2018年3月に訪ねたパキスタンの旅を綴ります。以前書いた超簡易記事に、写真を大幅追加し加筆しています。
 
 
 
 
 
パキスタンへ訪ねるひと月ほど前、『パキスタン』の単語をよく目にし、「これは呼ばれてるに違いない!」と感じて行くことにしました。
 
 
 
 
 
麻布の在日パキスタン大使館まで歩いて行き、ビザ申請。当時なんと100エン、今はアライバルOKでフリーらしい。
 
 
 
 
 
これより首都のイスラマバードから入り、いくつかの都市を巡ります。
 
 
 
 
 
イスラマバードの街並みは、予想に大きく反していて驚きました。
 
 
 
 
 
インドがイギリスから独立する1947年まで、インド、パキスタン、バングラデシュは一つの国でした。
 
 
 
 
 
独立を先導指揮したガンジーの願い叶わず、その後、宗教によって分断された3カ国ですが、人種は同じですのでインドやバングラを想像しながら来たのですよね。
 
 
 
 
 
幹線道路を闊歩する野良牛や野良山羊、信じられないくらい多く街中心部はピクリとも動かないトラフィック、砂塵や埃、光化学スモッグやPM2.5で霞む空と汚れた空気、ブンブン煩いオート・リクシャー、人口が多過ぎてカオスな通りとゴミだらけの道端。
 
 
 
 
 
そんな光景を想像してきました。
 
 
 
 
 
イスラマバード、全然違う。
 
 
 
 
 
真逆。
 
 
 
 
 
立体化され信号のない幹線道路に渋滞はなく、道も広く、街路には木や花が一定間隔で植えられ、空は澄み青空。
 
 
飼われていない野良動物はおらず、ゴミも落ちてない。
 
 
オートリクシャーも見ない。
 
 
 
 
 
街は新旧の建物が混在してますが、ゴチャゴチャという感じは受けない。
 
 
緑が多くてカラッと涼しく、季節にもよるのでしょうけど過ごしやすい。
 
 
意外だ。整然としている。
 
 
 
 
 
ここは、首都イスラマバードにあるファイサル・モスクです。パキスタンで一番大きいモスク。
 

 
デザインスッキリ。
 
 
中東のベドウィンテントをイメージしています。
 
 
水場の壁のデザインもかわいい。
 
 
鍵が閉まってて中には入れませんでしたが、かなりの広さがありそうでした。
 
 
オープンするのは金曜日だけのよう、でも金曜は、物凄い人の数だろう。
 
 
常々掃除する人がいて、裸足入場だけれども屋根のないところも綺麗。
 
 
ここがパキスタンかー。ホント意外。
 
 
それもそのはず、実はパキスタンの首都は元々、南部のカラチという大都市でした。
 
 
 
 
 
しかし色々と政治的事情あり、小さな村だったここを首都とするべく都市開発したのですよね。
 
 
 
 
 
 
イスラマバードは、主要各国様々な叡智を盛り込み、より住みやすく、より生活しやすく快適に考えられた機能的な街なのです。
 
 
 
 
 
 
街なかは広場や公園も多いです。イスラマバードの北側にある山の中腹の公園はこの景色。
 
 
朝靄かかってますが、イスラマバードを一望できます。緑の多さがひと目で分かる。
 
 
ファイサルモスクが。
 
 
 緑に囲まれてますね。
 
 
ここから更に山を登ると頂上付近に大きなレストランがあり、地元の人たちに大人気です。もちろん、海外からの観光客も大勢いらしゃるよう。
 
 
これ、夜も相当綺麗だろうなー。
 
 
こういった、景色の良い眺めが売りのレストランて、食事がイマイチだったりするじゃないですか。しかしここはそんなことない。食事もすこぶる美味なのですよー。しかも安い。最高。
 
 
ホテル近くに戻ってきたら、子供が凧で遊んでた。都内では見かけないけど、どこの国の子供も同じですねー。楽しそう。しばらく歩いてみます。
 
 
パキスタンの国教はイスラム教です。
 
 
上述したイギリスからの独立の際、ヒンドゥは現インド、ムスリムは現パキスタンとバングラデシュに分けられ民族大移動が起きました。バングラは当時、東パキスタンとして、現パキスタンと一国だったのですよね。
 
 
しかし、インドを挟んだ遠すぎる距離と言語の違いで、現パキスタンが統治するのは難儀だった。
 
 
そして、同じ国のはずなのに東パキスタンの貧困ぶりが際立ち不満が爆発。東パキスタンはインドを味方につける形で、現パキスタンから独立してバングラデシュになりました。
 
 
でもバングラは未だに貧困。政治家が無能過ぎる。
 
 
あ、ここはパキスタンだった。笑 あまりにもキチッとしていて突っ込みどころもなく、ムスリムの皆様は真面目で素晴らしい。
 
 
更に歩いていたら、若いメンズに声をかけられました。女性が一人で歩くような場所ではなかったらしく、この地区を出るまで一緒に歩こう。と。
 
 
優しいな。右の兄さんとは今でも仲良いメッセ友です。アーミーです。パキスタンのアーミーはメンズ国民のかなりの数を締めます。
 
 
 
 
 
パキスタンは過去、治安の悪い国でした。タリバンやアルカイーダが蔓延ってテロばかり起こしていました。
 
 
 
 
 
私の訪ねる一年前くらいまでに、パキスタン政府は国内で活動するアルカイーダ系グループ構成員を数十万人逮捕、或いは処刑したらしいです。
 
 
 
 
 
パキスタンのアーミーと警察が一丸となって一掃したそうですよ。
 
 
 
 
 
この人はアーミーのご近所さんで、彼を慕い自分もアーミーになりたいお仲間さん。なんと、ピストル(小銃)を持ってました。驚
 
 
何だか得意そうに見せびらかしているので、「そ、それ本物?」と聞くと、「もちろん」と。
 
 
 
 
「どこで入手したの?」と聞くと、「え?ガンショップで。」
 
 
 
 
 
「誰でも買えるの?」と聞くと、「買えるよ。スマホよりうんと安い。」
 
 
 
 
 
合法なのね。。
 
 
 
 
 
「ちょっと触らせて!」というと
 
 
 
 
 
ダメ!
 
 
 
 
 
 
「(え?それだけ自慢しておいて?)」
 
 
 
 
 
「これは本物なんだ。とても危険なんだ。女性は絶対に触っちゃだめなんだ。」
 
 
 
 
 
「(え、、なんでそんな急に真面目になんの。。笑)」
 
 
 
 
 
初めて銃を持つ。という体験は叶わず。
 
 
 
 
 
スマホより安く銃が買えるので、パキスタンは完全に銃社会です。でも過激派以外、アメリカみたいにぶっ放す一般人は居ないのが不思議。銀行強盗とかはたまにあるようだけど。笑
 
 
 
 
 
そして、彼のピストルも驚きますけど、パキスタンは上述したようにしばらく治安の悪い国でしたので、主要な大都市では軍隊、警察、警備員が一丸となって今でも治安維持に努めているのですよね。
 
 
 
 
 
主要な観光地や人の集まるところは軍、警察、警備員がトリプルで警備に当たってるので、とにかくライフル銃を持った人が多いです。
 
 
 
 
 
 
 
私も最初驚きました。ライフル銃など、日本にいたらほぼ見ることないですものね。
 
 
 
 
 
しかし、ここでは一般の風景なので見慣れてしまいました。
 
 
 
 
 
「警備お疲れさん」て感じで、むしろ安心。笑
 
 
 
 
 
で、しばらくこの3人と散歩。
 
 
 
 
 
3人とも、イスラマバードが首都になる前から代々ここに住む家系なのだそう。元々住んでいた人たちは総じて貧乏で、あとから移住してきた人たちは、開発された高級住宅街に住む富裕層なのだとか。
 
 
 
 
 
そして元々の住民である彼らは日本で言うブルーカラーにしか就けず、あとから移住してきた人たちは銀行や行政関係などホワイトカラーに就いていると言ってたな。
 
 
 
 
 
貧富の差が教育格差に繋がっているのですかね。アーミーと写っていた彼は、ほとんど英語を話しませんでした。
 
 
 
 
 
話は少し飛びますが、こないだご結婚されたマララさんをご存知ですか。彼女はパキスタン人です。以前、パキスタンでタリバンが幅を利かせていた頃、女性は教育を受けられませんでした。
 
 
 
 
彼女は、教育を男女平等にと訴えタリバンに撃たれましたが、奇跡的に助かりノーベル平和賞まで受賞。
 
 
 
 
 
今となっては、パキスタンの子どもたちは男女関係なくほぼ英語を話します。徐々に変わってきているのですよね。
 
 
 
 
 
現大統領も教育熱心で、貧富の差をなくしてパキスタンの教育水準をあげようと必死です。
 
 
 
 
 
しかし、彼らはその方針には引っかからない世代でした。日本もバブル弾けたあとの世代は難しい時代が続きましたよね。
 
 
 
 
 
なのでピストルくんのように、お年頃になっても仕事はないし、あってもアーミーなどブルーカラーで薄給。独立などせず皆、大家族で住んでいます。元々、大家族で住むのが一般的なのかも知れません。
 
 
 
 
 
ピストルくんは曽祖父も一緒に住んでると言ってたかな。皆様兄弟も多く、アーミーが一番少なくて5人。戦前戦後の日本という感じでしょうか。とにかくこの周辺(インド、バングラなど)は子沢山です。
 
 
 
 
 
パキスタンは総人口世界5位。インド2位、バングラ8位(2020年現在)ですから、旧インドが分裂しなければ、断トツ世界topでしたね。
 
 
 
 
 
彼らの話を聞きながらしばらく散歩していると、途中、彼らが好きなケーキ屋があり1ピース買ってくれました。
 
 
4人で近くの公園へ行き、皆それぞれ選んだケーキをベンチに座って食べました。なんでこう、私は溶け込んでしまうのだろうか。笑
 
 
 
 
そこでまた話をしているうちに陽も暮れてしまい、結局ホテルまで歩いて送ってもらいました。
 
 
 
 
チョコレートケーキ、甘くなくて私好みでした。ごちそうさま。
 
 
 
 
 
パキスタンは私にとって未知の異世界だったので、彼等の慣習やムスリムの考え方など、とても興味深かった。
 
 
 
 
結局のところ、パキスタンのムスリムは貧乏でも幸せなんだな。大家族に囲まれ、ご近所同士で助け合い、友人たちと理解しあい、仕事なんかしなくても、大家族のうちの誰かが働いていればいい。生きて行ける。そこに悲観はない。すべてアラーの思し召し。
 
 
 
 
恵まれているはずの日本人は、メンタルを削って患い病み、自死者を増やし続けている。
 
 
 
 
幸せってなんだろう。
 
 
 
 
幸せな人生は、良き理解者を得ることかもしれないなって、この時に思いました。理解者は多くなくていい。そして、自分も仲良い友人たちの良き理解者になること。
 
 
 
 
良き理解者になるには、それなりの人生経験も必要だなと。
 
 
 
 
彼らと話しているのは何か心地良かった。異国、異教徒の私をすべて受け入れ受け止めて肯定してくれる。
 
 
 
 
さっき会ったばかりなのに、公園で一緒にケーキつついてるとか。。笑
 
 
 
 
ムスリムも様々で失礼な人も中にはいますが、基本、ピュアですよね。
 
 
 
 
コロナ禍さなかに「今、一番どこに行きたいか」と聞かれて、「パキスタン!」と思ったのは、この居心地の良さからかも。
 
 
 
 
さて、彼らとサヨナラし部屋に戻りましたが、ケーキだけじゃ全然足りない。お腹空いて、また一人でブラブラ。賑やかしい店が気になって入ってみることに。
 
 
めちゃくちゃ美味しそうなのですけど。
 
 
このスープを使ったマトンカレーをオーダー。絶品でした。
 
 
あまりにも美味しくて、次の日の夜もここでこのマトンカレーを食べます。そして、ある人に声をかけられ注目されます。