903号室
尾川永次
第三章 異変
清掃作業四日目、午前一時三十八分。
いつもとは違う事が起きた。
それは昼間の喧騒が嘘の様な静寂の中。エントランスのモップ
掛けをしてる時だった。
動くはずの無いエレベーターが再び動き出したのだ。
「おいおい、またかよ」
エレベーターのインジケーターが点滅しながら上の階へと上がって
行く。
故障で無ければ誰かが上に居てボタンを押した可能性もある。
(どの階に行くのだろう)
弘治はエレベーターのインジケーターをじっと見つめた。
管理人の日報では、この時間、ビルには誰も居ないはずだ。
そしてエレベーターは九階で停まり、やがて下降を始めた。
(誰かが降りて来るのかも…)
緊張の中に恐怖が顔を覗かせる。
強盗や空き巣だったらどうすればいいのだ。自分もただでは済ま
ないかもしれない。
過去の悲劇的な事件のニュースが弘治の頭をよぎる。
エレベーターまでの距離は五メートル程。この距離が近いの遠い
のか弘治にも分からなかった。
三階、二階、一階。
モップを持つ手に力が入る。身を守るたった一つの武器だからだ。
エレベーターは静かに停まると分厚い鉄の扉を音も無く開けた。
だが、エレベーターの中には誰も居なかった。
少しして扉は何事も無く閉じた。
「ふう…」
緊張から開放され静かなエントランスにため息が漏れた。
「これも誤動作かよ。まじで欠陥エレベーターだな」
だが仕事として確認をしなければならない。
誰もいないはずのビルに侵入者がいたのでは首になる可能性
だって無いとは言えない。
弘治は武器代わりのモップを持ったままエレベーターに乗り込み、
出来れば行きたくは無いが九階のボタンを押した。
エレベーターが上昇して行く。
こんな時、空手か柔道でもやっておけばといつも思う。
高まる緊張の中、弘治は扉に息が掛かる程の位置に立ち、開い
たと同時に外に出る準備をした。
そして息つく間も無く九階に近付くとエレベーターは減速を始め
静かに停止した。