2019年6月に訪ねたトルクメニスタンの旅を綴っています。
 
 
 
 
 
 
今日は古代遺跡を2つ巡ります。
 
 
 
 
 
 
昨日のおっちゃんドライバーとガイドが迎えに来てくれました。
 
 
 
 
 
 
まずは一つ目。街を出てひたすら砂漠を進みます。
 
 
 
 
 
 
カラクム砂漠、砂が固まっただけの道を進みます。当然凸凹。
 

 
そこを、わりと古いセダンで走るので、もう上下左右に跳ねまくりですよ。
 
 
スピードは出せないため、マリーからそれほど距離がないにもかかわらず、相当な時間がかかりました。
 
 
Gonur Tepeという遺跡に到着です。ここ、紀元前2400年から1600年まで栄えた青銅器時代の都市なのです。
 
 
エジプト、メソポタミア、インダスに匹敵する大文明の一つといわれていますよ。しつこいようですが、それよりも縄文の方がうんと古いですけどね。
 
 
 
 
 
 
ここも世界遺産に登録されています。プレハブにおっちゃんが一人ポツンといるだけですが。笑
 
 
 
 
 
 
このようにもう、建物の区分け?泥の土台?しか遺っていないところがほとんどですが、ゾロアスター教に関連した宮殿や要塞、お寺、天文台が発見されています。
 
 
しかしもう、どれが何なんだかサッパリ分かりません。
 
 
 
 
 
 
ここがこういう行事をする宮殿だった場所。とか、ここは一般の人が住んでいた場所。天文台のあった場所。など説明板一つ掲示してくれればいいのですが、相変わらず何もなく放ったらかしです。
 
 
ガイドの説明もイマイチで。
 
 
 
 
 
でも、すごい古代文明があったのだろうなということは分かるのですよ。雰囲気が違う。
 
 
 
 
 
 
google mapで見るとこんな感じ。左下が昨日着いたマリー
 
 
そして遺跡を拡大。
 
 
 
総面積は1.5ヘクタールほどのかなり広大な都市です。
 
 
 
 
 
 
多くの集落が存在する大都市だったようですが、割と近くを流れていたとされるモルガブ川の流れが変わり、人が住まなくなったとしています。時間が経ちすぎているのと、調査費用の捻出が難しく、詳細は分からないようですが。。。
 
 
 
 
 
ですから、アシガバートのマーブルに大金注ぎ込む余裕があるなら、ここにも少し流しませんか大統領!笑
 
 
 
 
 
 
距離的に近いからか、エジプトやインダスからの輸入品も見つかってるそう。
 
 
 
 
 
 
簡易なプレハブの中に案内してくれました。どうやらここは集合キッチン。
 
 
石臼や、乳棒、鍋などが発掘されています。男性はガイド。
 
 
そのほかにも、大きな牛や羊の白骨、大麻(食用)も展示されていました。今からおよそ4500年前の古代人が、ここで食事を作っていたのですね。
 
 
 
 
 
 
しばらく観光したあと、また上下左右に揺られながらメルブという遺跡へ向かいます。3時間ほどドライブ。
 
 
 
 
 
 
メルブ遺跡に到着。メルブは、紀元前6世紀頃からアケメネス朝ペルシャの支配下で栄えました。その後、12世紀頃までかなり長らく続いた都市です。こちらも世界遺産に登録されています。
 
 
 
 
 
 
中央アジア最大の遺跡で、個々の遺跡は車移動必須。こちらはYusuf Hamadaniという方の廟です。右が夫、左が妻だったかな。
 
 
裏のモザイク、こちらはイスラム教の国ではよく見かけますよね。
 
 
夫婦が向こうの景色を覗き見れるようにと、小窓を作ったのだそう。よい景色ですよね。
 
 
こちらはSultan Sanjar廟。セルジューク帝国最後のスルタンでした。メルブ遺跡のメインともなる建築です。この建物は地震で崩れましたが、技法もそっくりそのまま再建したようです。
 
 
崩れるの前のドームは美しいトルクブルーだったそう。
 
 
内部はトルク絨毯とネコ。「イスラム教=ネコ」はここでも変わらず。
 

 
天井ドームは、多少色が剥げたりシミが出来たりしていますね。というか、まだ描画途中?な感じも。
 
 
こちらはGreat Kyz Kala。乙女の城と呼ばれていたようですよ。西暦8世紀ころに建てられたようです。
 
 
別の城から見た乙女の城。
 
 
ここは知恵の水場。冬に降った雪を左の入口から投げ入れますと、右側のドーム下にある大きな釜に溜まります。春になったら雪解けし、綺麗な飲水となるという仕組み。
 
 
アフガンぽいモスクがありました。近いですからね、ここからアフガニスタン。どうにか入国できないものか?(私はアフガン未達です。)
 
 
 
メルブには、13世紀初頭まで百万人の人々が住んでいました。しかしモンゴルの攻勢に遭い、一人残らず殺害され廃れてしまいました。
 
 
ここに限らず、トルク人はチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国に何百万人も虐殺されています。
 
 
 
 
 
 
トルクだけに留まらず、ユーラシア大陸、インドシナ半島に至るまで、チンギス・ハーン(モンゴル帝国)によって実に6,000万人も殺されました。6,000万人ですよ?
 
 
 
 
 
 
彼らのジェノサイドで、地球の温度が下がったとの研究結果もありますよね。
 
 
 
 
 
 
彼らのような暴君が現れなかったら、アジアの広範囲の人々は子孫を残し、また遺跡は風化こそすれ今よりは原型を留め、より当時の情景を思い起こさせたのかと思うと、私は怒りすら覚えます。
 
 
 
 
 
 
実は私、トルクを訪ねた一ヶ月後、モンゴルを初めて訪ねてるのですよ。
 
 
 
 
 
 
最後まで行かずに渋っていた国。行きたいと思えなかった。モンゴルは簡単に行けますが、ここまで行く気にならなかったのは、広範なアジアの遺跡の殆どが、チンギス・ハーンに破壊された様をガッツリ見てきてしまっていたからだと思います。
 
 
 
 
 
 
東南アジアへ行かれる方は、よく仏陀の首が落ちている古い石像を見ませんか。この世のものとは思えないほど美しい都市だったバクダッドが、跡形もなく破壊されるなど、ユーラシア大陸で蛮行の限りを尽くしたモンゴル帝国に、私はかなり嫌悪感。
 
 
 
 
 
 
そしてモンゴルへ行ってみて案の定、
 
 
 
 
 
 
なんか気分が悪かった。
 
 
 
 
 
 
大草原や満天の星空は、現代の目で見れば素晴らしいものでしたが、過去を思うとそれさえ軽蔑してしまうくらいのノリの悪さでしたわ。
 
 
 
 
 
 
1,000年も前のことですが、私、何故か未だに嫌悪感を覚えます。何でなんだろう。DNAの記憶か?
 
 
 
 
 
 
でも、こんな殺戮、虐殺、ジェノサイドも含めて「歴史」なのですよね。
 
 
 
 
 
 
彼らは日本へも3度やってきましたが、所謂「神風」によって侵略を免れたとされていますよね。
 
 
 
 
 
 
 
神風が真実かどうかは諸説ありますが、彼らが攻めてきたのは事実で、もし、攻め入られていたとしたら、私は今ここに存在しないように思う。
 
 
 
 
 
 
きっと、私の先祖はあっという間に殺されていただろうから。
 
 
 
 
 
 
こういった遺跡を訪ねて、これらの世界の運びを鑑み、これまでの全ての歴史の先に自分が生きていると思うと、ほんと考えさせられますよね。
 
 
 
 
 
 
世界中のどんな歴史においても、ちょっとしたほんの些細な出来事で、その後の未来というのは大きく変わっていくものです。
 
 
 
 
 
 
身近なところで例えると、私の曽祖父がある日、いつも食べている鮭ではなく鯵を選んで食べたとする。それだけでも、巡り巡って私はこの世に存在しなかったかもしれない。
 
 
 
 
 
それくらい、いま自分が生きていることは奇跡なのだと、古代遺跡を訪ねる度に思います。