2019年2月にイラクのクルディスタン地域を訪れた時の旅メモです。
 
 
 
 
 
 
ホテルに荷物を起き、アルビルの中心となる世界遺産の城塞へ向かいます。
 
 
アルビルは紀元前6000年以上前、アッシリアがここに築かれるよりもずーっと以前から脈々と人の住み続ける、世界でも最古級の城塞都市なのですよ。赤ポチがアルビルの場所です。
 
 
上空から見ると、城塞はこのようになってます。ここを中心に放射線状に都市が広がります。
 
 
因みに、シリアのダマスカス城塞はコチラ。同じ時代背景を感じさせますね。
 
 
アルビル周りの都市は私の訪ねた頃、「クルディスタン地域」或いは「クルド人自治区」として、イラク国内にありながら政治が独立している未承認国家的な立ち位置なっていました。黄色がクルディスタン。
 
afpより拝借
 
 
アルビルに着いたときにもらえたビザは、この黄色の範囲しか有効ではありません。イラク首都バグダッドや、IS戦闘地となったモスルには行けないのですよ。
 
 
 
 
 
 
そのあたりがやはり未承認国家の微妙なところです。彼ら自体は独立した気になっていますが、国際的には認められていませんので、その地域には日本の在外大使館がありません。
 
 
 
 
 
 
何か万が一不測の事態があったときは、大変な(面倒臭い)ことになることを頭の片隅に入れておく必要があります。
 
 
 
 
 
 
クルディは平和でしたが、常日頃から火種は抱えています。昨年のナゴルノコラバフなどの例にもあるように、突然戦争が始まったりします。ですので、それなり調べることは調べ、長居は無用という感じですね。
 
 
 
 
 
 
そして、クルディスタン独立のきっかけとなったのはクルド人の存在です。ご存じの方も多いと思われますが、クルド人は国家を持たない世界最大の民族で、トルコをはじめイラク、イラン、シリアなどにまたがって生活しています。
 
 
 
 
彼らにとって国家創設は悲願。でも世界的にはなかなか認められません。どの国にも属さない土地など地球上には南極くらいしか存在しないので、クルド人のために土地を分けてくれる国などありません。
 
 
 
 
 
 
いつもここで私は疑問に思うのですけどね。上述のような観点で考えると、人種の違いこそあれ、そもそも南極以外で生まれていれば「人」はそこの国に国籍ができますよね?
 
 
 
 
 
 
人種的観点から見てクルド人の両親だとしても、生まれた場所がイラクで、そこに届けを出したならイラク人ではないの?
 
 
 
 
 
 
今回のショパンコンクールで優勝した方は、名前も見た目も中国人ですが、カナダに生まれ育ったからかカナダ人と紹介されていました。
 
 
 
 
 
 
それでいいのではないの?
 
 
 
 
 
 
世界的テニスプレーヤーの彼女も、父親ハイチ母親日本人で最近になって日本の国籍を選び、晴れて日本人です。見た目も違いますし日本語は話せなくても、どこに国籍を置くか。この観点で良いのでは?
 
 
 
 
 
人種の違いはDNAの違いというだけで、どこに国籍を置くかは国際法に則ればよいと思うのですよね。
 
 
 
 
 
日本だって、縄文人と弥生人は明らかに違う人種。見た目も全然違いますが、現代に至っては表面上の違和感などほぼないですよね。(私は感情部分に違和感を覚えるのですけどね)
 
 
 
 
 
アルビルも元々クルド人が多く住んでいますが、だからイラク人を排除しているかというと、そういうわけではありません。イラクで生まれたのなら、両親クルド人でもイラク人でいいのでは?と。
 
 
 
 
 
 
人種で分けると国内で諍いが起きるのですよ。人種なんていくらでもいますので、それによって国を分けていたらキリがありません。この人間の持つ「異人種、異宗教、異言語等に対する排除心・差別心」をもういい加減、地球人はやめないと。
 
 
 
 
 
 
因みにクルド人は顔を見ればすぐに分かります。長い顔、長い鼻、長い鼻の下に特徴があります。
 
 
 
 
 
 
トルコなどでは悪さ(テロ)して煙たがられ、イラク大統領だったフセインも北部のクルド人を迫害したとされていますよね。イラク戦争でフセインが倒れると、クルド人はアメリカを歓迎。また、シリア内戦ではイラクに侵攻したISをクルド人兵士たちが追っ払い大健闘したといわれています。
 
 
 
 
 
 
そのような経緯もあり、その後クルド人たちによってここアルビルでクルディスタン独立の選挙が行われ、賛成多数となり、クルディッシュたちは独立を宣言しました。
 
 
 
 
 
 
もちろん、イラクはもとより国際的に独立は認められておらず、飽くまでもイラクの連邦構成地域という立場が各国の認識です。
 
 
 
 
 
 
どこの未承認国家でもそうですが、独立の主張は一方的で国際社会には認められませんよね。昨年戦争になったナゴルノ・カラバフは、国際法上はアゼルバイジャンに属するのですが、アルメニア人しか住んでおらず、独立した自治政府を確立していました。それでも昨年の戦争でアルメニア人は追い出されました。ここは人種もさながら宗教問題もありました。
 
 
 
 
 
アブハジアに至っては、殆どがジョージア人だったにも関わらず、少数派のアブハジア人(ロシア人)がジョージア人を追い出しました。
 
 
 
 
 
 
表向き「多様性を受け入れよう」としていても、人の心の中には必ず差別心はありますのよね。
 
 
  
 
 
 
私はいろいろな国を旅していくにつれ、どんな人種だろうが、どんな宗教だろうが、言葉が全く通じなかろうが、目の前にいる人は一人の人間として、1つの人格として、どんな人に対しても態度を変えることなく、分け隔てなく尊重して接するようになりました。皆様も、私の文章を読んでそう感じてくださっていると思います。
 
 
 
 
 
でも、それでも先入観や思い込みは排除し切れていないです。感情のコントロールといいますか、常にフラットに物事を見る脳というのは、保守的観点からもなかなか難しいものです。
 
 
 
 
 
 
と、前段が長くなってしまいました。アルビルをご紹介せねば。
 
 
 
 
 
 
アルビルは、上述したように数千年もの時を経ても人を絶やさずにきた都市で、建物や人々の所作などからも、時の重みを感じられる素晴らしい街です。ここはアルビルの中心となる要塞南の広場です。
 
 
要塞へ上がると、モスクや
 
 
ちょっとした博物館があります。もう少しメソポタミアを前面に押し出して、観光客をわんさか呼べばいいのに?と思いますが、かなり地味目。
 
 
イラク織の美術館もありました。
 
 
一時はここから西へ一時間のモスルを、あのイスラム過激派組織に占拠され、アルビルも包囲されたのですよ。
 
 
しかし、その頃に退任したオバマとともに彼らはどこかへいなくなってしまいました。不思議ですね。
 
アルビルは、メソポタミア文明の地と感じるだけでも何か地上からの重みを感じます。
 
 
古代から人が住んでたというだけで、何かそこに宿った魂的なものを感じますよね。
  

 
それにしてもこの辺り、強烈にオイルの臭いがする場所もあり、これが眩暈するくらいで、こんな都会のど真ん中で噴出しているのか?と。これ、東京で起こったら大騒動だと思うくらいでしたよ。
 
 
そして、人の出が多いです。
 
 
これ平日ですが、地元の人々、誰も彼も何をするでもなく歩いたり座ったりしています。仕事がないのでしょうね。
 
 
 
イラクも一応産油国ですので、サウジと同様、積極的に働くという感覚はなさそうです。しかし、サウジのようにそれでメチャクチャ儲かっているわけではありません。
 
 
 
 
 
 
 
イラク戦争の痛手を未だに引きずっていることと、やはり政治が全然ダメです。
 
 
イラクへ入る各国からの支援金は、ほとんど政府関係者の懐に入ってると思ってよいでしょう。アカンのですよ、現金で渡しちゃ、こういう国は。支援したいなら現物や人を送り込まないと。
 
 
私には仲の良いイラク人が二人いまして、それぞれバグダッド、キルクークという都市に住んでいます。度々メッセをするのですが、話を聞いていると、ほんとどうにかしてイラクから抜け出したいと思っているのだろうな。。ということが、そうは言いませんけど伝わってきます。
 
 
ここ数日、ベラルーシを経由してポーランド入りしようとしている難民が国境に押し寄せ、新たなEUの問題になりそうだとニュースになっていましたね。難民の多くはイラク人やシリア人だと書いてありまして、その真偽は分からないですが、もし真実だとしたら難民の気持ちは分かる。
 
 
生まれた国によってここまで違うか。と思う国が世界には多いですのでね。今を生きる日本人は本当に恵まれていると思います。
 
 
 
 
 
 
 
クルディスタンも、この写真からそれほどの貧困は感じられないかと思いますが。。
 
 
 
 
 
 
ここは要塞の南に位置するスーク(バザール)です。
 
 
どこの国のスーク(バザール)もそうですが、なんでも売っていますよね。
 
 
ちなみに、イスラム圏のバザールとスークは同じ意ですが、アラビア語圏は「スーク」それ以外は「バザール」と呼びますよ。
 
 
おっちゃんに撮ってと声をかけられパシャ。笑顔がいいね!
イラクに限らず、この周辺の人々は「一緒に撮って!」でもなく、撮ってから「写真シェアして!」でもなく、ただ撮って終わり。笑
 
 
これ結構、最初衝撃でした。笑
 
 
 
スークとモスクはセットです。スークの中にはいくつもモスクがありますよね。
 
 
昼間からお茶の地元の人々。
 
 
サウジのシャンデリアもそうですが、時計などの装飾品も派手なの多いように思う、中東のイスラム圏は。
 
 
要塞上から見えていた大きなモスクへ向け歩いていきます。近くに見えていましたけど結構ありました。Jajil Khayatモスクです。
 
 
比較的新しいモスクで、外装もさながら天井や壁も細部まで装飾が凝っていて美しかったです。
 
 
 
中には入れませんでした。女性はNGみたい。
 
 
イスラム教の国におけるモスクにかける情熱というのは唯物ではないですよね。
 
 
このモスクの北側にある広い道を隔てた向かいには、フランスのカルフールがありますよ。
 
 
 
イラクにカルフールかー。と複雑な思いでした。日本にはないですものね。この写真の左端にちょっと写ってますね。
 
 
 
このあとカルフールを見て(食材安いっ!)、
 
 
 
かなり歩いて要塞隔てた対局にある国立美術館へ行ったのですが定休日。ガクッ。
適当に観光してホテルへ戻りました。
 
 
 
 
 
 
 
なかなか英語を話す人に当たらず、地元の人々とほとんどコミュニケーションを取れなかったのが残念だったな。
 
 
 
 
 
 
そして書きたいことが、まだ山ほどあるのですが、とりとめなくなってしまったので、今日はここまでで(十分長い。笑)
 
 
 
 
 
 
明日は遠方へ。ハプニング続出です。