903号室 第五章 訪問者 | 尾川永次のブログ

尾川永次のブログ

小説、ポエム、旅日記などなど徒然なるままに行きたいと思っています

       903号室  

               尾川永次

第五章  訪問者

 

「あ、はい。今開けます」

 ドアを開けると先程の女性が紅茶を乗せたお盆を持って立っていた。

 

「紅茶でもどうですか?」

「わざわざお持ち頂いたんですか。どうもすみません。

 とにかく中へどうぞ」

 女性は中に入るとテーブルにお盆を置き、ソファーに腰掛けると「どうぞ」と弘治にお茶を差し出した。

 

「すみません。それじゃ、頂くとしますか」

 弘治は女性の前に座った。

 

「そうだ。お名前をお伺いしても宜しいですか?私は北中

 弘治です」

「山科小百合です」

「山科さんですか、私はまだここの清掃始めて五日しか

 経ってないんですよ」

「ええ。昨日でしたか、お見かけしてます」

「やはり、そうでしたか」

 すると俯き加減だった小百合が僅かに顔を上げて弘治に言った。

「お願いがあるのですが、手伝って頂けますか?」

「ええ、私で出来ることなら」

「棚から荷物を降ろしたいのですが私では重くて」

「いいですよ。今なら休憩時間ですし」

「じゃ、お願いします」

 紅茶を飲み干すと弘治と小百合は九階へ上がり903号

着いた。

 小百合がドアを開ける。

 少し埃臭い臭いが弘治の鼻をかすめた。事故の後は人の

出入りが無いからなのだろう。

 

「どうぞ」

「あ、はい」

 中は十一月にしては思いの外寒かったがそれより薄暗い

照明の灯りに映える家具や調度品が弘治の眼を奪った。

 それは家具の営業を数年しか経験していない弘治でも

分かるほど高価な品々だった。

 

 そんな弘治を気にも留めず小百合は滑るように部屋の奥へと進んで行く。

 家具に眼をやっていた弘治は慌てて小百合の後に続いた。

 

「あれです」

 八畳ほどの書斎らしき部屋の隅にある二メートル程の高さの本棚の上を小百合が指差した。

 そこには少し大き目の木製の箱が置いてあった。

 

「分かりました」

 弘治は手を伸ばし背伸びをして箱に手を掛けた。だが思ったより箱が重く簡単には引っ張り出せなかった。

「よっと。意外と重いですね、これ」

「ええ。私ではちょっと」

「これは女性では無理ですね」

 弘治は何とか引っ張り出し抱えるようにして床に置いた。

 菓子箱なのだろうか。樫の木で作られた箱の上には少し厚めの誇りが被っていた。

 

「ありがとうございます」

 小百合が箱を開けると中は写真やネガで埋め尽くされ

ていた。

 

「写真ですか。どうりで重いわけだ」

「本当に有難う御座います。助かりました。思い出が詰

 まった写真なのでどうしても観たくて」

「いいえ、この程度のことならいつでも大丈夫ですよ」

「そう言っていただけると助かります」

「じゃ、仕事がありますのでこれで」

「本当に有難うございます。それとこのことは誰にも話さ

 ないで下さいね」

 

(そうか、確か裁判中だって天谷さんが言ってたよな)

「分かりました。では、仕事がありますのでこれで」
「ありがとうございます」 
 小百合は玄関まで見送ると弘治に深々と頭を下げた。
「失礼します」
 そう言って903号室を出た弘治の顔は何処か嬉しそうだった。

 一人が気楽でいい。

 良く聞くセリフだがそれは対人関係が煩わしい、若しくは苦手な

だけで多くの人は決して孤独が好きなのでは無い。

 弘治も同だと言えた。深夜、一人での清掃作業に一時のオアシス。

 嬉しそうな顔の理由はこれだった。