今日は、チュニスから電車で数十分行ったところの街へ行きます。

 

 

 

 

 

 

メイン通りから海側へ進むと、

 

 
この時計台。
 
 
この先に列車の駅があります。海沿いのチュニス湖のど真ん中を分断するかたちで線路と車道が通っていまして、両側とも湖の景色が見えるという。なんでわざわざここ埋め立てたの?(笑)な線路です。
 
 

さあ、着きました。

 

 

 
 
シデイブサイド(Sidi bou said)という街です。
 
 
ここは、白壁に青窓枠を徹底した街で、チュニジアきっての観光地になっています。
 
 
爽やかやなぁ。色が人に与える印象はかなり大きいですよね。
 
 
私は、仕事で初めての顧客先へ行くとき、必ずインナートップスはピンクやイエローグリーンなどのパステルカラー。
 
 
 

 
女性のITエンジニアは(私だけかも?笑)それだけで若干キツイ印象を持たれがちですので、初見はなるべく柔らかく。
 
 
そしてここぞ一番、受決可否に関わるような場面では、チュニジアンブルーのような濃いめの青など原色です。これ結構効きますのでご参考に。
 
 
向こうは地中海です。
 
 
このように壁と窓枠の色を街全体で統一することで、これだけの人を世界中から集めることができるのですから、

 
やはり、色の持つ効果は高いと思いますよね。
 
 
この際、一通の道路標識もチュニジアンブルーにしてみたらよかったのでは?笑
 

 
シディブサイド駅のホームも街に合わせた色遣いをしています。
 
 
さてこのあと、チュニス方面へ電車で1駅戻り、カルタゴ遺跡へ行こうとしたところ、電車が不通になってしまっていてですね。
 
 
 
 
 
 
駅員によると「カルタゴ駅で事件か事故があり、電車は再開の目途なし」とのことでしたので、たまたま近くにいた西欧人たちと、タクシーで一旦チュニスまで戻ったのですよね。
 
 
 
 
 
 
2〜3時間で動くのかなぁと、チュニスをブラブラし、もう一度先程の駅へ行きましたが、まだ動いてないようだったので諦めました。今日のメインはカルタゴ遺跡でしたのに残念。
 
 
 
 
 
 
朝、ホテルを出るときは、先にカルタゴ遺跡へ行こうと思っていたのですが、列車に乗ったら風が気持ちよくて、先にあるシデイブサイド(Sidi bou said)まで導かれちゃったのですよね。笑
 
 
 
 
 
 
ホテルへ帰り夜、レストランで夕食を食べながらテレビのニュースを眺めていたら、
 
 
 
 
 
 
あのとき電車が止まったのは、どうやら爆破テロが原因だったことが分かりました。
 
 
 
 
 
 
アラビア語なのでよく分からず、アナウンサーが長々と説明している内容をウエイターに聞くと、カルタゴ駅付近での爆発だったようで、負傷者複数名。
 
 
 
 
 
 
私、たまにニアミスするのですよね。これまで数回ありました。
 
 
 
 
 
 
 
そして、このニュースに「なるほどな」と思いました。
 
 
 
 
 
 
ここへ来て分かったのですが、チュニジア人は周辺国の人々に比べて、若干大人しめなのですよね。
 
 
 
 
 
 
モロッコやエジプトなど、近隣は三大ウザイ国などと言われていますので、同じようなものかと思ったら、チュニジア人はそんなことない。エジプト人などのあの陽気さと対象的に、何か秘めてるようにさえ感じ。
 
 
 
 
 

私の訪ねた頃こそ既に収束していましたが、シリアでISが台頭し始めてしばらく、IS戦闘志願兵の外国人はチュニジア人が一番多かったのですよね。ずば抜けて多かった。
 
 
 
 
 
 
ISは単なる戦争屋集団ですので、周辺国から出稼ぎ戦闘員を集めて成り立っていました。ドバイが超高層ビルを建てるために、出稼ぎの建設作業員を近隣諸国に募るのと同じです。
 
 
 
 
 
 
当然ながらチュニジアでは大問題となり、志願兵としてシリアへ向かう若者を、政府が勾留するなどの措置を取っていたようですが。。
 
 
 
 
 
 
10年前のジャスミン革命で、チュニジアは周辺各国ではいち早く民主化するも、その後も失業率は悪化の一途をたどりました。
 
 
 
 
 
 
民主化すればHAPPY。
 
 
 
 
 
 
では、ないのですよね。民主化したら仕事がワサワサ降って湧いてくるわけではないですから。
 
 
 
 
 
 
民主化後は、政府ももちろんのこと、国民の努力も必要なところ。何か製造系の企業を起こすとか、流通をもっと充実させるとか、ITサービスを駆使して何か始めるとか、国でも法人でも何かしら始めないと変わらない。
 
 
 
 
 
 
そのような民主化後のビジョンもなく、ただ「打倒!独裁政権!」だけじゃ、なかなか難しいものありますよね。まぁ、欧米主導でそそのかされた机上の「アラブの春」だったのでしょうけど。
 
 
 
 
 
 
結局、なんだかんだ文句言いながら独裁にもたれかかり、与えられる生活をしていた人々が、民主化後、自ら発起もせず、与えられることもなくなれば、失業率が上がるのは当然で、
 
 
 
 
 
 
そんな中、日給のすこぶるい良いISに、自国への幻滅と怒りを覚えたチュニジア人の若者が何らかの希望を懐き、シリアへ向かう気持ちはわからなくもない。
 
 
 
 
 
ISを子飼いにしていた(給料の出処)は、とある大国ですので湯水の如くだったのでしょう。国名は伏せますが、事の起こり(政治的)やそれが完遂されたことで、どの近隣国が嬉しいかを考えたら大体想像つきますでしょうか。
 
 
 
 
 
 
また、遠い国の大統領がOからTに変わった途端にISの内部崩壊が始まり、志願兵が戦力を失って(給料が出なくなって)多くが自国へ帰国し始めたところからも、色々と伺えますよね。
 
 
 
 
 
 
アラブの春などと吹聴して、欧米民主主義を押しつけ煽り、それに乗っかってしまったチュニジアは、今となっては元にも戻れず、行き場を失ってしまったように映りました。
 
 
 
 
 
 
国民性は国によって違います。最近だとアフガンのタリバンのように、冗談抜きに未だアケメネス朝時代を生きているような民族もありますので、欧米の押しつけはホント良くない。
 
 
 
 
 
 
民主主義の正義を振りかざし、テロとの戦いとか何とか言って、罪のない当地の一般人を直接間接含め数十万人も殺めた国もありましたね。
 
 
 
 
 
この世界は、民主主義が全てではありませんのでね。
 
 
 
 
 
「テロはアカン」と言うのは簡単。その部分だけ切り取って非難するのは容易ですが、そこに至るまでには様々な深い時代背景があり、そこを理解して根本対策しないとテロはなくなりません。「テロとの戦い」なんて言ってるうちは、永遠無理。
 
 
 
 
 
 
ところで昨日、チュニス大聖堂で出身国を聞かれたのは、どうやらテロを警戒してのことだったようです。何かしらの情報は押さえていたのかも知れませんね。
 
 
 
 
 
・・・
 
 
 
 
 
っとマズイ!
皆様に、チュニジアがまるで物凄い危険な国のように映ってしまったかも知れない!実際はそんなことはないですので。。(ここまで書いといて何ですが。笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、明日は次の国へフライトです。ここの国はちょっとだけ長居します。