全く意に介さず、まぁまぁと聞いていました。私はこの頃、日本の仕事が楽しい絶頂期だった。(その後、徐々にどん底へ向かうけど)
それに、彼らの話を聞いていても日本の、、、というか私が身を置く環境でのSEの定義とレバノンにおけるSEの定義が違い、彼らはプログラマーを求めているように感じる。
しかし、GMのBさんや若いSEのAさんの話を聞いていくに連れ、業務内容はさておき、なかなか魅力的な転職かも知れないと思い始めたのですよね。
私はもともと、地中海性気候の土地に住みたいと思っていた。日本のこの夏の蒸し暑さに耐えられなくてですね。
レバノンは物価は安いし、大好きなフルーツもわんさかある。
そして、ムスリムは多いけど他宗教者に対する制限はない。しかし一応イスラム教の国なのでモスクは多く点在し、休みの日は大好きなモスク巡りを無限にできる。
レバノンの別の記事で説明しましたように、この辺りのフェニキア人による歴史も深い。遺跡も探せばほかにいくらでもある。隣国イラクやシリアのバビロニア、アッシリア古代文明遺跡も目と鼻の先だ。
アラビア語も話せるようになりたいと思ってた。身を置けば話せるように勉強するだろう。
また、レバノン人の日本人に対する敬意は深い。彼らの日本人に対する尊敬の念は、ほかの国に対するのと違うのは話していれば分かるし伝わる。
それに、どんな国にせよ、一国の中央銀行で働くなんてこと、まぁ、なかなかないじゃないですか。
彼らのbankは世界の中央銀行で唯一、ラスベガスのカジノ会社の大株主になるなど、目の付け所もユニークで、投資に長けた面は中東の金融センターだった頃を彷彿とさせる他国に類を見ない大胆さ。
例えば、日銀がラスベガスやマカオに投資するなんてこと200%ありえないと思いますが、そのような投資をやってしまえる、しかも利潤を見極めその決定を下せてしまえるファンキーさも性に合う。
GMはパリに家を持ち、IT部長はタワマン購入、若いSEもあんな車(BMW)乗るくらいだから、サラリーもそれなりだろう。
私、日本に帰国してからこの件で相当悩みましてね。
結論を言うと、新卒で入った日本の会社に今もいるのですけどね。笑
これに関しては、悩みの渦中にいた時のメモブログも残っていますので、この旅記事が終わったら後日談として載せさせていただきますね!決断後の信じ難いリスクに断念!
このバーでは、それ以外にも様々な話をしました。GMのBさんは小さい男の子がいて溺愛。若いSEのAさんは独身で、ストーカーに悩まされてる。笑(ここで会った数年後に素敵女子と結婚。)
さて、彼らの人となりもなんとなく把握した頃、日付が変わってそろそろ空港へ向かわなくてはならない時間になりました。
その旨を伝えると、みんなでAさんのBMWに乗ってホテルで私のスーツケースをピックアップし、ベイルート国際空港まで送ってくれました。
足りないと思ってた12,000LPが浮いちゃいまして、少ないですが彼らに預け。笑
GMのBさんに「日本に帰ったら、連絡。待ってるよー。」と最後まで釘をさされ。
最後の最後まで素敵な出会いのあったレバノン。私の中では、今でも非常に思い入れの強い国でして、ぜひとも再訪したい国の一つでもあります。
さぁ、次の国へ出発だ!書いてて自分でも驚きますが、旅はまだ6日目が終わったばかり。
この次の国では、私の旅の根本を変えた素敵な出会いがありました。そして、ここでも仕事に誘われます。
人生を変える大きな出会いが待ってるかも。
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