HT先生に捧げる本棚
10冊目
菊池規悦
読んでみたい
『源氏物語』
(Amazonより)
前回イタリア文学の古典『神曲』を取り上げましたので、次は日本が世界に誇る『源氏物語』を読むしかあるまいと決めたのですが...
私、今まで何度もチャレンジした(もちろん現代語訳で)のに、途中で挫折を繰り返してきました。
今回はとにかく最後まで筋が追えればよいと割り切って、この本にしてみました。
藤壺、葵の上、紫の上、明石の君、六帖御息所...
とにかく登場人物が多くて、しかも人間関係が複雑...(;´д`)
これで何度も挫折したのですが、この本はその巻にかかわる人物をその都度、何度でも説明を載せてくれているので助かります。
まぁ、光源氏のプレイボーイぶりには舌を巻きますが(笑)
現代の視点で捉えてはいけないのかもしれませんし...
富と権力を持つ人なりにいろんな人を良く世話してあげてるという気もします。
とはいえ、登場人物はそれぞれに嫉妬したり、対抗心を燃やしたり、身を引いたりと今の私たちと何も変わらない感情がみられるのですから不思議です。
この本には、ほんのわずかですが、原文や登場人物たちが交わす和歌が紹介されています。それを読むと何とも風流な感じで、ただの色恋小説とは思えない雰囲気が漂っている気がします。当時の人はどんな印象を受けていたのでしょうか?
『源氏物語』はおよそ千年前に書かれたのですから、名だたる文筆家はみんな読んだんでしょうね。清少納言、鴨長明、吉田兼好、井原西鶴、滝沢馬琴、夏目漱石、森鴎外...そう考えるとなんだかワクワクしますね。
でも実は、私が最もワクワクしたのはこの小説の中身より作者別人説のほうです。
以下この本から引用して残しておこうと思います(すぐに忘れてしまうので)。
(引用)
本文がない。雲隠の巻。
41巻と42巻の間には、タイトルだけで本文のない「雲隠」という巻があります。この巻の意味するものは何かを見ていきましょう。
1年の引きこもり生活の後、出家を覚悟してその美しい姿を人前に表した光源氏。41巻の幻の巻に描かれた光源氏は、長大な源氏物語の中で生きた光源氏が登場する最後の場面です。次の42巻からは、光源氏の亡き後の子孫たちの話になっていきます。
その41巻のと42巻の間にあるのが、タイトルだけで本文がない雲隠の巻です。
41巻で薫は5歳、次の42巻では14歳です。つまり、八年間の空白があるのです。この空白を「雲隠」の巻名だけが埋めていることになります。その後の光源氏の出家や死を、この二文字で表しているともいえるでしょう。
とはいえ本文がないのですから、なんの表現もなされてはいません。実際にこの巻名は、作者本人がつけたのか、後世の読者がつけたのか、はっきりと分かっていないのです。そこが逆に読者の想像力をかきたてるようで、この雲隠れの巻については、古くから様々な説が、議論を呼んでいます。
通説としては、作者の紫式部があえて巻名だけをつけ本文は書かなかったというもの。主人公の死を暗示させたままで詳細は描かない。そんな斬新な手法を用いたのだという説です。
それに対して、本当は本文があったのだが、散逸してしまったのだという説もあります。また、埋蔵金のように、いまだにどこかに隠されているという説も。
暗示だけで終わっている部分を、実際に創作してしまったという例もあります。それが「雲隠六帖」。天台宗の教典が60巻あったことから、源氏物語の54巻にも6巻を加え、同じ巻数にしようと考えたようです。光源氏の死などが描かれたこの創作は、鎌倉時代初期には成立していたとみられています。
そして第3部
匂宮の巻、紅梅の巻、竹河の巻
第三部の始まりの三巻は紫式部が書いたのではなく、後から別の人物が書いて差し込んだという説もあります。この説は完全には否定されておらず、決着はついていません。でも、これから続く十巻分のお話は「宇治十帖」とも呼ばれ、人によってはそれまでの光源氏のストーリーよりも面白いと評価する声もあります。
作者別人説を引き継ぐ宇治十帖。
実は、この宇治十帖にも、作者は別人ではないかという説があるのです。第二部までの文体や用語の使いかたと、宇治十帖のそれが異なっていたり、物語の進め方も変わっているというのです。
確かに、宇治十帖は主人公が代替わりしたこともあり、そのストーリー展開は波乱に満ちて、これまでの面白さとは別の味わいがあるといえるでしょう。そんな部分を指摘して、とても一人の作者が作った作品だとは思えないというのです。
宇治十帖は、男性の手によるものだという説や、紫式部の娘が書いたものだという説、さらには宇治十帖以外にも他の作者が書いたものを挿入した巻があるなど、様々な説が古くから取りざたされてきました。
それでも、現在の通説としては、匂宮、紅梅、竹河の三巻は、別の作者がいたとしても、少なくとも宇治十帖は紫式部が書いたものだろうと言われています。
全編の現代語訳を完成させた瀬戸内寂聴は、その疑わしい三巻も含め、すべてが紫式部の手によるものという説を唱えています。紫式部は第二部までを完成させた後、かなりの時間を置いてから、それ以降書き始めたため、文体や思想が変わったというのです。
(引用終わり)
皆さんはどう思いますか?
寂聴さんがそうおっしゃるなら...とも思うのですが、私は別人説に1票![]()
というのも、やっぱり光源氏が死んだあとはなんだか急速に興味が薄れてしまったからです。あくまでも私の個人的な感想ですが...
もし最後まで紫式部自身が書いたとしても、それほど気が進まなかったのではないかな?頼まれたから渋々...なので、逆にリミッターを外したような書きっぷりになったとか...
永遠の謎でしょうけど、なかなか面白いとは思いませんか?
