セルビアの首都ベオグラードから、次の国へ向けてフライト。ホテルの近くから出るバスに乗って、国際空港へ向かいます。
ベオグラード市内から空港へ向かうバスは、街を抜けるとすぐに森が続き、静かでしっとりした良き風景です。
たまに見える教会などが綺麗で見惚れていると、隣に座っていたノーブルな感じの地元女性に声をかけられました。歳は60〜70といったところでしょうか。
「あなた、日本人?」
その頃はもう、観光地はどこも中国人で溢れ、日本人をほとんど見かけなくなり、私も旅行中は大抵、中国人に間違えられていました。
なので、ズバリ日本人かと聞かれて嬉しかったです。
「はい、そうです。」
すると、
「私は20年ほど前まで何年か、夫の仕事で日本に住んでいたの」
うおお!珍しい。セルビア人が日本に?
「どのあたりに住んでいたのですか?」
と聞いたところ、
「Tokyoよ」
お!東京に!
「私も今、東京に住んでいます」「東京のどの辺りですか?」
と聞くと、地名を思い出すのに苦労していらっしゃる様子。20年も前だと忘れるよね。
「ちょっと今、すぐに思い出せないのだけど」「また行きたいと思っているのよ」
「東京に住んでいて一番の後悔は、京都へ行かなかったことなの」
「何年も住んでいたのに、一度も行かなかったのよ」
「隣県の海に夏、泳ぎに行ったくらいかしら」
「それ以外、ほとんど旅行もしなかった。時間はあったけど日本語を話せなくて、一人ではどこにも行けなかったわ」
英語は流暢ながら、20年前だと周りは英語を話せない日本人ばかりで、旦那さんが仕事に出てる間、さぞかし孤独だったのでは?と想像しました。
また、前記事にも書きましたが、彼女が日本にいたころは、ユーゴスラビア紛争の真っ只中と思われ、母国への思いもあり寂しかったことでしょう。
それは飽くまでも私の想像で、真相は知る由もないのですが、なんとなく会話しながらそう感じました。
そして、日本以外にも世界を転々と住み歩いていたらしく、最高だったのはギリシャのミコノス島とフロリダって言ってたかな。海が好きなのね。
沖縄の離島にも行けたら良かったね。
「ドナウ川は美しいし、ベオグラードは緑が多くてよい街ですね」「今回は一日しか滞在できなかったけど、また改めてゆっくり来たいと思いました。」
「ええ、是非きてくださいね」「ベオグラードはどんどんと変わってきている」「海外を転々としてた頃、戦争が終わった後に一回だけ帰国したことがあるのだけど、もう、あちこち破壊されてたわ」
そして、
「そうだ、思い出したわ」「私はTokyoのAzabuというところに住んでいたのよ」
へ?麻布?
こんな東ヨーロッパの片田舎で、たまたまバスの隣に座ったお婆ちゃんから「Azabu」という単語が出てくるとは思わなかったので驚きました。てか、めちゃくちゃいいとこじゃないですか。
「そうそう、Azabu Terraceだったわ」
は?あ、麻布テラス、、。
超高級マンションやないですか。今でも広い部屋は家賃月額100万以上しますよ。
えーっと、ノーブル様は一体何者なんですか?笑
まぁきっと、旦那さんは外務省系(大使館)の要人だったのでしょう。それでなきゃ、戦争のさなかに海外を転々とはしないし、もし一般企業の金持ちオーナーで、何か日本と取引があったとしても、バブル弾けて超円高の日本にいるメリットは薄かっただろう。聞かなかったけど。
空港に着き、別れを告げるときに「SAYONARA」と日本語で言ってくれたのが深く印象に残りました。
人に歴史あり。
一見、普通のお婆様ですが、世界中を渡り歩いて色々な経験をされてこられたのだなと。
人それぞれ特有の人生があって、旅していると、様々な国の人の様々な人生を垣間見ることができるのは、ホント興味深いです。