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尾川永次のブログ

小説、ポエム、旅日記などなど徒然なるままに行きたいと思っています

          903号室 

                     尾川永次

  第四章  住人
「わぁーっ!!」
 扉が開いた瞬間、弘治は叫び声を上げ退きながら尻餅をついた。
 扉越しに女性が立っていたのだ。

 

「だ、誰ですか、貴方は?」
 慌てふためいた声で質問する弘治に女性は今にも消え入りそうなか細い声で答えた。

 

「大丈夫ですか?驚かせてしまったみたいですね」

 

 その声に弘治は少し冷静さを取り戻し女性を見上げた。
 白いワンピースに長い髪。どうやら先日エントランスから出てきた

女性と同一人物のようだった。

 

 弘治は立ち上がると改めて尋ねた。

「あ、あの、すみません。どちら様ですか?今日は誰もこのビルには   残っていないと聞いていたもので」

 

 色白で華奢な体つき。歳のころは二十歳位だろうか。清楚な面持ち

に白いワンピースが似合っていた。

 

「903号室の者です」
「じゃあ、オーナーの身内の方ですか?」
「はい」
「そうでしたか。不法侵入者じゃないかとひやひやしたんですよ」

「本当にごめんなさいね。部屋を片付けに来ていたもので」
 弘治は天谷の話を思い出した。

 

「わかりました。朝方までにお帰りになる時は一声掛けてくださいね。

 では、仕事がありますので」

 

 そう言って立ち去ろうとした弘治の背中に女性が声を掛けた。
「宜しければお茶でもどうですか?」

「申し訳ありません。まだ仕事が残っているもので」

「休憩は確か二時半頃でしたよね」
「はいそうです」
「その頃にお伺いしますが宜しいですか?」
「ええ、まあ」
 女性は少し憂いを湛えた顔で903号室へ入って行った。

 

「ふー」
 弘治は大きく息を吐き出すと作業に戻った。

 

 やがて二時半になり弘治は管理人室で休憩をとった。

 

「確かコーヒーが有ったよな」

 

 弘治が冷蔵庫の上に置いてあったインスタントコーヒーの粉を

カップに入れようとした時、ドアがノックされた。

 

           903号室

                      尾川永次

     第三章  異変
 清掃作業四日目、午前一時三十八分。
 いつもとは違う事が起きた。
 それは昼間の喧騒が嘘の様な静寂の中。エントランスのモップ

掛けをしてる時だった。

 

 動くはずの無いエレベーターが再び動き出したのだ。

 

「おいおい、またかよ」

 

 エレベーターのインジケーターが点滅しながら上の階へと上がって

行く。
 故障で無ければ誰かが上に居てボタンを押した可能性もある。
(どの階に行くのだろう)
 弘治はエレベーターのインジケーターをじっと見つめた。

 

 管理人の日報では、この時間、ビルには誰も居ないはずだ。

 

 そしてエレベーターは九階で停まり、やがて下降を始めた。
(誰かが降りて来るのかも…)

 緊張の中に恐怖が顔を覗かせる。

 

 強盗や空き巣だったらどうすればいいのだ。自分もただでは済ま

ないかもしれない。
 過去の悲劇的な事件のニュースが弘治の頭をよぎる。

 

 エレベーターまでの距離は五メートル程。この距離が近いの遠い

のか弘治にも分からなかった。

 

 三階、二階、一階。
 モップを持つ手に力が入る。身を守るたった一つの武器だからだ。

 

 エレベーターは静かに停まると分厚い鉄の扉を音も無く開けた。

 

 だが、エレベーターの中には誰も居なかった。
 少しして扉は何事も無く閉じた。

 

「ふう…」

 

 緊張から開放され静かなエントランスにため息が漏れた。

 

「これも誤動作かよ。まじで欠陥エレベーターだな」

 

 だが仕事として確認をしなければならない。
 誰もいないはずのビルに侵入者がいたのでは首になる可能性

だって無いとは言えない。

 

 弘治は武器代わりのモップを持ったままエレベーターに乗り込み、

出来れば行きたくは無いが九階のボタンを押した。

 エレベーターが上昇して行く。

 こんな時、空手か柔道でもやっておけばといつも思う。

 

 高まる緊張の中、弘治は扉に息が掛かる程の位置に立ち、開い

たと同時に外に出る準備をした。

 

 そして息つく間も無く九階に近付くとエレベーターは減速を始め

静かに停止した。


 

        903号室

                            尾川永次

    第二章  903号室     

 十三階で停まっていたエレベーターが突然動き出した。

 このビルのエレベーターは何処かでボタンを押さないと停止階に

停まったままのはずだ。
 弘治は掃除の手を止めてエレベーターのインジケーターを見つめた。
 エレベーターは九階で停った後、再び階下へと動き出し、一階で

停まった。

 

 弘治は十三階の廊下から身を乗り出しエントランス前を見下ろした。

エレベーターの故障かもしれないが、もしかすると誰か居たのかも

しれない。たまに残業だったり忘れ物をとりに人が来る事もあると

聞いていたからだ。

 

 清掃のバイトだが夜間の出入りに関する管理の仕事も含まれ

ている限りは確認しなくてはならない。
 少しするとエントランスから女性らしき人影が出てきた。
 白いワンピースに長い髪が腰まで伸びているのが街灯でも確認

出来た。

 

 やがて女性は夜の街に消えた。
 どうやら九階の何処かの部屋に人が残っていたようだ。

 

「ったく、九階の何処の部屋か知らないけど、居るなら居るで連絡

 しろってんだよなー」

 弘治は舌打ちをすると仕事に戻ったが九階で別の事を思い出し

ていた。

 

 903号室。

 

 ここの玄関ドアだけが他と違って木製なのだ。住人が取り替え

たのだろうが一つ気になる点があった。

 他の玄関は金属製で全て同じタイプ。管理人室に置いてある

マスターキーで開けられる。緊急時に対処するためだ。
 だが、ここだけ鍵穴の形が明らかに違っていて、どう見ても管理人

室に置いてある鍵では開けられそうも無い。

 

 弘治は今日の出勤時、入れ違いになる遅番の管理人天谷に聞いた。
「天谷さん。903号室のドアってここに在る鍵じゃ開かないですよね」

 

 帰り仕度をしていた天谷は手を止めて振り向いた。
「ああ、903号室か。あそこの鍵はここには無いんだよ」

 

「どうしてですか?何かあったら困ると思うんですけど」

 

「気にしなくて大丈夫だよ。あそこはビルのオーナーの部屋でね。

 ただ何年か前にオーナー夫婦と同乗していた孫が車ごと海に転落

 して夫婦は死亡、孫は行方不明になっちまってなあ。家財道具残

 したまま今は誰も住んで無いんだよ。で、後はお定まりって訳だ。

 子供達がここの権利をめぐって係争中。売れば数億になるからな。  

 で、勝手に入られない様に弁護士が鍵を取り替えたんだよ」

 

「そうだったんですか」

 

「裁判が結審すればあの部屋も貸し出されるとは思うけどね。じゃ、

 お先」
 天谷は軽く挨拶をして部屋を出て行った。

 

 気が付くと数メートル先の主を失った903号室の玄関を見つめて

いた弘治だったが直ぐに清掃を続け四日目の朝を迎えた。