この物語は現代の人々が見ることも感じることも出来なくなってしまった
神話と呼ばれる世界と共に生きていた時代の話である。
- ナダルの森の中で -
鬱蒼(うっそう)と生い茂る森を照らしていた月明りが雲間にかくれ、漆黒の闇と化した
森の奥深くで、獲物を求め黒い影が蠢いている ・ ・。
ナダルと呼ばれるこの森は高さが四十メートルを越える大木で埋め尽くされ、その中
を幅七メートルほどの石ころだらけの馬車道が通っていた。
その道を灯りも灯さずに歩いていた一人の少年が、時折吹く風が起こす木立の
ざわめきの中に僅かな気配を感じて足を止めると、大きく吸った息をゆっくりと吐き
ながら眼を閉じた。
少年の名前はジャン・バスタード、歳は十七才。身長は百七十五センチ程、グレーの
シャツとパンツに皮のベストとブーツ。黒髪でぼさぼさ頭、陽に焼けた顔には幼さを
残していたが背負っているドラゴンテイルと呼ばれた巨大な剣が戦士であることを
物語っていた。
ガサ・・道を挟んだ両側に立ち並ぶ大木の奥から、何かが這い回るかすかな音を
捕らえると、ジャンの中で気配が存在になった・・・来やがったか・・。
ジャンは全ての感覚をその音に集中させる・・二匹、いや五匹・・まだ増えそうだな・・
ジャンがゆっくりと背中の剣に手を掛けた時、雲間から顔を出した月が辺りを照らし
出した。
ザザザッ!次の瞬間、大木の間から大きな影が次々と飛び出して来る。
そいつの正体は薄暗い月明かりの中でもすぐに分かった。身の丈三メートル トンボ
のヤゴに似た巨大な昆虫ソイルだ。夜行性で動きが素早い上に硬い外皮に
覆われていて倒すとなると厄介な奴等だ。
実はジャンがここに来た理由の一つが修行を兼ねたソイルのハンティングだった。
ジャンは背後から近付いてくるソイルに対し微動だにせず背中を向けたまま立って
いる。やがて一匹のソイルがジャン目掛けて走り出し、背後に迫ると牙の付いた
下顎を眼では追えない程のスピードで突き出した。
ジャンはそれを素早く左にかわし反転しながら背中の剣を掛け声と共に力の限りに
振り下ろした。
ザンッ!ソイルの頭と胴体が体液を撒き散らしながら別々に転がって行く。だが斬り
倒したソイルの生死を確認する余裕は無かった。次のソイルが攻撃を仕掛けて
来たからだ。ソイルは伸ばした顎を戻しては突き出して執拗にジャンを追い立てる。
それを流れるような剣さばきでかわすとジャンは一瞬の隙を突いて身体を沈め
ソイルの頭めがけて剣を突き上げた。剣は下顎から頭頂部へ突き抜けソイルは
前足を浮かせたまま幾度か痙攣して動かなくなった。
そこに次のソイルが飛び掛かって来た。素早く頭から剣を抜き横っ飛びに攻撃を
かわしたが倒れたところに別のソイルが飛び掛って来た。ジャンは下から横一文字
に剣で斬り付け、その勢いのまま身体ごと回転して飛び掛って来たソイルをかわす
と素早く肩膝を突いて剣を構えた。一方斬られたソイルは地面に落ちると胸から
体液を噴出させながら、のた打ち回って息絶えた。
ソイルの体液は緑がかった白濁色で、まともに嗅ぐと腐敗臭で嗚咽を催すほどだった
が、そんなことを感じる余裕は無かった。その前にかわしたソイルがジャン目掛けて
顎を突き出した。ジャンはその顎を斬り飛ばすと、怯んだソイルの頭上へ飛び上が
りドラゴンテイルを真上から頭へ突き刺した。剣が頭を貫通し地面にまで達した時
ソイルは絶命した。だが間、髪を容れず別のソイルが襲って来た。ジャンは右に左
に身体を振り素早く避けながら側面に回り込み、わき腹に剣を突き立てたが硬い
外皮に阻まれた・・「ちっ!」ジャンは返す刀で足を二本切り落としたが動きを止める
までには至らなかった。ソイルが身体の向きを変えてジャンに向って腹を引きずり
ながら歩き出すとソイルに文句をつけた。「少しは痛がりやがれ!」
ソイルの波状攻撃にジャンの息遣いが少しづつ荒くなって来ていたがそれは剣の
せいでもあった。
「くそっ、重たい剣だな」ジャンは剣を握り直しながら不満を口にした。それだけ追い詰
められて来ていた証拠でもあった。
ジャンが持っているドラゴンテイルと呼ばれる剣は、その大きさ故に破壊力はあるが
反面その重たさが災いして動きが速い相手や数が多い相手に不利は否めなかっ
た。
ジャンは呼吸を整え剣を右上段に構えると、改めてソイルの数と位置を推し量った。こんな時ほど冷静な判断が必要だとジャンにも分かっていたからだ。
・・前に一匹、後ろに二匹・・後は・・ザザ!横の草むらから別のソイルが飛び出して
来てジャンに襲い掛かった。不意をつかれたジャンは防戦一方になり、さらに後ろに
いた二匹が加わった。三方からの執拗な攻撃をかわしきれなくなった
ジャンにソイルの牙が傷を付ける。左腕からの出血は剣を振る度に飛び散った。
・・このままだとやばい!・・数が多い相手に対して囲まれると不利になる、絶えず
場所を移動して有利な態勢を維持するのが常道なのだ。
ジャンは剣を大きく振り回し、ソイルの動きを一旦止めると足を斬り飛ばした手負いの
ソイルに向って走りながら大きくジャンプした。そして上空から全体重を剣に乗せ
ソイルの身体に突き刺すと、剣はソイルを貫通した。ジャンが直ぐに飛び降りて残り
のソイルとは反対の方向に走り出そうとした時、別のソイルが飛び掛った。ソイルは
ジャンと共に倒れ込みながら顎を突き出すと必死にかわしたジャンの頬をかすめ
地面に突き刺さった。ジャンの頬から血が滲む。
だが攻撃を仕掛けていたはずのソイルが顎を地面に突き刺したまま動かなくなった。
見るとソイルの背中から剣が突き出ている。ジャンは倒れ込みながらもソイルの腹に
剣を突き立てていたのだ。
「ハァー、ハァー・・」ジャンの息が荒い。その上、この状態で襲われたらひとたまりも
ない。「どきやがれ」動かなくなったソイルをどけようとした時、目の前にソイルが。
・・やられる!・・そう思った瞬間、ザン!ソイルの頭を矢が射抜き、糸の切れた操り
人形の様に一瞬で崩れ落ちた。
・・何!?ソイルを矢で射抜いただと!・・
刺さった角度からすると、矢は少し離れた樹上から飛んで来たようだが今は
それどころではない、すぐに起きなければ。
・・残りのソイルは?・・ジャンがソイルをどけて立ち上がり、辺りを見渡すと信じられ
ない光景が眼に飛び込んで来た。
残っていたソイル全てが矢で頭を射抜かれピクリとも動かないのだ。
ジャンは唖然とした表情で月明かりに照らされ累々と横たわったているソイルの亡骸
を見ていた。その時、森の奥から人の気配を感じ叫んだ。「誰だっ!?」
「危なかったわね」暗闇の中から女性の声が聞こえて来た。
・・矢を放ったのは女なのか!?・・声は矢が飛んで来た方向からだった。
声がした暗闇を見つめる中、現れた女を見てジャンは更に驚いた。どうみても同世代
の少女だったからだ。
少女の名前はソフィー。薄暗い月明かりの中でも先の尖った耳の形で森の民エルフ
だとすぐに分かった。背はジャンより少し低くスレンダーだが、服の上からでも鍛え
上げられた筋肉が見て取れた。それにクイーバー(矢を入れる道具)を背負い、腰
に巻いたベルトの左右に剣を挿している。顔は暗闇の中ではっきりしなかったが、
後ろで束ねた髪を除けば、一見すると少年剣士のようだ。
だが、今のジャンにとってそんなことはどうでもよかった。
・・本当にこいつが矢を放ったのか・・ソイルを一撃で・・俺はこいつに助けられた
のか・・色んなことが頭を駆け巡ったが、ついて出た言葉は違った。
「誰だが使らねーけど、大きなお世話なんだよな」
だが横柄なジャンの態度にもソフィーはまるで意に介さず落ち着き払った口調
だった。「ごめんなさい。こちらからは危ないように見えたものだから」
以外とも思える少女の丁寧な対応にジャンは気勢をそがれた。
「あ、ああ・・」・・まいったな、礼を言った方が・・そう思いかけた時だった。
「それよりあなた、剣の使い方がもう少しね、無駄な動きが多すぎるわ。 もっと速く
動かして、的確に急所を狙わないと駄目よ」
ジャンの頭の中でカチンと音がした。初めて会った女からいきなり駄目出し。しかも
母親が息子を諭す様な言い方なのだ。単純直情型のジャンがはい、そうですかと
終わる訳が無かった。
「ほう、俺の剣に無駄な動きね。そこまで言うなら試してみるか」そう言いながら、ジャ
ンがドラゴンテイルの柄に手を掛けた時、ソフィーは既に腰に挿した左右の剣に手
を掛けていた。
・・本気か、おもしろいじゃねーか・・ジャンがそう思っても不思議ではなかった。
月明かりの中で、かすかに見える彼女の眼から、いつ剣を抜いてもおかしくない程の
殺気が伝わって来たからだ。ジャンの手が汗ばんで行く。
だが、よく見ると彼女の眼は自分を見ていないことに気付いた。
明らかに意識も違う所を向いている。・・はっ!・・ジャンは草むらに何かが居ることを
察知した。その時、森の中から一匹のソイルがソフィーに飛び掛った。
・・まだ、いやがったのか!・・ジャンが剣を抜こうとした時、信じられない事が起きた。
ソイルに飛びつかれたはずの少女が・・消えた!?・・いや、居る!・・
消えたと思った少女が次の瞬間、ソイルが飛んできた方向に、五メートルも移動して
いた。
・・魔法なのか!?・・一瞬そう思ったがジャンはすぐに理解した。
魔法などではない、動いたのだ。眼では追えない速さで少女が動いたのだ。暗闇の中
とはいえ、ジャンには消えたように見える速さで。
ジャンが次に確認出来たのは、両方の腰に挿していた竪琴を半分にしたような形の
剣を顔の前で交差させて立っていたソフィーだった。
そしてソフィーを通り過ぎて地面に降りていたソイルがゆっくりと身体をソフィーに向け
た時ソフィーが交差させていた腕を降ろし、ベルトの鞘に剣を収めた。
ジャンには暗闇の中で刀傷はおろか、どう見てもソイルにダメージを負わせたように
は見えなかった。だが再びソフィーに飛び掛ろうとソイルが身体を沈めた瞬間だっ
た。ブシュー!ソイルのいたる所から体液が噴出した!
・・えっ!?・・ジャンの声にならない絶句と共にソイルは体液を出し切ると地面に
沈んだ。
・・そんな、ばかな・・ジャンの眼には移動はおろか、剣の軌跡さえも見えなかった。
唯一分かったのはソイルと交錯した瞬間、空気を斬り裂くような音を聞いただけ
だった。
ソイルが完全に動かなくなったのを確認してソフィーが立ち去ろうとした時、言葉を
失っていたジャンが声を掛けた。「ちよ、ちょっと待てよ、なぜそんなに速く動けるん
だ?エルフならできるのか?どんな弓や剣を使っているんだ?」ジャンは矢継ぎ
早に疑問をぶつけた。事実ソイルの外皮を遠距離から貫ける弓があるなど聞いた
ことが無かったし、暗闇とはいえ消えたように見えるほど速く動く奴を見た事が無
かった。しかもソイルを一瞬で斬り刻んだのだ。
ジャンの問い掛けにソフィーは振り向きもせずジャンプして木の枝に飛び移り森の
中に去って行こうとした時、再びジャンが叫んだ。「おい!エルフ何とか言えよ!」
だがソフィーは何の反応も見せず森の中に消えると、森は再び静寂を取り戻した。
やがてエルフの気配が感じられなくなるとジャンが言いたい事を言い始めた。
「やい!エルフ、負けるのが怖いから逃げたんだろう!俺が本気になれば、お前
なんか、けちょんけちょんだからな」・・まるで子供である。
「言ってて、むなしくないか?」耳元でした突然の声でジャンがパニくった。
「わーっ!!%§♂★¢√♀・・」
「人間が理解出来る言葉になってないよ」
「シ、シーラス・・お、驚かすんじゃねー」
「君が勝手に驚いただけ」そう言いながら、矢で倒されたソイルを覗き込んだ。
「一撃か、すごいな」 そう言った彼の名前はシーラス・ハイドシュルツ。魔導師である。
魔導師とは魔法を修練している者の事であり、極めると魔法師と呼ばれるように
なる。ジャンと同じ年で幼馴染でもある。身長はジャンより少し高く、色白細身で端正
な顔立ち。全身を灰色のローブで包まれた魔導師の服装のせいもあるがジャンより
大人びて見えた。
「それよりいつから居たんだ?」ジャンはエルフとの事をどこまで見られていたか気に
なっていた。
「たしか・・ソイルを下から剣で突き刺して、上に乗っていたソイルにどきやがれと、
わめいたあたりからかな」そう言ってジャンに歩み寄って来た。
・・見られたくないとこ、全部じゃねーか・・ジャンがむすっとした顔で乱暴気味に剣を
収めたところへ、シーラスの顔がジャンの鼻先に来てニコッと微笑んで言った。
「彼女にお礼を言い忘れたね」その一言でジャンの右眉毛がピクッと動いた。
「お前・・」悔しさをかみ殺したジャンの鼻息が二度三度聞こえて、最後に大きく深呼吸
をしてかろうじて抑えた。そして口をへの字にしたまま歩き出そうとした時、シーラス
がジャンの傷ついた腕を掴んで言った。
「治療した方がいい」シーラスの顔は先程とは違い、真剣そのものである。
「このくらい、大丈夫だ」そう言って腕を振り払おうとしたが、シーラスは放さなかった。
「弱いとはいえ、ソイルの牙にも毒がある。少しづつでも蓄積されれば体に影響が
出る」
「分かったよ」いつになく強い口調にジャンは抵抗することを諦めた。
シーラスは鎖の付いた水滴型のクリスタルを取り出しジャンの傷口にかざして呪文
を唱えた。「ラギ・オルム・ド・デメカル」 クリスタルがボーッと淡い光に包まれていく。
やがてかすかにキーンと耳鳴りのような音が聞こえてくると軽い痛みを感じていた
傷口から痛みが引いて行くのをジャンは感じた。
「それにしてもソイルを含め、森の生き物達が以前より凶暴化してきているね」
「前回のハンティングより襲う数も増えてるな、これも奴等の影響なのか?」
「多分そうだろうね。よし、これでもう大丈夫だ」
治療が終わると背を向けてさっさと歩き出したジャンの背中にシーラスが言った
「僕にお礼は?」シーラスの問いかけにもジャンは振り向きもせず、ぞんざいに答え
た。「貸しだ!」
シーラスはさらに小さな声で呟いた。「それを言うなら借りだと思うのだが」
「呼び出したのはお前だ!」
ジャンが叫ぶとシーラスは驚いた表情をした、静寂を取り戻したとはいえあんな小さな
声が聞こえるのかと。「耳だけはさといな」さらに小声で呟いた。
「大きなお世話だ!」ジャンの怒鳴り声が夜のしじまに広がった。
シーラスは笑みを浮かべ、やれやれといった表情でジャンの後に続いた。
少ししてジャンに追いついたシーラスが尋ねた。
「ドラゴンテイルはどうだい?」
「見ての通りだよ。確かにこれだけの重さだ、当たれば破壊力はあるけどソイル程度
の速さに苦労してるようじゃ、この先やつらと戦えるのな・・」
そんなジャンを見てシーラスは少なからず驚いていた、"なんとかなるだろ"が
口癖の根っからの楽天家、その彼からそんな言葉が出るとは思ってもいなかった
からだ。確かにソイルに対しての苦戦、目の前に現れたエルフの少女の力、思う
ように進まない修行・・。これから自分達が行おうとしていることが、如何に困難で
あるか理解しているからこその不安なのだ。
シーラスは真っ直ぐ前を見ながら答えた。
「短い期間の中で君は確実に成長しているよ」
その言葉にジャンは立ち止まって言った。「戦えるとは言ってくれないんだな」ジャンの
言葉にシーラスも一瞬立ち止まったが再び黙って歩き出した。
どうやら不安に思う気持ちは同じだったようである。
そしてジャンもシーラスの後を追うように歩き出し、二人は夜の森の中へ消えた。