アシダカLOVE | 302号室のヘビとトカゲとヤモリたち

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レオパ、フトアゴ、アオジタ、ノギハラバシリスク、コーンスネーク、ニホンヒキガエルたちとの楽しい生活

 きのう部屋の天井に現れた4cmほどのチビアシダカグモは、結局いつまでも姿を隠さず、ぼくが就寝のため部屋の電気を消すまで、ずっと見える所にいました。その間に、ぼくの心境に変化が。

 

 ぼくはアシダカグモが苦手ですが、それはなぜかと考えてみました。

 子供の頃、まだあのクモの名前も知らなかったときに、手の平のような巨大で異様な姿をとつぜん至近距離で見て、物凄く驚いた思い出があります。

 おそらく、そのときの驚き=恐怖が心に刻まれ、その恐怖がアシダカグモを見ると蘇るのでしょう。トラウマのフラッシュバックといったら言い過ぎかもしれませんが、まあそれに似たようなものだと思います。巨大アシダカであろうがチビであろうが同様にビビるのは「アシダカグモは怖い」という思いが染みついているからだと思います。

 

 昨日、ブログを書き終えてから、ネットで「アシダカグモ」と検索してみました。Wikipediaがトップで出たので開き、(前にも読んだことはありましたが、改めてじっくり)読んでみると、

 

「その不気味な姿から不快害虫とみなされ、人家内に出現すると駆除の対象とされることが多い。しかし人間への攻撃性はなく、網で家屋を汚すなどの実害もない」

「宮古島では家に住むアシダカグモを珍重する風習がある

「昆虫学者である安富和夫の著書『ゴキブリ3億年のひみつ』によると、アシダカグモが2、3匹程度居る家では、大きな巣を作り繁栄しているゴキブリが半年以内に全滅するという」

 

 ぼんやりと知ってはいましたが……改めて素晴らしい生き物ですね、アシダカグモ。

 異様に大きく不気味だからと嫌われ避けられるけれど、実は純粋で正しく生きている姿は、小説・映画『グリーンマイル』のジョン・コーフィと重なります。

 これこそ神様がこの世に遣わせた天使(の虫)かもしれない――そう思って、天井に張り付いているチビアシダカに「そうなのか?」と尋ねると、彼はこう言ったのです(想像)。

「お、おいら、わるいことはしないよ……」

 ぼくがアシダカグモを好きになった瞬間でした。……まあまだ見た目はちょっと苦手ですけどね。

 

 観察してみると、アシダカグモって面白いんです。

 こちらがじっと見ているときはピクリとも動かない。でもしばらく目を離し、また見てみると、微妙に体の向きを変えていたり、ちょっとだけ移動していたりする。で、じっと見つめるとその間はやはり動かない。「だるまさんがころんだ」をやっているみたいです。

 考えてみれば、こっらがアシダカを恐れている以上に、あっちはこっちを恐れているんですね。人間に見られている間は緊張して動けないのかもしれないし、「動いたら叩き殺される」と思っているのかもしれません。

 ぼくはチビアシダカに向かって言いました。

「殺したりしないし、部屋から追い出したりもしない。好きなようにしていていいよ。コオロギはあげられないけどな、爬虫類たちのエサだから。まあ、気が向いたらうちに侵入したゴキブリを退治しておくれ。あ、でもなるべく、ぼくの見えないところでな」


 こうして、きのう天井に現れたチビアシダカグモは、ぼくの就寝時刻までしっかり見えるところにいたのでした。「だるまさんがころんだ」を繰り返しながら、部屋の電気を消す頃には天井を横断して壁まで移動していました。

 

 
 
 今朝、起きるとチビアシダカの姿は見えませんでした。夜行性のクモだし、どこか休む場所を見つけて隠れたのでしょう。
 まあ、基本的にアシダカグモが人の前に姿を現すのは、クモがうっかりしていたときだと思います。だからこれからも家の中にいるとしても、そうそう出てくることはないと思います。
 
 アシダカグモは長寿なクモで、10年生きた記録もあるそうです。成長は遅くて、成体になるのに2年ほどかかるとか。
 あのチビも2年経ったらデカくなるのかなあ。
 いつか、人間の手の平みたいにデカくなったあいつが、「おいら、こんなにおおきくなったよ!」と姿を見せたら――
 
 
 ぼくは悲鳴を上げるでしょう。
 
 
                           
 
 おまけ
 
 いつにも増して重心が低いスノーク。