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美和のブログ

美和のブログです。

【ルームカフェ美和、自由空間しおん】は2022年10日10日より
「二子玉 しおんtake2」として二子玉川に移転、生まれ変わりました。
よろしくお願いいたします。

https://shiontake2.wordpress.com

 

江戸時代の庶民(一般人・常民)は、かなり狭い生活範囲で生きてしらしく、町中に生活基盤を持って居る町人の場合は町が単位で、有る種類の縛りが有り経済学で言う所の「見えない手」が有り自由と言い上多少の制約が有った。

 

その1つは町内の頭(かしら)と言い、鳶(とび・高所作業)の親方が1つの町内を仕切って居て江戸の町を47に区分した上で支配するのではなくて面倒を見る訳で結果町内に居住する人間は頭に頭が上がらない訳だ。

高い所の作業は今の様に~建設に仕事を頼む訳には行かない。

頭頼みだ。

 

他にも酒屋さん等は株(かぶ)と言う権利を幕府から受けて一定の範囲に距離を決められて配置されるので、今の様に隣合わせに酒屋さんとは成らなかったらしい。

(不当競争防止)

 

此のしきたり(方式)は昭和の頃まで「酒類販売免許」として残って居て、今でもコンビニでお酒を置ける店と置かない店とが有る区別の元と成って居る。

 

勿論、消費者たる町人はどの店で買うかは自由なのだが、よその町内に行き酒を買うと回りの人に嫌なやつだ~。

 

あいつは酒を隣町に買いに行きやがった~

やだね~

 

と言われたらしい。

 

勿論酒屋さんも努力する。

支払いを年2回の節季(せつ)御盆と大晦日(おおみそか)払いとして、町内の消費にブレーキを掛けなかったので有る。

 

後、通い徳利(とつくり)と言っても自分の屋号の入った容器、一名貧乏徳利(びんぼうとっくり)を客売に無料で出して、他の店に客が買い物に行くブレーキを掛けたので有る。

 

因みに貧乏徳利は狸の置物が下げて居る首の短い壊れ難い頑丈な出来の徳利と成る。

 

で、何故町内の店を贔屓(ひいき)するかと言うと町内の販売店の景気が悪く成ると閉店して、それが順次重なると町が錆びれて来る。

 

今の地方経済のまんまで、大きい量販店が出来ると小売り店がなぎ倒しで町中灯が消えて仕舞う。

 

江戸っ子はそれを本能的に知って居たに違い無い。

2024年8月22日

 

 

 

僕は一度家の近くで「しんこさいく」(新古細工)を家の近くで唐突に見た事が有るが、小学3年生の34年の頃で一度きりのしかも場違いな所で見たので、明確な記憶では無いが何やら記憶に残るのだ。

 

新古細工とは、つまみ細工迄含む意味合いが有るようで、新しき~古き迄を表すと言う意味合いが有るようだ。

 

して、僕の体験したのはと言うと飴細工の事で、白いさらし飴を熱を加えながら指先と和鋏で形を作ると言う起用な細工で子供が好きなネズミやら犬、鳥、狸、猿、犬等を客注文に応じてその場で作る。

黒いゴツイ自転車と言うのは、この手のお仕事の決まり姿のようで荷台に木箱に七輪で飴を暖めて手早く新しき物の~古き迄を作り上げるが飴の事だから時間が持たないので狸でも狐でも溶けるまえに僕の口に帰する。

さて其の味は…。

甘いだけだつた。

 

一度だけの遭遇だけれども何だか癖に成る記憶のしんこざいく。

 

2024年8月1日

 

 

昭和33年の頃は僕は未だ銀座裏に居て、月に一度の鉄砲洲稲荷の縁日が楽しみであるので親にせがんで連れて行って貰うのだ。

 

色々な店が有る中に、少し変わった店構えが有る。

店先を薄暗くして居て、近づくと虫の音(ね)がうるさい位に鳴いて居るので、虫屋と解るのじゃ~。

 

松虫、キリギリス、コウロキ、鈴虫のとりどりな音色。

四角い竹細工の虫籠(むしかご)がテント掛けの軒先に釣って有り百円位から細工の凝った屋形船何かは千円もするので有る。

 

竹ひごでたいした物だが、僕はと言うと虫籠や虫は全然親にねだらないので有る。

 

何故だかと言うとコウロキの顔立ちが僕の苦手なゴキに見えるので有る。

 

おまけに艶やかな黒い足が、刺々(とげとげ)に長い触角(しょつかく)~。

 

とても苦手。

 

因みに、中国ではコウロキの鳴き声を楽しむのでは無くて、雄(おす)コウロキどおしを、小さな籠に閉じ込めて戦わせる闘虫が清朝の頃に金持ちの間で流行っていたと聞いた事が有る。

世の中何が掛けの対象に成るか解らん。

2024年8月15日

 

 

 

 

 

昭和33年の僕は6歳で、僕の一家は未だ銀座裏の2階建ての木造の家にすんで居て、1階は母の美容室。

 

2階の一部を父が洋食器の事務所として居た。

 

その片隅に洋風な陳列棚、恐らく戦前に作られて戦災で焼け残った物を戦後父が買い取った上に商品の陳列にして居た様な気がする。

 

余り、外で遊ばなかった僕はその黒い大きい陳列棚を雨の日等は特に友達として遊んで居た。

商品棚なのに、何故だか父は僕が、棚の中の物を出し入れしても怒られた記憶が不思議に無いのだ…。

 

フイッシュナイフ(魚用)、フルーツナイフ(果物)、アイスクリームナイフ(🍨)、様々なナイフの中に黒焦げのデナーナイフ(夕食用)が一本有って子供ながらに何故ナイフが焦げて居るので有ろうか?。

何故黒焦げのデナーナイフを父が取って有るので有ろうか?。

 

どおしてナイフの素材が鉄なのだろうか?。

不思議で仕方なかったのだが、中々父に聞き出せずに居た。

 

ある日の父の機嫌の良い折りについに疑問を問うと、昔と言っても10年少々前に戦争と言う恐い事が有って、その頃は家は羽田(大田区)に直営工場が有って、その工場が3月10日の東京大空襲で焼けてね、その工場の焼け後から一本だけで拾う事が出来た物だと聞いた。

 

しかも、物資の統制と言って、国から割り当てられた材料しか使えなかったので、そんな粗末な姿だと何だか悲しそうなので其より多く聞く事はなかったので有るが、其から後は棚の中からときどき取り出して僕の大事な友達として未だに黒い棚も黒焦げのデナーナイフもいまだに手放せないで居るのだ。

 

入らない物程必要な人間も居るのだ~。

2024年8月20日

 

 

 

 

 

 

昭和33年僕の一家は銀座裏に居て、母は美容室をやってたので近所の暇なオババが、たむろって居た。

 

すると仕事の有る大人はいつの間にか居なく成って、暇なチンパンジーの僕がオババの鴨(かも・えじき)と成るので有る、と言っても金銭的に問題は無いので有るが、精神的ダメージは有る。

 

恐い話し程頭に残るのじゃ~。

 

坊や…

夜寝る時にね~

 

寝る時に?

 

上向きに成って、胸の上で手を組んで。

組んで…

 

寝るとね~。

自分が死んで居る夢をみるんだョ。

 

恐いではないか~

6歳のチンパンジーの僕には未だ死の概念は無いので有るが、本能的に恐いのじゃ~。

 

それ以来胸に手を組んで寝る事は未だに出来無いので有る。

 

死と言う言葉は其れほど重い物のだから、簡単に気軽さで「死ね」と言う言葉を出さない方が良い。

 

気軽に言う方はきっと子供の頃に悪夢オババに会う機会が無かった不幸な方だろうな~。

 

2024年8月15日