- 殺意の正体 -
シーラスとソフィーがネイザンの館を出て二時間、空は相変わらず灰色の雲で覆われ
ナダルの森の馬車道は薄暗いままだった。その中をパイクに乗り、馬の早足ほどの
速さで国境の町バルザに一人で向ったジャンを追っていた。
二人が走る雨上がりの馬車道は蒸せるような湿気に包まれていたが夏の終わりが
近いせいもあり、生い茂る木々の中を通り抜ける風がいくばくかの涼しさを運んで来
た。
やがて道が二股に分かれている場所に出るとシーラスは右手で手綱を引きながら
左手を出してソフィーにも止まるように合図をした。
「どうどう」二人はパイクを分かれ道で止めた。
道は左に進むとゴライ山脈を迂回し原野を通ってバルザに行くが、右に進むと山脈を
越えて最短距離でバルザに行けた。
シーラスはパイクの首の辺りを軽く二度叩くと降りながらソフィーに声を掛けた。
「ソフィー皇女。ジャンがどっちに行ったのか念のために確認しますので少し待って下
さい」
「分りました」そう言うとソフィーもパイクを降りてここまで辿って来ていたジャンの残し
たと思われる足跡を眼で追った。足跡は明らかに山脈へと続く道に向っている。
シーラスはパイクに下げられている袋からベージュのシルクに包まれた拳程の大きさ
のクリスタルを取り出し左手に持つと右手をクリスタルの上に乗せて呪文を唱えた。
「パーストル・ム・バイ・オルギ」
右手を離すとクリスタルがぼんやり輝き出し、中に白い雲のような塊が現れると、その
塊にパイクに乗り右の道に進むジャンの姿が映しだされた。予想通りジャンは山脈
へと向っていた。
「法師、それは過去を映す魔法ですね」と、クリスタルの映像を見ていたソフィーが
言った。
「はい。クリスタルがある場所の過去しか見られないのと残留エネルギーが弱いと
上手く見ることが出来ないのが難点ですが」
「ジャンははっきり映ってましたね」
「精神力のコントロールの修行をしていませんので間欠泉のように生体エネルギー
を撒き散らしてます。おかげでこちらも見つけ易いですが、これでは遠くからでも敵
に見つかってしまいますね。残念ですけど、とにかくこれでジャンがゴライ山脈に向っ
た事ははっきりしました」
「法師は何が残念なのですか?」
ソフィーが尋ねるとシーラスはクリスタルを元の袋に仕舞いながら答えた。
「大雑把な性格のジャンのことですから道を間違えて迂回する道に行っていたらと
期待したのです。レベルアップは先になるかもしれませんが、とりあえず危険は避け
られる」
「やはり心配ですか?」
その言葉で袋を見つめたままシーラスの動きが止まった。そしてゆっくりと答えた。
「していないと言えば嘘になりますね」シーラスはジャンが向ったゴライ山脈に掛かる
灰色の雲に眼を向け「後はこのまま雨が降らずにいてくれれば足跡を追って見つけ
られるでしょう」
「そうですね」そう言うとソフィーは空を見上げ眼を閉じると軽く深呼吸をした。そして
少しの間そのままでじっとしていたが、やがて眼を開けると振り向いて言った。
「風が優しくなって来たので、天気は回復します。山も雨は降らないと思いますので足
跡の追跡は問題ないと思います。それと・・」
「それと?」
「皇女を付ける必要ありません。種族が違うのですから」
「皇女がそうおっしゃるなら名前で呼ばせていただきます。それでは私も法師抜きでお
願いできますか?法師と呼ばれるには今の実力ではいささか抵抗があります」
「そうですか。ではお互いに名前で呼び合いましょう」
「はい、分りました」
とシーラスが言った時、ソフィーがくすっと笑った。
それを見てシーラスは心配になり慌てて聞いた。「何か変なこと言いましたか?」
「いえ、こんな堅苦しく話すような内容では無い気がして、それでおかしくて」
言われてみればそうだとシーラスもおかしい気がして来た。
「確かにそうですね」笑顔でそう答えると、シーラスはそれまで緊張していた肩の力が
すーっと抜けて行く気がした。
「そうだ!」シーラスは何か思い出したように腰の袋から結晶の形をした長さ十センチ
程のクリスタルを取り出した。
「ちょっと試させて下さい」そう言うとクリスタル親指と人差し指で縦に持ち、小声で
呪文を唱えた。
「サージュネル・ウォルザン」
するとクリスタルは上半分が淡くオレンジ色に下半分が水色に輝き出した。それを見
てシーラスがソフィーに尋ねた。
「しばらく曇りで天候の回復は夜なんだけどソフィーの予想は?」
「昼過ぎには晴れ間が見えそうですね」
ソフィーの予想を聞いてシーラスはがっかりした表情になった。
「そうですか・・。まだまだ精度が低いな」
「それって天気を予想する魔法なのですか?」
「天気を予想するのではなく、色んな物を察知するクリスタルを作っています。今は
空気の湿り気や重たさを察知して天気の推測をしてみたんだけど、ソフィーの予想と
は違うようですね」
「でも、私が間違えているかも」
「それは無いと思います。エルフの人たちの天候を察知する能力は完璧ですから」
「後は何を察知出来るのですか?」
「水や金属、生き物など波動が出ているものなら大体大丈夫です。もっともジャンに
は食べ物以外は要らないと、けちをつけられましたけどね」
「彼らしいですね」ソフィーが笑った。
「彼らしいです」シーラスも笑った。
心を開き始めた二人の笑顔は違っていた。お互いに心から笑っていると思えた。
それは不思議な感覚だった。一ヶ月程前にネイザンの館で紹介され挨拶を交わすよ
うにはなっていたが話をした事はなかった。それが二人で森を走り、笑顔で見つめ
合い会話をしているのだ。
そのことに気付いた二人は急に恥ずかしさがこみ上げて来て、慌てて視線を逸らし
た。
「パイクは走りづめだったのでしばらく歩きながら進みましょう」シーラスは少し照れな
がらクリスタルを仕舞うとパイクに跨りた立ち上がった。
「そうですね」ソフィーも少々ぎこちない動作でパイクに乗ると、二人はゴライ山脈に向
けて歩き出した。
しばらくは妙な意識をしたせいでお互いに口を利くこともなく歩いていたが、やがて
ソフィーが真剣な顔で話を切り出した。
「シーラス。貴方にお聞きしたいことがあります。よろしいですか?」
「はい」シーラスもソフィーの真剣さを感じ取り重い口調で返事をした。
「あなたは彼が、ジャンが山の獣達との攻防で第二段階に行けると思っています
か?」
「そうですね、昨日の今日ですから難しいとは思います。呪術部屋でも、その事を法師
と話をしましたが法師も直ぐに第二段階が発動するとは思っていないとおっしゃって
ました。ただ、この試練がきっかけになり短期間で第二段階に移行するのではない
かと」
ソフィーは少し強い口調で返した。
「私はドラゴンウィングを受け継ぐ者として小さい頃から剣士として教えを受けて育ちま
した。そして父から剣を受け継ぎ、第一段階の契約の儀に五ヵ月、さらに第二段階
が発動するまでに三ヶ月掛かりました。彼の剣はただ振りましているだけの我流そ
のもの、しかも精神面の修行も出来ていません。これで第二段階に行くのは疑問を
感じます。試練はただ危険なだけです」
シーラスはソフィーの言い方に言葉以外の物を感じ、あえて極論を口にした。
「ジャンが第二段階を発動させることが許せないですか?」
「ゆ、許せないだなんて、そんなこと思っていません!」
口では否定したがソフィーの言い方は明らかに動揺していた。
シーラスの一言で気付かされたからだ。
ジャンの修行が足りないことを指摘しているだけではない、無意識の中に今までして
きた全てを否定されてしまう事を拒んでいる自分がいたのだ。
「ただ私は・・」ソフィーは何を言っていいか分らなくなっていた。
シーラスにもソフィーの言いたい事は分っていた。
地道に登ってたどり着いた山の頂にホップ、ステップ、ジャンプで登られたら誰もが
抱く感情なのだ。そして修行とは頂上に着く事ではない、どう登るかが修行なのだ
と言いたいのだ。
その為の修行をする予定ではあったのだが・・。
「法師が不思議な事をおっしゃってました」
「不思議なこと?」
「理由は分らないがジャンがドラゴンテイルを選んだのではない、ドラゴンテイルが
ジャンを選んだのだと。でも、これは危険な事でもあるらしい。確かにジャンがドラゴ
ンテイルを持って夜の森に入ると次から次へと虫が沸いて出て来ます。まるで剣に
引き寄せられるように」
「私もドラゴンウィングを授けられた時に意識は委ねても心を委ねるなと言われた事
があります。どちらにしても危険なのかもしれませんね」
その時ソフィーの眼つきがにわかに鋭くなった。
背後から刺すような視線がこちらに向けられている事に気付いたからだ。
・・つけられている・・まさかエルバインの手下!?・・
ソフィーに緊張が走る。ゆっくりと右手をドラゴンウィングに掛けると 頭を動かさずに
小声でシーラスに言った。
「シーラス、そのままで聞いて。悪意を持った何物かに跡をつけられている。虫では
ないと思う」
ソフィーの言葉にシーラスは頭を掻いたり、首に手を回したり落着かない仕草をしな
がら「確かに虫ではないかな。ただ悪意ってほどではないと思うよ」
ソフィーの緊張を他所にシーラスの言い方は普段の会話のようで、緊迫感のかけら
も無い。
「このただならぬ殺気はいつ襲って来ても不思議ではありません。とにかく正体を確
かめて対処しなければこの先厄介な事になります」
ソフィーが次第に緊張して行くのが手によるように分った。
シーラスは人差し指で頭を掻きながら少々困惑ぎみな苦笑いを浮かべて言った。
「ただならぬ殺意が無いわけじゃ無いか・・。厄介な正体は直に分ると思うよ」
その言葉を聞いたソフィーはシーラスを見ながら思った。
・・シーラスはすでに正体を把握しているのか?・・。他人事のようなシーラスの言動に
苛立ちを感じながらソフィーが前を見ると厄介な正体は直ぐに判明した。
「あんた誰!?エルフが何であたいのシーラスとパイクに乗ってお出掛けなわけさ。
しっかも二人して楽しそうに見つめあっちゃってさ。まだ夏なのにすんごく寒気した」
ソフィーの鼻の先二十センチの所で十センチ程のピンクのバニーガールのような格好
をした女の子の妖精がぶんぶん羽ばたきながら、でかい態度でわめき散らしている
様は確かに厄介そうである。
呆気にとられ声も出ないソフィーにでかい態度の厄介な正体は更にたたみかけた。
「これから何処に行こうっての、あたいの了解も得ずに。話の内容によっちゃ許さない
からね。え!何とか言いなさいよ!!」
でかい態度の厄介な正体に唖然としていたソフィーがやっと呟いた。
「妖精・・」
「見ればわかるでしょ!でもまあ、こんだけかわいいと妖精には見えないかもしんない
けどさ」と、本人が言う割には何処から見ても妖精そのものだった。
この、でかい態度で飛びながらふんぞり返っている厄介な妖精の名前はディー。冬の
森で行き倒れていた所をシーラスに助けられ、以来シーラスの家の屋根裏に住み着
いているはぐれ妖精である。
ソフィーは冷静な表情ではあるが多少威圧的な喋り方でシーラスに尋ねた。
「シーラス、この騒がしくて厄介な生き物は貴方の知り合いですか?」
「うん・・まあね・・」予想していた通りの展開にシーラスは俯いたまま、ばつが悪そうに
返事をした。
それを聞いたディーは口に手を当て今にも泣き出しそうな顔をしてよろめきながら
「さ、騒がしくて厄介な生き物・・ひどい、虫みたいな言い方するなんて・・」と思ったら
いきなりソフィーの前から消え次の瞬間ディーはシーラスの胸にしがみつき涙ながら
に訴えた。
「聞いた今の!何処の馬の骨か分らない女に騒がしくて厄介な生き物って言われ
たっ!私がかわいいからって焼きもちやいているのよ!信じられない!何でこんな
のと一緒にいるわけさ!?シーラスは騙されてるんだ!わぁー!」
シーラスの胸に顔を埋めて泣きじゃくっている様な仕草をした。
ディーの”馬の骨”発言でソフィーの右耳がピクッと動いた。これはソフィーが怒った時
に見せる反応なのである。そして間髪入れずに言い返した。
「何処の馬の骨ではありません。エルフですから骨はエルフです、それに人を騙したり
もしません」真っ直ぐ前を見てさらに威圧感が増した言い方をした。
それを聞いたディーはシーラスに埋めていた顔を起こすと呆れ顔で言った。勿論涙な
ど出ていない、やはり嘘泣きである。
「うわー、言葉の”あや”も通じないんだ。つまんない女。そんなんじゃ生きてて疲れな
い?」
ソフィーの両耳が動いた。怒りモードが第二段階に達したようだ。
こうなると売り言葉に買い言葉である。
「私はくだらない事も言いませんし、ギャーギャー喚かないから疲れません。泣いたり
怒ったり一人で勝手に騒いで、子供はいいですね。ほんと、羨ましい」落ち着き払っ
て皮肉たっぷりの上から目線の物言いだった。
再びソフィーの前にディーが現れた。
「何さ、私よりちょっと背が高いからって、えっらそうに言っちゃってさ!」
そう言うとディーはソフィーの体型をちら見するとニヤッとした顔をした。
・・どうやら、女としての魅力はあたいのほうが上ね・・そう確信すると、どこで覚えてき
たのか身体を捻ったり、胸やお尻を突き出して悩殺ポーズの数々をソフィーの前で
披露しながら言った。
「どう?あなたにこれが出来るかしら」
ディーの表情は自信に満ち溢れていたがソフィーはきょとんとした顔で言った。
「どうって・・断末魔の芋虫の真似ですか・・それとも雨乞いの儀式とか?」
「い、芋虫の雨乞だなんて!まったく男心も知らないんだから」
「そうは言ってません。芋虫と雨乞いは別です。小さいと耳が聞こえにくいとか」
わざとではないが若干ソフィーが押し気味になった。
「あー、その言い方!完全に馬鹿にしてる。少しくらい耳が大きいからって!あたいの
方が胸は大きいしかわいいし」
巻き返そうとディーはソフィーの周りでぶんぶん飛び回りながら必死に騒ぎたてたが
ソフィーは心を落着かせる為に眼を閉じて頭の中で呟いた。
・・私は誇り高きエルフの皇女、心を乱してはいけないのよ。目の前にいるのは蝿よ、
何処にでもいるようなムチムチしたピンクの蝿がうるさく飛び回っているだけなの
よ・・。
ムチムチしたピンクの蝿が何処にでもいるようには思えないがとにかくソフィーはそう
自分に言い聞かせ心を落着かせた。
だがソフィーが目を開けるとディーの様相が先程とは一変していた。今までの姿が嘘
の様に真剣な顔でソフィーに近寄り耳打ちした。
「あたいの右手のずーっと後ろの木の上に魔物に取り憑かれた危険な奴が居る・・
多分虫だよ」
・・え?そんなまさか!?・・ディーの言葉にソフィーは驚いた。
自分には虫の存在はおろか、魔物の気配さえも感じてはいなかったからだ。
半信半疑でソフィーは左前方の森に意識を集中した。
・・居る!上!?・・僅かだが確かに樹上からこちらを伺っている。それは本当に僅か
な気配と魔物の波動だった。
ソフィーは改めてディーを見た。
・・この娘がこんなかすかな気配を感じ取ったなんて。それもあんなに騒いでいた状態
の中で・・。
だが今はそれどころではない。
このまま行くと確実に襲われる。
「ソフィー。二十メートル程先に居るようだね。先手を打つかい?」虫の存在に気付い
たシーラスがソフィーに声を掛けてきた。
「大丈夫、このまま進んで」ソフィーは冷静に返した。
三人は何事も無かったように馬車道を進んで行く。
十七メートル、十五メートル・・
次第に大きくなる気配の中に見え隠れする殺気は、こちらを狙っていることが明白
だった。
ソフィーが黙ったまま後ろ向きに飛んでいたディーに小声で言った。
「ゆっくり私の後ろに回りなさい」
「うん」ディーが小さく肯きソフィーの後ろに回った時、
”ガサ”っと音がしたその瞬間、ソフィは相手の位置を捉えた!
ソフィーは両の腰に挿したドラゴンウィングを一瞬で抜くと互いの剣の柄を顔の前で
合わせた。すると二つの剣が一つになり出来た弧に光の糸が通りドラゴンウィング
は弓へと変化した。同時に背中のクイーバーから矢を抜き、眼にも止まらぬ速さで
樹上の相手に放った!
飛翔音とほぼ同時に矢が刺さる音が樹上から聞こえたかと思うと一瞬の間を置いて
枝を折りながら何かが地面に落ちた音がした。
ソフィーとシーラスはパイクを止め落ちた相手の気配を伺った。完全に倒せず手負い
になっていると危険だからだ。
シーラスは魔法の杖を持ち、ソフィーは次の矢を引いて狙いを定めていた。
「多分シュパイデです」ソフィーが言うと
「そう思います」シーラスも同調した。
「す、すごい・・」
第二段階が発動しているソフィーの動きと放った矢の速さにディーは唖然としていた。
やがて正気に戻ったディーが「あたい見てくる」と、言うと。
それを聞いて慌ててソフィーが振り向いた。「あっ、待って!」
まだ危ないとソフィーが止めようとした瞬間、ディーはソフィーの目の前から消えた。
その小さい体で生きて行く為に妖精たちは短い距離であれば瞬間に移動出来る能力
を身に付けていた。
ソフィーがディーの身を安じてパイクを降りようとした時、ソフィーの前にディーが興奮
して現れた。
「すごい!すごい!おっきな蜘蛛が死んでる。あんたすごいね!」
ソフィーはディーが無事に戻って来た事に安堵の表情を浮かべたが次の一言でその
表情は一瞬にして掻き消えた。
「そうか!あんたシーラスの護衛なんだね。誤解しちゃってごめんね」
ディーの護衛の一言でソフィーの両耳が小刻みに動いた。臨界点は近い。
・・このままだと血の雨が降る・・これ以上の事態悪化を避けるべくシーラスはソフィー
の素性をディーに教えた。
「ディー。ソフィーはエルフ族の第二皇女なんだよ」
それを聞いたディーはソフィーの周りを飛びながら感心したようにじろじろとソフィーを
観た。「へー、皇女なんだ。偉いんだねあんた。あたいディー」
そして満面の笑みを浮かべて「よろしくソフィー皇女。女同士、仲良くやろうね」
「よ、よろしく・・」ディーに笑顔で挨拶されたソフィーだったが表情はぎこちなかった。
次の瞬間ディーはシーラスの肩に座って文句をいい始めた。
「黙って出て行くなんて随分じゃない」
「いや、今度は旅に出るわけじゃなくて、戦いなんだ。心配でそんな所にディーを連れ
ては行けないよ」
シーラスの一言でディーの顔はみるみる嬉しさに溢れた。
「うれしい。そんなにあたいの事を心配してくれているのね」
もちろんシーラスの心配はディーの思っている心配とは多少違っていたがディーは
上目使いでシーラスの胸にしな垂れ掛かり「大丈夫だよ。なんたって偉い皇女が
護衛してくれてるんだから。ねぇソフィー」
その時”ブチッ!”っと何かが切れた音にシーラスが気付いた。音の出所はソフィー
の手元の辺りだ。
シーラスがそっとソフィーを見るとパイクに乗ったソフィーは何事も無かったように前を
見て「さ、行きましょう」と、歩き出した。
「あ、はい」
あわててシーラスもパイクを歩かせると、再度ディーを説得しようと試みた。
「これから山に入って山の獣達と戦うことになるかもしれない。バルザには魔物に憑か
れた兵士もいると思う」
「町に着いたら何食べたい?おいしいフルーツあるかなー?」
「危険な魔法師と対決するかもしれない。邪悪なドラゴンが出てくるかも」
「シーラスは男の子と女の子どっちがいい?男親は男の子を欲しがるってゆうけど・・」
ディーは自分の世界に浸りきっていてシーラスの話を全く聞いてはいなかった。
「ディー」
「最初はやっぱり女の子がいいかな。育て易いってゆうじゃ・・」
「ディー!」
シーラスの叫ぶ声に振り向くと目の前に憤怒の表情のシーラスの顔があった。
「とにかく帰りなさい。いいね!」
シーラスの迫力に浮かれた様子のディーの顔がみるみる泣きそうになっていった。
「だって、だって・・」
泣かれると弱いシーラスの口調がトーンダウンした。
「ディーが一緒だとソフィーにも迷惑が掛かるから、ね」
「じゃ、ソフィーがいいって言ってくれたらいいよね」そういい終わった時にはディーは
ソフィーの目の前にいた。
「一緒に行っていい?いいよね?いいよね?あたい、いい子にするからいいよね?」
大粒の涙が溢れんばかりの潤んだ瞳で懇願され、さすがのソフィーも折れざるを
えなかった。
「分りました。そのかわりさっきみたいに確かめもせずにいきなり虫に近付くような軽
はずみな行動はしないように。いいですね!」
「うん!気を付けるね。ありがとう!”護衛”のお姉さん大好き!」ディーはソフィーの首
に抱きついた。
”ブチッ”再び切れる音がした。
嬉しそうにソフィーの首の辺りに自分の頬を摺り寄せているディーとは対照的に完全
に眼が据わったまま微動だにしないソフィーからは眠れるドラゴンを起こしそうなほ
どの殺気を放っていた。ジャンの放つ生体エネルギーなど湧き水程度に見える
ほど・・。
次の瞬間ディーはシーラスの肩でにこにこしながら喋っていた。
「でね、男の子だったら名前はアルで、女の子だったらユンがいいな。あ、やだぁ、
あたいとしたことが。結婚式もまだあげてないのに気が早いよね。でも旅行は海が
いいな。暖かくて白い砂浜で・・」
再び始まったディーの一人芝居に”ブチブチ”と聞こえてくる断裂音。
シーラスは音の正体を横目で見て驚愕した。ソフィーが皮で出来た手綱を手で紙切れ
のように千切っていた音だったのだ。
この時、シーラスは思った。この人は怒らせてはいけないと・・。
視線を感じたのかソフィーは振り向くとにこやかな顔でシーラスに言った。
「そろそろ走りましょう」
「あ、はい・・そうですね」と、シーラスが引きつった笑顔で返事をするやいなや、ソフィ
ーは結んで短くなった手綱を振って走り出すとシーラスも慌てて後に続いた。
二人を乗せたパイクは少し明るくなり始めたナダルの森の馬車道を一路ジャンの向っ
たゴライ山脈目指して走り出した。
厄介な道連れ・・もとい・・新たな仲間と共に。