2018年3月に訪ねたパキスタンの旅を綴っています。以前書いた超簡易記事に写真を大幅に追加し加筆しています。
サッカルという街へ飛んでまいりました。この街が目的地ではなく、明日訪ねる予定の遺跡に一番近い都市です。
インダスはヒマラヤを源流とし、上流に行くほど枝分かれしますよ。ここまで訪ねたガンダーラ、イスラマバード、ラホールを流れる川も、最終的にはインダス川へ注ぎ込みアラビア海へ抜けます。
大きな川というのは良いですね。静かで落ち着きます。優雅ですわ。インダス文明が起こるその前から脈々と流れ続けてきた川。太古の昔から、運搬はもちろん、この水を様々な用途に使っていたことでしょう。
そうそう、先の記事にも少し書きましたが、パキスタン人は自国の歴史を知らないのですよ。ここで起こった、日本では四大文明とされているインダス文明も知らない。学校でそれらの歴史を学ばないようです。
ガンダーラ王国のことも知らないし、ムガル帝国についても「そういう国があった」という程度の知識しかない。これほど素晴らしい文明、歴史文化を学ばないのはなぜかというと、インドとの関係が大きな理由のようです。
この国はどうやら、パキスタン建国はジンナーが指揮し、イギリスから独立を勝ち取ったとしているようです。ある観点から見れば全くの虚偽ではないですが、ガンジー率いるインド独立運動がなければ、パキスタン単独での独立などありえなかった。
大インド独立の際にパキスタンが分離したというだけですが、そうとは教えてない。それどころか、独立を指導した親元を敵に回し戦争さえ起こし(印パ)、未だにカシミールで紛争を抱えている。切ないですよね。
そんな経緯もあり、1947独立までパキスタンは過去ずっとインドだったという事実を知る人は少ない。そして、それを押し通すには遠くムガル、ガンダーラ、インダスについても深く知られると困るわけなのですよね。辻褄合わない。
なので歴史を教えないし、びっくりするくらい何も知らない。
歴史を掘り下げないお国柄のため、ガンダーラもそうでしたけど、インダス文明についてもイマイチ判明していないことが多く、それが故にとんでもない説がまことしやかに世界へ浸透してしまったりしてるのですよね。例えば、モヘンジョダロは核戦争で一瞬にして住人が消えたとか。
自分たちで調査をしないので、イギリスやドイツの調査隊が懸命に頑張ってる。それをパキスタン人は冷めた目で見てる感じ。
ホテルのレセプションに、
「明日、〇〇遺跡へ行きたいので、車を用意してもらえますか。片道でOKです。」
と伝えると、彼はあちこち電話をして行ってくれる車を見つけ、お金の交渉までしてくれたのですが、彼に「ところで何で〇〇へ行くの?」と聞かれたので、
「〇〇はインダス文明の最たる都市でしょ?日本人はみんな子供の時に勉強するから知っている。子供の時に勉強した遺跡に行けるなんて夢のようだよ。」
と伝えると、
「???」
「彼処には何もない。」
「まあ、気を付けて。」
みたいな。笑
日本人も戦後、米国によってそれまで日本人の持っていた大義や真意、前後の歴史を捻じ曲げられて教育されてきました。日本人の善意行動を、いかにも悪意として植え付けられてきた。
私より年上の友人の中には日本は戦前、アジア太平洋地域で蛮行の限りを尽くしたと未だに信じている人もいます。広域アジアで蔓延っていた欧米人を、日本は追っ払ってあげたのですけど。未だに感謝されてますけど。
子供への洗脳教育とは恐ろしいですね。自分で真実を知ろうとしない限り、大人になっても解けませんからね。
それと同じようなことが、パキスタンでも起きている。
歴史なんて、いくらでも捻じ曲げられますものね。自分で調査するくらいの行動を取らなければ、真実を知る由もない。
さて、泊まったホテルone Sukkur は、この街唯一の四つ星。あとは、一つ星と二つ星のゲストハウスばかりなり。