903号室
尾川永次
第一章 予兆
俺は北中弘治。二十六歳になる。
大学を出て勤めていた輸入家具の販売会社で営業をしていたが
不渡りを出し、あっけなく倒産。二ヵ月ほどは失業保険で職を探して
いたがこれといった資格の無い身分では再就職もままならず、見るに
見かねた友人がアルバイトを紹介してくれた。
ビルの夜間清掃だ。これなら昼間は就職活動が出来る。何でも前任者が突然来なくなったとかで空きが出たらしい。
勤務時間は夜の十一時から朝の七時まで。
新宿に程近い十三階建ての古いビルの共用部分。エントランスに
廊下やトイレ、駐車場やゴミ置き場の清掃が主な仕事になる。
ただ現在は商業ビル化しているが元々はマンションとして売り出した
物件で以前は住人がいたらしいが新宿に近い理由でいつしか個人
事務所や怪しげな会社で埋め尽くされたそうだ。
清掃は一人で行うのだが、一人は気楽でいい。自分のペースで仕事が出来る。給料が高ければこのまま続けてもいいとさえ思える。
ただし、ボーナスも退職金も厚生年金も無いのがネックかな。
それともう一つだけ問題があった。今日で四日目になるがエレベーターの調子が悪い。
何故だか夜中になると押してもいないのに勝手に九階に停まる。
誰か残っているとか侵入者の可能性もあるので開いた瞬間に
廊下を見渡すが誰もいないのだ。まだ数回ではあるが無駄な時間を
使わされるのは辟易する。
昨日、管理人に話したがエレベーターの管理会社に伝えておくよと
言われただけでまともにとりあってはくれなかった。全くもって不可解
な現象だが今のところそれ以外何かが起きる訳でもない。
多分、エレベーターのプログラムに問題があるのだろう。
最近のエレベーターはコンピュータ制御で色々出来るそうだから、
これ以上気にしないことにした。
清掃を始めて一時間。同棲している彼女からメールが来た。
名前は三島香苗。
以前勤めていた会社の同僚で倒産騒ぎがきっかけで付き合う
ようになった。
《どう、仕事は?そのバイト始めてから疲れてる様に見えるから
無理せずにね。愛してるよ》
そうか、そんな風に見られているのか。
自分では元気なつもりでいたが、そう言えば何となく躰は重い気が
する。
だが、馴れない夜勤に加え肉体労働だ。疲労感が無いと言えば
嘘になる。俺も愛してるよと返信を送ると仕事を続けた。
夜中の零時三十八分。
エントランスと駐車場の清掃を終え廊下の掃き掃除をするため
十三階に向かった。上の階から順番にほうきで掃きながら下りる
ためだ。
そして、案の定エレベーターは九階で停まった。下りても上がっても
九階で停まる。
「チーン」とベルが鳴り、扉はゆっくりと開き、ゆっくりと閉じた。
俺はいつものことと気にも止めずスマホでゲームをしていると直ぐに
十三階に着いた。
不思議なものでこんな時に限ってゲームのスコアが良かったりする。約束時間までの暇つぶしに限って大当たりが出るパチンコと同じだ。
都合良くエレベーターの速度を変えられると便利なのにな、などと独り言を言いながら弘治は薄暗い廊下の灯りの下、掃き掃除を始めた。
だがエレベーターホールに差し掛かった時だった。