たまには愚痴らせてください。交通事故の加害者と遺族の、あまりにも違う時間。 | ロックベーシスト 西本圭介

ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

先日、休職中の私に届いた「マイナスの給与明細」。

 


 

妻の聖子を交通事故で亡くし、東京での単身赴任を続けられなくなり、現在は休職中です。

収入がなくなっても、税金や社会保険料の負担は続きます。
 

頭では理解していても、何ともやるせない気持ちになるものです。

そして最近、日に日に強くなっている感情があります。

それは、事故の加害者に対する、どうにも行き場のない思いです。

ワーゲンバスを直しているから、元気になったわけではない

最近、私はワーゲンバスの修理の様子をよく投稿しています。

錆を落としたり、鉄板を溶接したり、壊れた部分を直したり。

そんな投稿を見て、仕事関係の方の中には、

「西本さん、休職中だけど毎日楽しそうじゃの」

と思う方もいるかもしれません。
 

周囲の方も、「少しずつ元気になってきたんだね」と感じてくださっているかもしれません。

でも、実際はそうではありません。

何かをしていないと、いろいろなことを考えてしまうのです。

 

手を動かし、目の前の作業に集中している間だけは、余計なことを考えずに済む。

ワーゲンバスの修理は、今の私にとって、そんな時間でもあります。

もちろん、作業がうまくいけば嬉しいし、楽しいと感じる瞬間もあります。

でも、楽しい時間があることと、悲しみが癒えたことは、まったく別の話です。

 

むしろ、時間が経つにつれて、聖子がいない現実をより強く感じることもあります。

そして、加害者に対するやるせない気持ちは、事故直後よりも増しているように感じています。

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加害者は今、何をしているのだろう

聖子の事故については、現時点で刑事裁判も始まっていません。

聞いている話では、加害者は現在、会社から自宅待機という扱いになっているそうです。

もしも会社が刑事裁判が始まるまでは働いてくださいと指示したら、お給料が出て働けるって意味!?
 

留置所に入っているわけではないので、実際にどのような生活をしているのか、私にはわかりません。

有給休暇を消化しているのか、無給なのか、それすら知りません。

家族と食事に出かけたり、Netflixを見たり、趣味の時間を過ごしているのかもしれない。
車のレストアしているかもしれないし...(冗談だよ)
 

反対に、深く反省し、毎日苦しい思いをしているのかもしれません。

極端な話、毎日滝行をしているのかもしれないし(笑)。
 

実際のところ、被害者側には何もわからないのです。

ただ、自宅待機という言葉を聞いても、それがどのような責任の取り方なのか、私には全く見えてきません。

こちらは悲しんでいる暇もない

一方、私はどうでしょう。

相続、行政手続き、税金、保険、警察や弁護士とのやり取り。

妻が16年間続けたお店の整理に、自宅や車、バイクの管理。

仕事を休み、東京の住まいも引き払い、今後の人生をどうするかまで考えなければなりません。

もう、頭がオーバーヒートしそうです。
 

加害者にも、本人にしかわからない苦しみや、向き合わなければならない問題はあるのでしょう。

 

しかし、私が背負っているような、突然家族を失ったことによる膨大な後始末を、同じように背負っているわけではありません。

同じ事故の後を生きているのに、背負わされている現実があまりにも違う。

そこが、どうにも理不尽に感じるのです。

 

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いっそのこと、俺の手伝いでもしてくれよ

これは、本当にお願いしたいという話ではありません。

むしろ、加害者本人と直接関わることには抵抗があります。


でも、本音を言えば、

「俺のワーゲンバスの修理でも無償で手伝ってくれよ」
「板金・パテ・塗装、やってくれよ」

「家の片付けの人手になってくれよ」

「困っていることはありませんかって、毎日御用聞きでもしてくれよ」
「毎日、うちの周りをホウキかけて枯れ葉の掃除してくれよ。」

そんなことまで考えてしまいます。
 

もちろん、実際にそうしてほしいという要求ではありません。
 

ただ、こちらは毎日これだけのことを抱えているのに、なぜ事故を起こした本人は、私たちの生活の後始末をしなくてもよいのだろう。
 

そんな感情が湧いてくるのです。

理屈ではないんですよね。

刑事罰を受けたとしても、聖子は帰ってこない

今後、刑事裁判が行われ、加害者に何らかの刑罰が科されることになるのかもしれません。

現時点では、まだ何も決まっていません。
 

仮に実刑判決となり、刑務所に入ることになったとしても、私には複雑な思いがあります。

加害者が何年刑務所にいたところで、聖子は帰ってきません。
これは刑罰を軽くしていいよという意味では無いです。
 

私の生活が元に戻るわけでもありません。

失った時間を取り戻せるわけでもありません。
 

もちろん、自由を奪われることは重い刑罰ですし、刑事司法には大切な役割があります。

でも、遺族としては、それだけで気持ちが整理できるものではありません。
 

損害賠償についても、保険会社が対応する部分が大きいのでしょう。

それによって加害者本人の経済的負担がどうなるのかは、まだわかりません。
 

ただ、どのような賠償が行われたとしても、以前の生活が戻るわけではないのです。
 

人の命を奪い、残された家族の人生まで大きく変えてしまった。その責任とは、いったい何なのだろう。

最近、そんなことを考えてしまいます。

罰を受けることと、償うことは同じなのだろうか

加害者が苦しめば苦しむほど、私の気持ちが晴れる。

そういうものでもないと思っています。
ただし刑罰を軽くして良いという意味では無い。
 

では、どうすれば納得できるのか。

正直、私にも答えはありません。

謝罪されても聖子は帰ってこない。

賠償されても、以前の生活には戻れない。
 

刑罰が決まったとしても、私の苦労が終わるわけではない。

だからこそ、やり場のない怒りが残るのだと思います。

たまには、こんな愚痴も言いたくなる

普段は、なるべく前向きに生活しようと思っています。

ワーゲンバスを修理したり、庭の手入れをしたり、ブログを書いたり。

楽しそうに見える投稿もあると思います。
 

でも、それは私の日常のほんの一部分です。

元気になったわけでも、悲しみを乗り越えたわけでもありません。

何とか自分を保ちながら、毎日を過ごしているというのが実際のところです。

 

聖子はもう、好きなこともできない。

家族と食事に行くことも、バイクに乗ることもできない。

一方で、私たちはこれからも事故によって生じた問題と向き合い続けなければなりません。

 

刑事裁判も民事の手続きも、まだこれからです。

今書いていることには、私の想像や感情的な部分もあると思います。

 

それは自分でもわかっています。

 

でも、いつも冷静で、物分かりのよい遺族でいることなんて、私にはできません。

加害者には、人の命を奪うということが、残された家族にどれほどの苦しみを背負わせるのか、生涯忘れずにいてほしい。

 

事故から4か月以上が経ちました。

 

時間が経てば怒りが薄れていくのかと思っていましたが、今はむしろ、日に日にやるせない気持ちが増しているように感じています。

いつか気持ちに区切りをつけられる日が来るのかもしれません。

でも、今はまだそんな気持ちにはなれません。

 

今日は、ちょっと愚痴らせてもらいました。

なんだかなぁ……。